2015年6月26日金曜日

【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その3


この記事は前回からの続きとなります。
まず、こちらからお読みください。

・【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その1
・【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その2




   (今回分)

  5:隙間風
  6:TM NETWORK とはなにか?
  7:CHILDHOOD'S END
   『補足説明』
     おわりに







5:隙間風


しかし85年4月、3rd single「アクシデント」を翌月に控えリリースされた別の楽曲が、
新たな展開を呼びます。

この頃、小泉氏はようやく
ムーンライダーズ・オフィスという事務所に所属することになりました。
それまでは C-Dragon Project の項でふれたように、小室ー小泉の二人体制で
(日銭を稼ぐ)外部仕事にあたっていたわけですが、これによって小室氏とは別に
小泉氏単独の仕事が増えていくことになります。



その、ほぼ最初の仕事がこの曲でした。




            LOOK 「シャイニン・オン 君が哀しい」




ご存知のとおりこの曲は大ヒットとなり、1985年を代表する曲となります。
同時期発売だった TM NETWORK の「アクシデント」は見る影もありません。

この大ヒットとそれに連なるスタジオ仕事によって、
小泉氏は背負っていた巨額の借金を一気に返済。
さらに憧れだったフェラーリを購入します。





ところがこの ”成功” が、小室氏との間に溝を作ることになります。

「一度哲っちゃん家の前を車で通ったら、ちょうど家の前に止まってた車に
 木根と2人で乗ってるのが見えたからさ、止まって声かけたら無視されたの憶えてるよ。
 そのまま黙って車走らせちゃってさ」




この辺から少しずつ、小室氏は小泉氏を外すことを考え始めるようです。

この部分は極私的な要素を孕むので、深読みは避けるべきかと思いますが、
ここであえて小室氏側の視点に立つなら、
少なくとも若い頃の小室氏はTMのイメージとは間逆の、昔のバンドマンにありがちな、
(狭い範囲での)仲間意識を抱えたタイプだったのだと思います。

そもそも『T.M.ネットワーク』という名前自体が、
見方によっては非常に青臭いネーミングだと言えるでしょう。

初期2枚のアルバムに関わったサポートミュージシャンの顔ぶれを見ると、
このアマチュア臭い仲間意識が、プロとしてのレコーディングを要求する小坂氏との間に
溝を生んでいたフシもあります。

そんな小室氏には、なかなか芽が出ないながらもガムシャラに突き進んでいた
1984年末の時点では、『この4人の仲間で成功を掴み取るんだ』
という思いがあったに違いありません。
ライブのオープニング曲に「Quatro」などというタイトルを付けたのも、それゆえでしょう。




しかし小室氏と関わりのない単独の仕事によって、小泉氏一人が成功をつかんでしまった。

自分としては言いがかりにしか思えませんが、
これは小室氏から見れば、裏切りに等しかったのだと思われます。










        つまり小泉氏の離脱と音楽性とは何の関係もありません。









ただ小泉氏が仰るには、最後の最後まで、
メンバーとの間に決定的な何かがあったわけでは無い、とのこと。
インタビュー時も常に「キネもウツも気のいい奴だからさ〜」と仰っていました。



ここは今一度ファンの方々に認識していただきたいのですが、
この時点の TM NETWORK とは ー
 ・売れていない
 ・お金にならない
 ・さらに言えば翌年で契約終了 → 解散となってもおかしくなかったグループ
なのです。

逆に言えば、お金の心配がなくなった小泉氏が
それでも TM NETWORK にこだわっていたのは、
ただ、純粋に『仲間たちと良い音楽を作りたい』という想いだったことの
証明と言えるのではないでしょうか?

最後の半年間、小泉氏が手を抜くどころかますます力を入れていたことは
当インタビューをお読みの通りです。




しかし事務所という強力な後ろ盾があったスピード・ウェイ組に対し、
TM内にそれを持たなかった小泉氏にとって、
小室氏との間に吹いた隙間風は、流れを決定的にしていきます。

「この件に関して、一切話し合いはもたれなかったのですか?」
「もうそこは阿吽の呼吸だろうね。察するというか
 "あ、次(3rd album)は俺を呼ぶ気がないのね” って感じで」





このような局面においても TM側の事務所との軋轢は続いており、
小泉氏にとっても、気持ちが離れていく大きな要因となっていきます。


小泉氏にとっては TM NETWORK のために巨額の借金を抱えてまで打ち込んできたものの、
TM NETWORK からはそれに見合うリターン(収入)は無く、
背負った借金を返すためには他の仕事をアテにするしかない。
極々、当たり前のことでしかなかったのです。


また、そもそも小泉氏の存在が大きくなったのも、
『パソコン+MIDIを駆使した打ち込みサウンド』という路線を小室氏が選択した時点で
如何ともしがたいことでした。







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6:TM NETWORK とはなにか?


実際このパソコン+MIDIの路線では、木根氏、宇都宮氏が培ってきた
スピード・ウェイでの資産を活かすことは出来ません。
ただ出来上がるのをひたすら待つだけです。

宇都宮氏は、のちにこの状況を
「ただボーっと待っているのもなんだから、何かやってみようと思ってダンスを習い始めた」
と言っています。
(実際に花開いたのは 1986年のツアーからだが、
 最初にダンス教室に通い始めたのは1985年「Dragon The Festival tour」の前)



また木根氏も1985年中頃、小室氏がダンスミュージックを視野に入れはじめた頃に、
「俺たちはこの路線でいいんだろうか?とウツと2人で話した」と語っています。

結局、とにかくやれるだけやってみようという話になり
木根氏はレコーディングではバラードに特化し、ライブではパントマイムや竹馬など、
本来、音楽とは関係のない事に居場所を見出していきます。


意外ですが発表されている作品の中で、木根氏が TM NETWORK 用に
バラードを書き下ろしたのは 3rd album「GORILLA」が最初です。

  ・「1/2の助走」→ 木根氏の作曲した時点ではアップテンポのポップスだった。
  ・「愛をそのままに」→ スピード・ウェイ「Midnight Town」のリメイク
  ・「Timemachine」→ 未発表

またライブにおけるパフォーマンスも、ファンの間では伝説のような扱いになっていますが、
当時、BOØWYなど "正統派" バンドのファンからは、
「TMってギターがパントマイムやったり空を飛んだりするんでしょwww」
と色物扱いされる要因にもなっていました。(注)

木根氏自身も決して乗り気でやっていたわけでなく、
ある時期までこのポジションに葛藤があったといいます。

     (注)80年代中期、ロックが商業的隆盛を迎える中、
        花形であるギタリストがギターを弾けないというのは、
        "ロックバンド" としては致命的だった。





こう見ると、小泉氏が TM に加わり、そして離れるに至った理由も、
宇都宮氏の歌唱スタイルやダンス、木根氏のキネバラ路線やパフォーマンスも
全て TM NETWORK が生まれながらに内包していた矛盾。




       "メンバーのバックボーンとは違う売り出し方を、
       (デビュー直前になって)メンバー自身が選んでしまった”




というところから発していると言えるでしょう。

企画物ならともかく、パーマネントなグループでこのような成立ちというのは、
あまり聞いたことがありません。
(事務所やレコード会社に無理矢理押しつけられたのなら分かりますが…)



この矛盾はインタビューでも語っていただいた小泉氏と小室氏の意気投合や、
1983年中頃というタイミングから一気に表面化したものですが、
自分としては、元々グループ結成時から既に生まれていた問題ではないかと考えます。
                             (補足の項・参照)

