2014年12月30日火曜日

祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その1】☆ 1974 〜 Sixteen あの頃の気持ち




さて予告通り、今回このBlogは
「TM NETWORK の重箱のスミ!」ではありません。

                    です!

いつもとは体裁が異なりますことを御了承下さい。



これから3回に渡って御送りする【小泉洋氏インタビュー】
今回は第1回ということで、前置きが長くなりますが、
重要な注意事項を含みますので、必ず目を通してください

まだ前回のエントリーを読まれていない方は、
より理解を深める為、是非そちらから御覧ください。







さて、本題に入る前に
前回のエントリー以降、皆様から寄せていただいた御意見を拝見していると、
TM NETWORK ファンの方には、その後の小泉氏の活躍を御存じない方が多い様ですので、
僭越ではありますが、氏の簡単な経歴をまとめさせていただきました。

シンセサイザーや、80年代のPOPS,ROCKに興味がある方でしたら、
あの「ハンマー」のメンバーだったというだけで、伝わるものがあるはずです。





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【小泉洋】

1984年 TM NETWORK のコンピュータープログラマー・
シンセサイザーオペレーターとして、プロのキャリアをスタート。

85年、ムーンライダース・オフィスに所属し、森達彦氏率いるプログラマー集団
「ハンマー」のメンバーとして、数多くのレコーディングに参加。

90年代以降はサウンドプロデューサーとして、活躍の場を広げる。


参加した曲は約2500曲。
ただし職業柄クレジットされていないことも多いため、実際の参加曲数は不明。

  【主な参加アーティスト】
  ・大江千里・KUWATA BAND・ネバーランド・LOOK・徳永英明
  ・STARDUST REVUE ・FENCE OF DEFENSE・ARB・五木ひろし
  ・辻仁成・KAN・中西圭三・南野陽子/その他アイドル多数

  ・こんな人をプロデュースも(!)









さらに90年代終盤からは「FIELDS」~「Smart Drug」で
ギタリスト&コンポーザー “HIROSHI” としても活動。





















ちなみにポコ太、この辺まではわりとリアルタイムでおさえていたつもりだったのですが、
当日のお話で「90年代は小林信吾氏と親交が深かった」と伺い
帰宅後、慌てて自分の所有していた小林信吾氏のソロアルバムを確認。

確かに『GENERAL PRODUCER : HIROSHI KOIZUMI』とクレジットされていました!





















その他、多くのヒット曲に関わられており、
皆さん、実は知らないうちに小泉氏の作った音に囲まれていたはずです。








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はじめに


11月初旬、ポコ太は都内にある
小泉氏所有のマンションにお邪魔することになりました。

最初はどこかの駅で待ち合わせ、近くの喫茶店でお話しを伺う、
という腹づもりだったのですが、小泉さんからは意外な提案が…

『だったらウチにおいでよ。自慢のたこ焼きを食べさせてあげるよ!』

さあ大変、この瞬間
  ・たこ焼き → 食べられる
  ・TM NETWORK → 食べられない
よって、たこ焼き = WIN

と、頭の半分はたこ焼きに乗っ取られてしまうポコ太の思考回路の闇のラビリンスぶり!





         …最初に謝っちゃうよ…ごめんね、みんな…。
       これが、おふざけで書いているのではないことは最後に…。





さて前回書いたように、氏には、
  ・コンピュータープログラマー・シンセサイザーオペレーターとしての小泉洋
  ・小室哲哉の旧友であり、音楽仲間であった小泉洋
という、ふたつの側面があります。
限られた時間(とはいえ6時間も居座りましたが)で、いきなり全てを伺うことは不可能です。

そこで今回は『古い音楽仲間としての小泉氏』に的を絞ることとしました。
というのは、前エントリーで書いたように、
そここそが数多い他のサポートメンバーと小泉氏との、大きな違いだと考えるからです。