だからこそ小泉氏が去った後も、矛盾自体は残り続けたわけです。

結果的にその矛盾の中で各メンバーが居場所を確保するため、もがき続けること自体が、
他のバンドやユニットには見られない " TM NETWORK のアイデンティティー "
を産み出していったのではないでしょうか。







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7:CHILDHOOD'S END


小泉氏の離脱。
TM NETWORK の抱えた矛盾については以上です。
最後に小泉氏の離脱直後の1986年について。



1986年 3rd album「GORILLA」からのTMの活動は路線変更というより、
実質再デビューだったと言えるでしょう。

これは音楽性の話ではなく、レコーディングはレコード会社の、
アーティスト活動は所属事務所がひいたレールの上を、行儀よく進んで行く
『大人のバンド』になったという意味です。



小泉氏に象徴されるゴタゴタも含め、これは本来なら
デビュー時に整理されているべき問題です。

それが2年間も放置されてしまったのは、
小室氏がデビュー以前に中途半端にキャリアを積んでいたことも一因ではないかと考えます。
ヘタに我流でやってこれたために、セミプロなりの自信・プライドが育ち、
それが小坂氏の意見に素直に耳を貸さないようになっていたのではないでしょうか。



デビュー当初の小室氏を指して小坂氏は
「ライブはやらない、TVは出ない、と大きな口をきく」と苦笑していたのが
「GORILLA」の頃になって「やっと小室が俺の言うことに耳を貸すようになった」
と語っていました。

逆に小室氏からすると、デビュー当初から
「Produce by TETSUYA KOMURO にはこだわりたい」と言っていたものの、
自分の舵取りではなかなか結果が出せず、結局百戦錬磨の小坂氏に頭を押さえ付けられている
と感じていたのではないでしょうか。(親の心、子知らずではありますが)

2nd album 制作時に小坂氏が顔を出さなかった理由を、小室氏はこの30年近く
「渡辺美里のレコーディングにかかりきりだったから」と述べてきましたが、
これまた例の「TMぴあ」では「小坂さんがヘソを曲げて来なくなっちゃった」
とサラリと語っています。
ここでもレコーディングの進め方、サポートミュージシャンの選定などで
意見の相違があったとみられます。



しかし、その 2nd album は全く売れず
結果、アルバムタイトルやジャケットデザインの決定権も取り上げられてしまった。

この「GORILLA」というタイトル&ジャケットは、
小坂氏の "親父の一喝” だったと言えるでしょう。




































評判は悪いですが、このタイトル及びジャケットは
非常に重要な役割を果たした、と自分は感じています。

なによりそのインパクトによって、
『いままでのTMのイメージを吹き飛ばしてしまう = 一旦無かったことにしてしまう』
ことに見事、成功したからです。

つまりこれは小室氏の抱えていた、アマチュアリズムの敗北とも言えるでしょう。
そう考えるとこの事態を意図せず名付けたはずの 2nd album「CHILDHOOD'S END」とは
なんと皮肉なタイトルでしょうか。

(このように捉えると90年代、このジャケットを回収したいと語った小室氏の発言は、
 単にデザインに起因するものではない、という見方もできます)







さて小泉氏が抜け『大人の TM NETWORK 』になって以降も、
急に順風満帆になったわけではありません。

新しく『FANKS』という造語を掲げリリースしたシングル「Come On Let's Dance」が、
ブレイクへの狼煙を上げた様なイメージ持たれている方もいらっしゃいますが、
これは後から俯瞰してみた場合の話です。


実際のところは、以前よりはかなり売り上げを上げたものの、
乾坤一擲のわりにはメンバーやレコード会社が期待したほどではなく、当時のファンの間でも
「このままでは TM NETWORK はマズイのでは」という不穏な空気が流れたことは、
木根氏の著書にも書かれています。


この翌年、ブレイクしたからこそ肯定的に受け入れられている『FANKS』路線ですが、
もしそうならなければ、恥も外聞もなく売れるためにプライドをかなぐり捨てたと
世間にとられ、物笑いの種になっていたでしょう。

この時期の雰囲気は、平山雄一氏による小室氏インタビュー中、平山氏の漏らした
「FANKS という言葉を聞いた時(今更)よくやるよと思った」
という言葉が端的に現していると思います。


本人達も、一息つけたのは翌年の「Self Control」「Get Wild」と語っているように、
1986年はまだ薄氷をふむ状態であり、これを救って 4th album の制作に漕ぎ着けたのは、
なによりも小室氏の作曲した、渡辺美里「My Revolution」(1986年1月発売)の
大ヒットによるものでしょう。

小室氏も「TMぴあ」で「My Revolution の大ヒットに対するレコード会社からのご褒美」
といったニュアンスで 4th album が制作出来たことを語っています。


つまり「My Revolution」は TM NETWORK にとっても超重要曲となるわけです。


この「My Revolution」によって延命された時期があるからこそ、
本当のラストチャンスである、シングル「Self Control」への並々ならぬ意気込みが
理解できるのですが、これについては本題から外れるのでここまでにしておきます。

ただ一点、このシングル「Self Control」は間違いなくFANKS期の代表曲ではありますが、
当時の(3rd album で示した)『FANKS』という枠に入る曲調では無い。
むしろリズムは8ビートの歌謡ロックだ、ということは指摘しておきます。






以上の流れからも、小泉氏の離脱とブレイクに、
相関関係は無いことがお分かりいただけたでしょうか。

"ブレイク" という意味では1987年になるし、
"FANKS" という意味では、すでに 12inch Single「Dragon the Festival (Zoo Mix)」
(1985年7月発売)にその胎動を感じます。

さらにB面に収録された「1974 (Children's Live MIX)」に目を向ければ、
1984年12月のパルコライブの時点で一部に、
無自覚ながらもFANKSが混じっていたともいえます。

小泉氏の離脱直後の1986年も、TMは危機を脱したわけではない。

4th album「Self Control」のコンセプトが「GORILLA」+「RAINBOW RAINBOW」
だったというのは、ひょっとするとラストアルバムになりかねない状況の中での
総力戦を表現していると、捉えることができましょう。





                        本文ここまで。









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   『補足説明』


今回は小泉氏の件がメインのため「TM NETWORKの独自性」については、
デビュー直前の話が中心となり、
重要と思われるグループ結成の経緯については、ふれませんでした。

しかし本文完成後、読み返してみると
やはりそこに関しても自分なりの考えを説明しておかないと、
片手落ちになると思い、新たに補足説明の項を立てることにしました。





デビュー直前、小泉氏と小室氏はどのような意見交換をしたのか?
小室氏が当初描いた「T.M.ネットワーク」とはどんな内容だったのか?
木根氏・宇都宮氏はどこまで先のイメージが見えていたのか?

これは TM NETWORK~TMN に至る最初の10年間の活動に影響を与えた
かなり重要な要素であると考えます。



まずここははっきりさせておかないとこの先、話が通じないと思うのですが
自分にとって TM NETWORK の魅力とは『変なバンド』という点です。
『かっこいいバンド』ではありません。
単にかっこいいだけのバンドなら、世界中に掃いて捨てるほどいます。




       では、何をもって『変なバンド』と言うのか?



端的に言えば
『なんでこのメンバー構成で、こんなサウンドの音楽をやっているんだろう?』
ということです。
これは実は、ファン以外の人の方が直感的に感じていると思います。

木根氏については分かりやすいでしょう。
『あのサングラスの人は何のためにいるの?』と聞かれ、
困ってしまった経験は、ファンなら誰しもあるはずです。

しかし自分は、これは木根氏だけの話ではないとずっと感じてきました
宇都宮氏はもちろん、時には言い出しっぺのリーダー・小室氏にすら
違和感を感じる時があったのです。




その『変』の根源になっているのが「T.M.ネットワーク」結成の経緯だと思うのですが、
自分にはその点が未だにぼやけて見えています。





TM結成時のいきさつについては
木根氏の著書「電気じかけの予言者たち」に書かれてはいるのですが、
メンバー決定の流れは最初の数ページと非常にあっさりとすまされています。

そもそも「T.M.ネットワーク」結成に関して能動的に動いていたのは小室氏であり、
受動的な立場であった木根氏が語ることができる範囲は限られます。

また読み物として面白くするためのデフォルメがあるにしても、
時系列や機材に関する話など、もっと基本的な部分で疑問符のつく点も散見されます。

ですので、自分は「電気じかけ~」シリーズは
『事実を題材とした、あくまでファン向けのお話』であるとして
それ単独では扱わず、数ある資料のうちのひとつとして位置づけています。



その点「TMぴあ」は、とっかかりとしてかなり面白い発言が多いのですが、
ただ発言が垂れ流されているだけで、聞き手側のつっこみが無いため、
体系立てて見えてくるものがなく、非常にもったいなく感じました。

中には『「Get Wild」のスネアを抜くというのは、ドラムを担当した山木氏からの提案』
という、今までのちゃぶ台をひっくり返すような発言もあり、
これはもっと論じられていいと思うのですが、相変わらずスルーされています。

(もっともこの本の誤植の多さに、単に助詞などが間違って印刷されているだけではないか
 という気もして、これまた何とも…)






話をもどします。
まず木根氏の「電気じかけ~」に書かれている、結成までの流れを見てみましょう。

 ・1981~82年頃、小室氏が木根氏に
  『僕と木根が曲を書いてボーカルが歌うユニットを作ろう』と誘う。
          ↓
  当初のボーカリスト「マイク」が国外退去。
          ↓
  木根氏が代替策として宇都宮氏を推薦。
          ↓
  ユニット名を「T.M.ネットワーク」と名付ける。

「電気じかけ~」では、この流れが細かい描写は無く、
一連のものとしてサラリと書かれています。


しかしこれに、もうひとつの有名な逸話

 ・小坂プロデューサーが小室氏に『歌モノじゃないと俺は引き受けない』と伝えた。

というエピソードを加えると両者に齟齬が生まれるというか、矛盾を感じます。





どういうことかというと

「僕は歌が入っていないものはやらないよ」という小坂氏の発言を受けて
小室氏が『(ボーカルを探すのに)1ヶ月待ってください』→ 宇都宮氏を誘う
という流れがあるはずだからです。
小坂氏もこの時のことについてに『すぐにボーカルを連れてきた』とのちに語っています。


ここから逆算すると宇都宮氏を誘う1ヶ月前、
つまり幅をみても1982年の終わりから83年初頭にかけてこの会話があったことになり、
その時点で小坂氏が聴いたデモテープは『歌モノ』ではなかったということになります。

ということは、この時点の小室氏がデビューを狙っていたのは、
木根氏との『歌モノ』プロジェクトとは別の(個人?)プロジェクトということでしょうか?

(もっとも小坂氏の発言にもブレがあり、氏の言う「小室テープ」は2種類あって、
 それぞれ別の時期に別のテープを聴いた可能性もあります)





つまりマイクが国外退去になった時点で、木根氏とのプロジェクトは
小室氏の中では一旦終わったプロジェクトになっていたのではないでしょうか。
この辺はなにせアマチュアの話なので、しっかりとした話し合いがあったとも思えません。
自然消滅しかかっていたという感じではないかと思います。

また、木根氏側もこのプロジェクトは再デビューに向けての
one of them に過ぎなかったと思われます。
そうでなければ当時「スピード・ウェイ」再起動にかけていた氏の姿勢と釣り合いません。
「電気じかけ~」でも、その程度のものだったと窺わせる描写になっています。



結局その後 TM NETWORK が成立したからこそ、
このプロジェクトに焦点が当たっているだけで、
本来は「T.M.ネットワーク」に直結するものではなく、
デビューに向け、あの手この手を繰り出していた小室氏にとっては
『そんなこともあったね』程度の様々な選択肢の1つに過ぎなかったのではないでしょうか。



ところが小坂氏に『歌モノじゃないと俺は引き受けない』と言われ、
当座のあてがなくなった小室氏は慌てて木根氏の元に舞い戻り相談、宇都宮氏を引き入れる。




このドタバタ劇が、今のところ自分の考える「T.M.ネットワーク」成立の流れです。




だからメンバー構成と(小室氏のやりたい)音楽性がチグハグな状態になってしまった。
そしてそのチグハグな状態の辻褄を合わせるため、各人がもがきにもがいた結果、
他に類を見ない独自性のある strange なグループに『なってしまった』

自分は小泉氏インタビューを通じて
「あれがダメならこれ。これがダメならあれ」と言う言葉が非常に印象に残ったのですが、
結局のところ TM NETWORK とは、小室氏がデビューに向けて闇雲に投げ続けた球の内、
たまたまの一球が固定化されてしまっただけのものなのではないでしょうか。

綿密な計算や展望のもとにスタートしたプロジェクトではなく
言葉は悪いですがラストチャンスを前にして『出会い頭に成立してしまったグループ』




しかし、これこそがこの30年間、
TM NETWORK の様なグループが他に生まれなかった理由とも言えます。(注)

これは細野氏が当初目をつけていたメンバーに断られ、
次善の策として、高橋・坂本両氏に声をかけ成立した YMO にも似ています。
またメンバーに共通していたのが "音楽性" ではなく、"柔軟性" だったというのも同じです。

もしそうなら、80年代後期の『国際版 TM NETWORK 構想』や、
90年代初頭にエイベックスと絡み始めた件などは、単なる野心や浮気心だけではなく、
小室氏もまた、もがいていたと捉えることができます。

    (注)だとすると、TMに憧れて「TMみたいなグループ組もうぜ!」
       と意気投合した時点で矛盾しているという、不思議な事態が…




どちらにせよ、この辺の実情は小室氏にしか知る由がなく、
しかし氏がこの流れを詳細に語ることありません。

30周年という大きな節目に、
このような基本的な部分の掘り起こしがなされなかったのは、残念でなりません。








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   おわりに


小泉氏の離脱以降、TM NETWORK はブレイクの流れに乗ったこともあり、
メンバー・スタッフ一丸となって邁進していたように見えますが、
1990年頃から、今度は小室氏と事務所の軋轢が起き、
結局、小室氏が事務所離脱 → TMN解散と流れてきます。

終了コンサートの運営から事務所関係者を排除。
また現在に至るまで TM NETWORK としての事務所が存在しないことなどを考えると、
もともとメンバーと一部のスタッフの間に、同床異夢という面があったのかもしれません。




しかしこれは音楽とは関係の無い話です。

本稿の内容以外にも色々な事があったそうですが、
それも含め、全て当人たちの問題であり、
私達、他人が口を挟むべきことではありません。




ただそれに巻き込まれる形で、
『1人の若者の ”情熱をかけた仕事の足跡” がかき消されている』
ということは、あってはならないことだと思います。

このイレギュラーな連載の趣旨は、あくまでここにあります。

中立的な立場から見ても、この30年間、
沈黙を貫いた小泉氏の姿勢には、なかなか出来ることではないと敬服いたしします。





最後にひとつ特記しておきます。

小室氏が小泉氏を外すことを画策しはじめて以降も、
ジュンアンドケイ音楽出版の松村慶子氏は
最後まで小泉氏のことを気にかけてくれていたそうです。





以上、
私的な色彩の濃い長文連載にお付き合いくださり、ありがとうございました。







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(P.S.)

新Blog の告知を出してから、多くの方から
「重箱Blog」の方はどうなるのか?とのご質問をいただきました。

本来この「重箱Blog」は、
自分の音楽Blogを作るための練習台に過ぎなかったのですが、
やりかけたままのネタもまだまだ多く、
ありがたいことに、楽しみにしてくださる方もいらっしゃるようですので、
このまま継続することとし、
自分の音楽Blogは、また別に新しく作ることにした次第です。
(本末転倒もいいところですが)

Blog 2本立てということで、しばらくはペースがつかめないと思うのですが、
これまで同様「重箱Blog」を楽しんでいただけたらと思います。

また、自分の音楽にTM的な要素は皆無ですが、
新しく始まる『音楽(と特撮)Blog』の方も、
冷やかし程度に覗いていただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いします。



             2015.06.26 ポコ太







32 件のコメント:

  1. 圧巻のラストでした。3回ともハラハラしながら読みましたが、素直に感動しました。ただ、何に感動したかというと、語られた内容にというわけではなく、ポコ太様の情熱と愛情に感動したのではないかと思います。今回まとめられたことがどれだけ真実に近いかは知る由もありませんが、私は随分合理的で説得力があるように感じました。おそらく今後も誰も語らないであろう核心部分について、ここまで肉迫されたことに敬意を表させて頂きたいと思います。ただ、私の敬意は何の訳にも立たない訳ですが、、、せめてもの償いに、これからのご活躍をお祈り申し上げます。かつて、「TMみたいなグループ組もうぜ!」と仲間を探していた男より。

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    返信
    1. やまびこさん

      どうも、もったいない言葉の数々。
      真にありがとうございます。


      >>どれだけ真実に近いかは知る由もありませんが、

      いや、自分としても正直よく分かりません(おいおい)

      ただTMってこういう部分の掘り下げが全然されてない。
      僕はこのBlog始めるまで、「みんな、TMなんて興味ないんだな」
      と、思っていたくらいです。

      なので、今必要なのは正確性よりも、
      まず、それぞれが自説を発信しあうことだと思っています。
      今回の結成時の考察部分も、自分としては真剣に考えた末の結論ですが、
      結果として、まるで間違っていて赤っ恥でも構わないのです。

      これに触発されて、いや、ここはおかしい」とか
      「それは間違ってる!」とか論争が始まれば、
      そこでやっとスタート地点に立てたかなと。

      まあ30年もやっていて、まだこの段階というのは情けないと思いますが。



      >>私の敬意は何の訳にも立たない訳ですが、、、

      いやいや、その想いだけでもうお腹いっぱいですよ。
      あちらのBlogも曲を公開していますので、どうぞ聴いてみてくださいね。

      削除
  2. やまびこさん同様、感動しました。

    小室さんの、小泉さん外しの行動は幼稚に思えますが、まだ若かったことや、
    当時の必死さを考えると、理解できなくもないです。
    また、決定的な事件があった訳ではないということに、ちょっとほっとしました。

    小泉さんが離れたことが直接TMのブレイクに関係なかったことはよくわかりましたが、
    小泉さんが別の仕事で成功し、結果的にTMを離れたことや、当時の小室さんの追い詰められた
    状況等、もろもろが重なって、TMが継続でき、今があるのだなと思いました。
    その偶然の結果が、自分の人生をこんなに長く彩ってくれるものになるとは…
    なんだか感慨深いです。  

    音楽的な意味でもそれ以外の意味でも、TMは他のバンドとはなんか全然違う、
    ということは今まで漠然と思ってきました。音楽以外の部分では、
    他のバンドの様に汗臭くなく上品であるせいだと思ってきましたが、
    成り立ちが変であるということを示されて、なるほどと腑に落ちました。

    小泉さん関連の記事をずっと読ませて頂いて、
    小泉さんが才能豊かで、男気のある、人柄のよい方であることがよくわかりました。

    また、ポコ太さんの、この件への関わり方がとても誠実だと感じましたし、
    掘り下げ方、切り口、構成、文章、どれをとっても非凡さが表れていました。
    普段、その才能を何にお使いなのか、気になります。

    やはり私の一番好きなアルバムは
    RAINBOW RAINBOW とChildhood's Endです。
    制作されたバックグラウンドは音楽そのものに本来は関係ないですが、
    ここで読ませて頂いたことを思い出しながらTMの作品を聴き直すと
    また新たな楽しみを見つけられそうです。
    本当に素晴らしい記事を有難うございました。

    新しいブログは、特撮にはついていけないのですが、
    音楽の部分を楽しみに読ませて頂きます!

    返信削除
    返信
    1. NutRockerさん

      こちらの執筆意図を真正面から受け取っていただき、
      本当にありがとうございます。
      また自分に対して勿体無い言葉までいただき、恐縮です。



      >>もろもろが重なって、TMが継続でき、今があるのだな

      もし小室氏の言うようにTMが『ユニット』『プロジェクト』であったなら、
      その都度その都度、ジャンルごとに最適な形にメンバーを変えて行くのが
      一番(音楽的には)効率が良いと思うのですよ。

      実際、TMデビューを遡ること6年前 YMO が結成された時、
      リーダーの細野氏は、そのようなユニットにしていきたいと語っていました。
      (結果的にはそうなりませんでしたが)

      しかし、変な表現になりますが自分のイメージのTMって
      「たまたまその日スケジュールのあった3人がボートを漕いで遊んでいるうちに、
       暴風にさらわれ無人島に流されてしまった」みたいな感じなんです。
      とにかく右を見ても左を見ても自分たちだけ。
      何をするにもこの3人でやらなくてはいけない。
      無人島での生き残りをかけ3人のサバイバルが始まった!みたいな。

      ですので結局 TM NETWORK ってユニットでもプロジェクトでもなく、
      非常に泥臭い『バンド』なんだなと思っています。



      また、とにかく非常に優れたスタッフに恵まれたバンドだったとも思っています。

      特に小坂氏は、初めて会った時から小室氏のウリはサウンドではなく
      メロディーメーカーだと見抜いていたんだと思います。
      しかし当時の小室氏本人は「サウンドには自信があるが、
      メロディーにはまだ自信がない」と語っていたように、
      放っておくとサウンドの方にばっかり走って、
      メロディーに磨きをかけることを怠っている
      (ヒット曲をサウンドから作ろうとしている)
      ように見えていたんではないでしょうか。

      渡辺美里の制作チームに小室氏を加えたのも、
      その部分の自覚を促すという面があったのではないかと。
      もし小坂氏が渡辺美里を手がけていなかったら
      TM NETWORK ってどうなっていたんだろうと思うと、
      少しぞっとするものがあります。




      >>特撮にはついていけないのですが、

      ふふふ、そちらがついてくる気がなくたって、
      後から追い立てていきますので、覚悟してご覧ください(笑)

      削除
  3. 『1人の若者の ”情熱をかけた仕事の足跡”』をよくぞ書いてくれました。お疲れ様でした。
    重箱Blogを最初から最後まで読みました。TMの三人も小泉さんもがむしゃらにもがき苦しんで成功を収めたのがよく分かりました。TMの音楽が好きでたまらないポコ太さんがこの面白いBlogを書いて、それが小泉さん本人に伝わった事はすごい事だと思います。繋がっているんですね…それぞれの個人的な感情まではあまり興味はないですが、ポコさんの文章で小泉さんの当時の苦労が救われたような気がします。

    新しいBlogも興味ありますが、このBlogが続くのも楽しみです。

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    1. ことこさん

      >>重箱Blogを最初から最後まで読みました。
      そ、そのような苦行を…
      本当にありがとうございます。


      とりあえず
      ・TMのデビュー時に小泉洋という人がいた。
      ・小泉洋とは単なるサポートメンバーではなかった。
      ということは、皆さんに分かっていただけたと思っています。

      ただそのために、今はもう過去のこととして平穏に暮らされている
      小泉さんの生活を掻き乱してしまったのではと思うと、心苦くもあります。


      新しいBlogの方も、なにかありましたらツッコミをよろしくお願いいたします。

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  4. 青い惑星の愚か者2015年6月27日 2:09

    言われて気付きましたが、LOOKで当ててからも小泉さんがドラフェスツアーであんなに大変な役回りをこなしてくれたこと、TMで音楽を続けていきたいと思っていたことを示していますよね。
    あのツアーの映像がまともに商品化されていないのは、その意味でも惜しいことです。

    TM NETWORKが変なバンドだったという評価、当時中学生だった自分がはまったのもそこだったと思います。
    いろんなバンドが活動する中でとても特徴的だったし、おっしゃる通りイロモノだったんですよね。
    バンドブームの中心にいる他のバンドと競合していない立ち位置にいたからこそ目立っていたような気もします。

    TM NETWORKの構造的矛盾の指摘は、TM論としてとても面白く感じました。
    デビュー前の小室さんが小坂さんに聞かせたテープの解釈は同感です。
    テープの前提になる活動は、おそらくSTAYだったのではないでしょうか。
    STAYの活動が同じ頃に終わるのも、この路線ではデビューできないとして見限ったのかもと思います。
    一方で木根さんとの共同作業も、マイクの後に尻すぼみになったのではなく、多分マイクの後に来たのはSERIKA with DOGだったんじゃないかな。1982年にはデモテープ作り始めていますし。

    TMが大人になった、小室さんが小坂さんの言うことを聞くようになったきっかけなんですが、Twinkle Nightてどうだったんでしょう。
    TM初の非ローカルのタイアップシングルがあったし、小室さんも当時自信作と語っていて、多分これで人気も上向きになると思っていたんでしょうが、実際にはChildhood's Endよりも売れなかったわけですよね(86年、一番売れていないアルバムとのメンバーのコメント)。方向転換の直接の契機はChildhood's Endよりはこちらじゃないかとも感じます。それは上に対して小泉さんを外すことの理由づけにもなったのかもしれませんし。
    前後の状況だけからの推測にすぎませんけれども。

    ともかく力作の連載一ヶ月、お疲れ様でした。
    本家ブログ開設も楽しみにしています。
    重箱も忘れないでくださいね。
    長文失礼しました。

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    1. 大人になったきっかけ、そういえばEARTHで「ドラフェスのリミックスで、その後もできると思った」とかいてありましたね。
      ?と引っ掛かってましたが、小室さんが(小泉さんが居なくても)一人で出来るもん!!となられたんですかね・・・?

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    2. 青い惑星さん

      >>まともに商品化されていないのは、その意味でも惜しい

      えーと、ここについて語り出すと暴走するのは目に見えているので
      カレーにスルーします(笑)…き…キッスジャパン…。



      >>マイクの後に来たのはSERIKA with DOGだったんじゃ

      なるほど。確かこの時期の小室氏は青木氏がマネージメントしていたんだっけ?
      青木氏ならこの時期の小室パースペクティブを知っているかもね。

      本文には書いてないけど、あっちこっち手を出しつつ
      もうひとつ小泉さんの仰っていた、年齢的に
      「周りがどんどん脱落していった」というのも大きいだろうなと。

      この時期、ウツもサウスウェルに在籍していたわけだし、
      結局一度、3人はバラバラに分かれた。
      しかしどんどん周りが干上がっていって、
      結局踏みとどまっていた者同士で組むしかなかった、ということではと思います。

      もうこの時期になると高揚感に身を任せるだけの歳でもないだろうし、
      結構いろいろな妥協や打算はあったんじゃないだろうか。




      >>Twinkle Nightてどうだったんでしょう

      そこは自分が書いた1986年についてと直結してくる話だと思う。
      つまり何時からダンスミュージックを意識し始めたか?

      Twinkle Night は85年夏に作り始めて、ツアーを挟み10月に完成。
      ツアーでの客の反応を見てダンス〜に移行した、ということになっているけど、
      キネ、ウツの発言を見ると、どうもツアー前には考え始めていたようにも見える。

      ひょっとしたら85年5月のNHKライブが終わった後から、
      夏前のドラフェス12inch制作ぐらいまでの間に、
      いくつかの選択肢の1つぐらいには浮かんでいたのではないだろうか?
      もしそうだとすると Twinkle Night に対する本人の中での位置付けも変わってくるよね。


      あとタイアップという意味では Your Song に対する期待はあったのかもしれないけど、正直ミニアルバムってそんなに売れるもんじゃないし、ファンだけが買うものっていうイメージがあるんだけどどうかな?




      >>本家ブログ開設も楽しみにしています。
      重箱も忘れないでくださいね。

      ご丁寧にありがとうございます。これからもへなちょこがんばります。

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    3. EMIさん

      12inch「DRAGON THE FESTIVAL」は小泉氏がっつり絡んでらっしゃいますよ!
      何しろ現存する公式映像で小泉氏の仕事が見れる唯一のものが
      12inch「DRAGON THE FESTIVAL」レコーディング時のものです。
      是非、DVD「Bee」を見てください!

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    4. そうなんですね!是非、DVDを持ってきて見せてください(あれ?)

      ただ、たとえば結婚している事実があって生活費を貰っていても、心の中ではとっくに別れていて一人で生きている妻もいっぱいいるみたいな。
      そういう心の問題としての妄想です(汗)

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  5. あぁ、これでQUIT30初日からの小泉さん騒動も終了なんですね。
    これでやっとというか、とうとうというか、私のTM30thの幕も降りてしまった気がします。
    この記事を私たちに届けてくださったポコ太様には尊敬と感謝を…ムニャムニャ。
    まぁ、ありがとうございます。(お疑いでしょうがここは素直に)

    本家ブログでのポコ太様のご活躍をお祈り申し上げます。

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    1. どうもお付き合いいただいて、こちらこそお疲れ様でした。
      とりあえず僕のファイティングは終わりました。


      >>(お疑いでしょうがここは素直に)

      現在僕は『相手の言葉通りに受けとる キャンペーン』実施中ですので、
      どんなお世辞でも素直に受け取っておきます。

      ありがとうございました。

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  6. こんにちは。記事読みました。大変読み応えがありました。

    さて。木根さんはよく「スピードウェイ時代は音楽性優先だったのに、TMなってから企画優先になった」と仰っていることがありました。
    小室さんは3人それぞれ音楽性がバラバラですよね?という問いに「友達、仲間ですから」と答えてたことがありました。
    ポコ太さんの記事を読みそれを思い出しただけですが、小室さんは小坂さんに「歌物しか仕事は受けないから」というのは推測するに小坂さんの言い方としては「小室君のやってる音は良いけれど、僕の仕事は歌物だからそれしか受けないよ」と仰りたかったのではないでしょうか。

    何でもそうですが、物事には両面あって3人の音楽性はバラバラなのは良い点と悪い点がありますが、小室さん、ウツさん、木根さんそれぞれにルーツがあってそれが音楽をするということに繋がったのでしょうが、TMになってからある日突然「せーの」で出すとまとまりに欠けます。
    それくらい3人の音楽性はバラバラなのでしょうが、そこで小室さんがリーダーになって「企画」優先になったのかな、と。
    そこでニューロマンティックスやバグルスやその当時のシンセ音楽、加えて小室さんのルーツのジョルジオーモルダーだったりするのが繋がったのでしょうね。
    ポコ太さんの仰られるようにインストもので挫折した小室さんが「歌物」を考えたのがオーストラリア人の謎のマイクであり、そしてウツさんだったのでしょうがそれまでの繋がりはあるにしろ結成時点で音楽性が統一されていないのは異常事態ですよね。
    そこで「企画」が先行して音楽性から活動の在り方みたいなものまで全て小室さんに委ねられてきたのがズバリTMなのでしょうね。
    ポコ太さんの記事を読みつくづく感じるのはTMって実はとても人間臭い汗臭いバンドだったんだなと思います。都会や都市的な育ちがありまた逆にコンプレックスが感じられるというか。でも苦労を見せないで難しいことや受け入れることができないことでも実はサラッとやってみせてるのもまた3人の柔軟性であり共通したところなのでしょうね。

    まとまりませんが。長文失礼しました。また以前からのコメントで不快させたこともありましたら申し訳ないです。
    ポコ太さんの特撮ブログ楽しみです。できましたら超新星フラッシュマンのことも少し触れていただけると嬉しいです^^。

    追伸 本当は直接小泉さんにもお礼を言いたいところですが、そう簡単にはいきませんのでもし宜しければ何かの機会がありましたらポコ太さんからお礼を伝えておいてくださいませんでしょうか。
    小泉さん、ポコ太さん大変興味深い話、良い話を聞かせてくれて本当にありがとうございました。

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    1. Mさん

      >>小坂さんの言い方としては「小室君のやってる音は良いけれど、僕の仕事は歌物だからそれしか受けないよ」と仰りたかったのでは

      まさしく仰る通りでしょうね。更に言えば小坂氏個人だけでなく、
      当時の Epic Sony のカラーというか方針だったんでしょうね。

      たまに丸山氏などがぶっちゃけてる様に、コンテストの前から Epic でのデビューはほぼ固まっていた様ですから、もう82年後半くらいから小室氏はアタックをかけていたんでしょうね。ただそこで小坂氏があんなことを言うということは、肝心の内容(バンドなのか個人なのか?ジャンルは?など)が確定していなかったのではと思います。

      GROOVE GEAR のデモテープ説明に『「君に会えて」の原曲も入っていた』とあるのを見ると、下手すると最初にモーションをかけた時はTMじゃなくて STAY を売り込むつもりだったのかもしれませんね。

      こちらにもコメントをいただくGAUZEさんと以前お話ししていた時、「TMって日本のバンド史みたいなのを作ろうとした時、どの系脈の中にも置き場所がない」とおっしゃってまして、それが僕の頭にはずっと残ってたんですよ。
      それで今回、現時点での自分なりの考えをまとめてみようとしたわけです。

      この辺りは小室氏としては、
      あまりカッコいい話ではないと思っていらっしゃるんでしょうかね?
      30年も続いた以上、もう十分に『それも必然だった』と思うんですが。



      >>以前からのコメントで不快させたこともありましたら申し訳ないです。

      とんでもございません。しっかりとしたコメント、いつもありがとうございます。



      >>フラッシュマンのことも少し触れていただける

      あのですね。僕にとって80年代戦隊の頂点がフラッシュマンなんですよ。
      まさか戦隊の最終回で泣くなんて思いませんでした。(ちなみに当時、既に高校生…)
      なので書くなと羽交い締めされても書きますよ!(鼻息)

      ただ、この重箱Blogが「ファンの方に読んでいただく」ことを前提にしているのに対して、あちらのポコポコBlogの特撮記事は「興味ない人の道を誤らせる」のが目的ですので、暫くは作品論よりは、重箱の隅を突く様な内容(← 結局コレ)がメインになります。まずはお試し気分で味わってみてください。よろしくお願いいたします。

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  7. ポコ太さん、ありがとうございました。

    またまた、的外れで怒らせてしまうかもしれませんが、私がTMの何が好きでFANKSを名乗っているのか突きつけられて、感動と衝撃で苦しいです。

    自身ではどうかわからないのですが、私はいつも変わっていると言われて知らないうちに人を怒らせてしまっていじめられたりもして、この世界に生きてることに違和感を感じてたんです。

    それが、タイムマシンに乗ってやってきた人が居る!ということを知ったとき、頭ではFANTASYとわかっていながら、心の底から私もそうなんだ、元々この世界に生まれついたものじゃないからうまくやっていけなくてもしょうがないんだ、と救われたんですね。

    だからFANKSは世界と自分をつなぐ合言葉、TMが世間で受け入れられてるのを見て、ああいう風に上手くやって行こう、人気がなくなって来ると辛すぎて心を切り離してしまってたんです。

    だいぶ普通になれたつもりだったのですが、隙間風の項が、私には心が壊れてしまうぐらいの衝撃で、私が小室さんなら生き延びられなかったので現状をどうか許してあげてください。

    みなさまがどんなふうにTMが好きなのかを知れて、本当にありがたいです。I amでウツがギュッと手を握って情報を飛ばしてくるイメージがリアルです。もっと人間になれると信じて生きていけます。

    ポコ太さん勝手に恩人で、尊敬してます。ポコラーとして、怖がらせないように距離をとりつつついていきます☆

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    1. EMIさん

      書きづらいことも率直に書いてくださり、ありがとうございます。
      せっかくの機会ですので、こちらも率直に書こうと思います。


      最初のインタビュー記事でこの話を外したのは、結局その辺なんですよね。
      自分の中でTMファン層の許容量が見えなかったというか、
      正直に言ってあまり信じられなかったというか。

      だから、単に「小泉洋という人がいたんだよ」というだけなら、
      この追記エントリーはなかったと思います。


      ただ、とても重要な点なのでしつこく書きますが、
      80年代TMブレイク時にまとっていた「テクノロジーを駆使したハイテクグループ」というイメージ戦略を、デビュー時に具現化できたのは小泉氏の存在があったからこそです。
      つまり氏の蒔いた種が2〜3年かけて、やっと花開いたともいえるわけです。

      今回書いたように、TMはアマチュアの時代から何年もかけて
      「俺たちはこういう音楽をやるんだ」とのし上がってきたグループではありません。
      デビュー時にパソコンがなければ、もうそれだけでその後のサウンドや活動が全然変わっていたでしょう。
      結果ブレイクにも至らず、多くのファンがその名前を知ることもなかったかもしれません。


      それなのに、その仕事の重要性どころか存在すら多い隠されている。


      昨年の11月初旬インタビューさせていただいた日、帰りの電車に揺られている時から、
      このエピソードを書くに至った数ヶ月、もう迷いに迷いました。
      恥ずかしながらそのせいで、生まれて初めて胃を痛めました。
      現在も治らず、医者に通っている状態です。


      そんな中、自分にとって昨年もう一つ非常にショックだったのが、
      例のゴーストライター事件でした。

      今更カマトトぶるような歳ではありませんが、
      それにしてもあれほど多くの人々が音楽そのものではなく、
      ストーリー、虚像のほうに意味を見いだしていた。
      結局、世間にとって重要なのは音楽じゃなかった。
      という事実をまざまざと見せつけられて悲しく、そして無力感にさいなまれました。



      僕は、TM NETWORKはアイドルではなくアーティストであってほしいと思います。

      The BeatlesファンもYMOファンも
      その活動期に起こった人間関係の軋轢を受け止めつつ、
      それと『彼らの音楽の素晴らしさ』とは別のものであることを知っています。
      (さらに言えば、その緊張感が素晴らしい楽曲に昇華されたことも)

      TMファンにもメディアに彩られた虚像ではなく実像を、
      そして純粋に音楽そのものを愛してほしい。
      一度、TMファンを信じてみようと思いました。



      こうやって文字にしてしまうと、とても不遜な態度に見えるでしょうが、
      自分の中にこういう思いがあったのも、否定できないところです。



      まぁとにかく、僕の役目は終わりました。(胃は治ってませんが)
      EMIさん含め、皆さんにバトンは渡せたかなと思っています。
      そのバトンがどうなっていくのかを、僕も1ファンとして見守っていきたいと思います。


      以上、勝手なことばかり書きましたが、
      偽らざる気持ちということで受け止めていただければ幸いです。

      今後もよろしくお願いします。

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    2. ポコ太さん、ほんとにほんとにありがとうございました。
      ポコ太さんの音楽に対する情熱と、胃を痛めても使命を全うされる姿勢が
      感謝してもしきれないです・・・。

      バトンをいただけたということは、信じていただけたでしょうか。
      TMもより深く好きになったし、小泉さんの情熱を噛みしめながら三枚のアルバムも聞いています。
      生きているうちに知れて良かったし、知れた責任も少し分けてください。
      そして、胃を治してください。真剣なお願いです。

      小泉さんと小室さんの望んでいる未来がきますように。

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  8. 連載お疲れ様でした。まずは充実の記事を書いていただき、大変読み応えありましたので、
    ありがとうございました。

    内容については色々と思うところはありますが、このプロセスあっての今であり、
    歴史のたらればをあれこれ言っても仕方ないのですが、
    ただ、確かに『1人の若者の ”情熱をかけた仕事の足跡” がかき消されている』
    ということは、あってはならない、というのはその通りですね。
    その点、こちらに書いていただけてよかったと思います。

    この重箱ブログ、開設時から見ておりますので、引き続きこちらも宜しくお願い致します!

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    1. youさん
      ありがとうございます。

      ただ、ここに書いたのは
      「その存在、重要性を認識してもらう」という、本当に最低最小限のこと。
      やっとスタートラインが見えてきたというレベルのことだと考えています。

      インタビューの最初に宣言したように、今回は仕事面と言うよりは
      メンバーの旧友という側面からお話しを伺いました。
      お読みくださっている方の中にも本来なら
      プログラマーとしてオペレーターとして「なぜそこの技術的なことを聞かない!」
      と、もどかしく思われてる方も多いと思います。

      これは本来、専門誌やプロのインタビューの人の領域だと思い、
      あえて譲った部分もあるのです。
      これを見て飢餓感を感じた方々が、
      公にプロのインタビューをしていただけるとうれしい。
      というのが僕の個人的な欲です。


      >>引き続きこちらも宜しくお願い致します!

      また次回からへなちょこやってきますので、こちらこそよろしくお願いします。

      削除
  9. 小泉さん関連記事の連載がとうとう完結してしまいましたね。本当にお疲れ様でした。もう自分の陳腐な言葉では感想を述べられないほどの充実した内容に溜飲が下がる思いです。

    「真実は小説よりも奇なり」。

    いろんなバンドやグループにはそれぞれの歴史があり様々な紆余曲折や人間模様が複雑に絡みあってそのバンドの音楽表現に独自性が生まれ、上の言葉のような非常に重厚なバンド物語が育まれることはよくあります。
    TMの歴史もまさにそうで表面的なストーリーでは掴みきれない重い葛藤や苦悩なども密接に絡み合った上であの素晴らしい作品の数々が形作られていることを今回の記事で改めて実感いたしました。これからもTMの3人と小泉さん・TMに関わった全てのスタッフが紡いだHUMAN SYSTEM=人間関係を思い浮かべながら聴くことによって、稀代のエンターテイメント・ミュージック・ユニット「TM NETWORK」という存在がまた違った形で光輝くものになるような気がします。

    そして、願わくば小室さんと小泉さんが元気なうちにいつか2人だけのANOTHER MEETING=もう一つの再開が実現されることを心から望む次第です。

    ポコ太様、いろいろお忙しい中大変でしょうが重箱ブログこれからも楽しみにしております。次の更新もお待ちしてますよー(^^)/。ではでは。



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    1. GAUZEさん
      なんだか言うべきことを全部言われてしまったような気がする(笑)

      上の方のコメントで勝手に名前を出させてもらったけど、
      やはり昨年の正月、お宅に伺った時話してた、
      「日本のバンド経絡におけるTMの居場所の無さ」と言うのは、
      ずっと頭に残っていて、本エントリーの執筆同期の一つとなりました。
      この件はまだまだ奥がありそうなので、また語り合いましょう。

      その他の部分も全く同意です。
      TMとはまた別に人生自体はまだまだ先が長いわけだから
      これからもいろんなことが起こるだろうと期待しています。


      >>次の更新もお待ちしてますよー

      う、が、頑張ります!

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  10. こんばんわ。
    「TM NETWORK の重箱」より重い番外編だったのではないかと思います。本当にお疲れ様でした。

    小泉さんと小室さん、似すぎるほど似ていたから小泉さんの成功を頭では分かっていても心がついていかなかったのかな。でも、でも、前回を読んだ後につぶやかせてもらいましたが、もう30年も経っています。二人がまた笑って話せるようになってほしい。誰かが少し二人の背中を押してあげたら、「あの頃は若かったよね。」「色々あったけど楽しかったよね。」なんて言い合えるのではないかと思ってしまいます。

    そして、私がTMにはまった理由の一つに、音楽やライブはあんなにカッコイイのにラジオで話している時はぐだぐだののほーんとしたギャップだったんですよね。今回の記事を読んでそのぐだぐだ感がTMがここまで続いた要因なのかもと感じました。

    30周年のパンフでのコメントで、小室さんが「ここまでついてきてくれた二人に感謝です」というような事が書いてあったと思うのですが、そのコメントがTMとして活動していた時だけのことではなくそもそもTMを結成するということから含んでいるのかもというのは考えすぎでしょうかね。読み終わった後このセリフがふと頭に浮かびました。

    いつものごとくまとまりのない文章で失礼しました。
    新ブログは、今の戦隊は多少ついていけるかなーというとこですね。(リアルタイムの息子がいるので)とともに本職の重箱の更新も待っております(笑)

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    1. にゃろさん


      >>もう30年も経っています。二人がまた笑って〜

      もうその点は、にゃろさんの仰るとおりで、僕が口を挟む余地はありません。
      小泉さんもサバサバと「あの頃は、まだみんな若くて尖ってたしね」と仰ってました。

      これからも続く人生で、それぞれいろんな出会いが待っているのでしょうけど、しかしどんなに新しい出会いがあっても、過去の大切な時間を共有した仲間と『新たに出会う』ことは出来ないわけですから、その貴重さは皆さん分かっていらっしゃるはずだと思います。


      >>ラジオで話している時はぐだぐだののほーん

      昔、愛知の方で『TMの音楽は大嫌いだけど、トークは面白いからラジオを聴いている』という、メンバーから見たら本末転倒な方に会ったことがあります(笑)


      >>「ここまでついてきてくれた二人に感謝です」

      今回書いたように、出発の時点では音楽的にあの2人である必要はないわけです。
      言葉悪く言えば、デビューという当選に向けて集った選挙互助会。
      もしこれが2〜3年早く、木根氏がまだまだギラついていたころに結成されていてら、あっという間に路線対立が起こり、分裂していたと思います。

      しかしデビュー後、とにかくバラバラなりに皆頑張って暗中模索してきたわけで、小室氏が言うから目立つけれども、他の2人ともお互い様の気持ちでいるでしょうね。


      >>今の戦隊は多少ついていけるかな

      ふふふ、何度もコメントしていますが『ついて来る』必要はありません。
      僕が皆さんをひつじ牧場の犬のように後から追いたてていきますから。
      覚悟してください(含み笑い)


      >>本職の重箱

      本職じゃねーよ!

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  11. はじめまして。

    いろいろ考えながら、小泉さんのエントリーを最初から読みました。
    個人的に、小泉さんのTM以外の音楽活動により興味を持ちましたね。
    情報がほぼネット上にないことも含め、小泉さん自身のスタンスもなんとなくわかる気はしましたが...

    重箱のスミの方もずっと読んでますので(笑)、これからも楽しみにしてます。

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    1. すみません、返信の場所を間違えてしまいました。すぐ下の新規コメントがそれになります。ご確認ください。大変失礼しました。

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  12. cocteau666さん、どうもはじめまして。
    わざわざコメントいただきありがとうございます。


    >> 小泉さんのTM以外の音楽活動

    一度市場から姿を消すとなかなか耳にする機会がないCDと違って、配信の時代ですから、せめて「Smart Drug」くらいは聴けるようになるといいんですがね。
    基本的に歌ものですけど、小泉さんがギターを弾きまくってる曲なんかは、フレーズや音色だけじゃなく全体の音場まで思いっきりZepみたいな曲もあって面白いですよ!


    >>小泉さん自身のスタンスもなんとなくわかる気はしましたが...

    僕もそれは気になっていて、今回平穏な日々を荒立ててしまったのではないかと気になっています。


    >>情報がほぼネット上にない

    直接関係ないけど、世の中に「コイズミヒロシ」っていう人が多すぎるのも、それに拍車をかけているような気がします(笑)


    >>これからも楽しみにしてます。

    ありがとうございます。
    ここからまた急速にしょぼくなりますが、どうぞよろしくお願いします。

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  13. はじめまして。
    興味深い記事が多くて感嘆の念を禁じえませんが、やはり小泉氏関連の記事は別格でした。
    考えさせられますね。

    音楽性や活動に大きな影響を残しながら、初期、あるいはブレイク前にいなくなってしまうメンバー/準メンバーがいるバンドやグループの系譜ってありますよね。

    ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズあるいはイアン・スチュワート
    ピンク・フロイドのシド・バレット
    キング・クリムゾンのイアン・マクドナルド
    ジェネシスのピーター・ゲイブリエル
    ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノ
    メタリカのデイヴ・ムステインあるいはクリフ・バートン
    レッド・ホット・チリ・ペッパーズのヒレル・スロヴァク
    マニック・ストリート・プリーチャーズのリッチー・エドワーズ
    聖飢魔IIのダミアン浜田
    筋肉少女帯の三柴江戸蔵
    ダチョウ倶楽部の南部虎弾

    まさかTM Networkにもそういう存在の方がいたとは・・・。
    しかもその活躍がほとんど伏せられていた、というのは異例ですね。
    情報が半ば意図的に絞られている、という意味ではアルフィーの三宅康夫氏なんかも連想しましたが、おそらく影響の度合いでは比較にならないでしょう。
    バンドには離合集散ってわりと付きものだったりすると思うんですが、そこにどんな葛藤があるのか、その一端だけでも知ることで心が震えました。


    あと、YOUTUBEにあがっていたFieldsのWalk This Wayを聴いてみましたが、けっこう気に入ったので小泉さんという人にさらなる興味が湧いてしまいました。
    小室さんと小泉さんが再び邂逅されることを望むのと同時に、勝手な願いだけれども小泉さんにはできれば何らかの形で表に出るような音楽活動を再開してほしいな、とも思いました。

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    1. 煎茶様
      こちらこそはじめまして。コメントありがとうございます。

      基本的には今も同じなのでしょうが、特にnetの無かった時代は事務所の発表が全てでしたものね。
      ただレベッカのシャケみたいに脱退前後でバンドの音楽性も変わったのならともかく、TMとパソコンですからね。80年代の活動には、凄い影響を残してると思いますよ。

      他のことならともかくミュージシャンである以上は、音に関わる部分に関してはつまびらかであってほしいと思います。


      >>アルフィーの三宅康夫氏

      この方は初めて知りました。
      僕、アルフィーって聴いたことないんですが、そんな僕ですら邦楽の3人組というとアルフィーをまず思い浮かべていただけに、元は4人組だったとは驚きました。

      それに比べ、ダチョウ倶楽部の南部虎弾 ← これって地味に有名な気が…。
      ORIGINAL LOVE の田島貴男が PIZZICATO FIVE の先代ヴォーカルだった、程度には有名だと思う。ってどの程度なんだろう(笑)


      >>何らかの形で表に出るような音楽活動を再開してほしいな、とも

      僕も全く同じ思いです。
      また、配信やストリーミングの時代となった今なら、絶盤になっていた旧作も陽の目を見れるようにしてほしいなと思っています。



      また、気が向いたらコメントしてください。
      どうぞよろしくお願いします。

      削除
  14. コメントするのがずいぶん遅くなってしまいましたm(__)m

    最初に思ったのは、人間らしいなぁ〜、と。
    雑に他ジャンルの話を交えますが、江川ー小林両氏のCMを思い出しました。

    小室さんが昔ながらの気質ってのは、
    カイキゲッショク Burning loveリリース時に、InterFMに出演され、参加の経緯について
    「ジブラもそうだけど」「内田裕也ファミリー」だとおっしゃていた時にも感じました。
    (このあたりgauzeさんがお詳しいです)

    TM が「変」だというのは、コピーしようとすると否応なく突きつけられますね。
    35周年を迎えたシティーボーイズ ライブについて大竹まことさんがラジオで「演劇でもない、お笑いでもない、ファンの皆様はとてもよろこんでいただける、けど誰もレビューする人がいない」とおっしゃていたのを思い出しました。
    TMの独自性、TMはお三方がそれぞれのバックボーンとは違う音楽を全力でやってくださっていたからこそ、こんなにも幅のある魅力的な活動をされてきたんですね。TMの成り立ちアイデンティティーにもポコ太さんの視点から迫ってくださってありがとうございます。

    小室さん、この数年で、一番の音色を聴かれた際にメニクラとともに永遠のパスポートの間奏の音色を挙げられたり、今まで触れられてこなかったLOOKにも触れらたり、5.24 wowowTM8時間半放送時のインタビューでも「パルコは3人」というフリに「もう一人」と仰った部分が放映されたり心境に変化があったんじゃないですかねぇ。次の機会にはぜひ初期の脚色されていないご苦労話も読んでみたいものですね。

    大変な思いをされながらステキな音楽を紡いでくださって、今回インタビューに応じてくださった小泉さんにも、多大な労力を割かれて執筆してくださったポコ太さんにも、遅れてきたファンからも改めて感謝したいです。ありがとうございました。

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  15. とりあえず今は、もっともっとエモーショナルでいくことにする。
    ・・・・この箇所、ものすごく「ツボ」に入りました。
    やはりポコ太さまは「お笑いの才能」があるかと思います。

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    1. どうもありがとうございます。
      多分こちらのエントリーへのコメントですよね。
      http://tm-network-ju-bako.blogspot.jp/2015/08/fanks-live-2.html


      みなさんに笑っていただくのはやぶさかじゃないんですが、
      そうは言っても寂しいんでものですよ。
      誰もいない部屋で1人パソコンに向かって、
      延々とコマ送り再生を繰り返してる姿ってのは…。

      コマ送りなので音は出てないですからね!
      おまけに人間か背景かの分け隔てなく、全体を1つの画として見るので、
      結局写ってるのは何かってあんまり関係ないんですよ。
      たださっきのカットから何か変化があったかどうかだけがが重要なので。

      つまり曲は聴いてないし、写っている人も見てない。

      なので、やってる途中に冷静になったら負けなんです。
      ほんと、誰に頼まれてやってんだろう…。

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