さらにその前に、今までほとんど表に出ていない、
小泉氏自身の来歴などから、まずはお伺いするべきと判断いたしました。
やはり、物事には順序があると思う故です。

特に「そもそもギタリストだった小泉氏が、
なぜコンピューターやシンセサイザーを担当することになったのか?」
というのは、長年ポコ太が気になっていた点です。






さて、指定された駅の改札に予定時刻の10分前に到着したポコ太。
わざわざ小泉氏が迎えにきてくださるとのことで、
たこ焼きが…いや、ワクワクが止まりません。

とはいえ、ポコ太の知るそのお姿は30年も前。
しかも正面からはっきりと写っている画像などは、数える程しか残っていません。

はたして迎えに来ていただいても、すぐに判るのかどうか。
いや、既に横に立っているこの人が実はそうなのでは…?
疑心暗鬼に落ち入りかけたそのとき。


「初めまして、小泉です!」


ポコ太の不安は一言で吹き飛びました。
「写真は勘弁してよ(笑)」とのことで、控えさせていただきますが、
現われるなりハツラツと手を差し出された、そのちょっとはにかんだような(失礼!)
表情は、まるっきり下の画像のまま!


あ、この人だ!
30年の時を一瞬にして飛び越え、あの小泉洋氏が現れました。
ではいよいよ小泉洋氏、初の生声を御送りいたします!
































と、そのまえに…







読者の方へのお願い


小泉氏は最初のコンタクトの段階から
『当時のことは、もうあんまり憶えてないんだよね。期待にそえるかどうか…』
と、気にされていらっしゃいました。

そこで当日、インタビューに入る前に記録用の録音許可をいただくとともに、
こちらのスタンスを説明させていただきました。

  ・メンバーを含め、誰かの発言をそのまま鵜呑みにするつもりはない。
  ・よって今回の話だけをもって、事実・結論・正解とは考えない。
  ・しかし一人一人はバラバラであやふな記憶でも、
   別の側面からの情報が出ることによって、多角的な検証が可能になると考える。



そのうえで、こちらとしては御会い出来ただけで光栄です。
30年も前のことなので、記憶が曖昧なのは当然ですから、
どうぞ気楽に昔話のつもりでお話し下さい、と申し上げました。

実際にお話を伺って、小泉氏の記憶に非常にムラがあったのは事実です。

しかし、小泉さんもその点は御配慮下さったようで、
分らない・憶えてないことは否定も肯定も断定せず、
率直に「憶えてない」と答えてくださりました。

よってこれは言葉通り『憶えていない』ということであり、
否定でも肯定でもない、という点には御注意下さい。




    余談ではあるが、先日放送されたラジオ
    「TM NETWORK プロデュース SUPER EDITION」での発言を聞いても、
    "フレッシュサウンズコンテスト決勝戦での鉢巻き&ギター” や、
    "よみうりランドから衛星中継” など、
    現在のメンバー自身も、記憶があやふやになっていることがわかる。

    また木根尚登氏が20年前に書いた「電気じかけの予言者たち」ですら、
    意図的かそうでないかはともかく、事実とは違う点が散見される。
    これに関しては初版の帯に書かれているように
    『TM NETWORK “ストーリー”』として捉えるべきだろう。




また、御自身が離れて以降の TM NETWORK の活動はほとんど御存じなく、
お宅に伺った2014年11月現在、30周年のツアー中であることも、
ポコ太を通じて初めて御知りになったような現状でした。

よって当インタビュー中のいかなる発言も、他のメンバー・スタッフの発言に対する
リアクションではないということも御了承下さい。



この小泉氏インタビューは、今回から
  ・デビュー以前
  ・1984年
  ・1985年
と時期に区切り、3回に分けて御送りする予定ですが、
発言自体は小泉氏のものでも、それを切り取って再構成した時点で、
全ての責任はポコ太にあります。

問題、ご意見等ございましたら、
コメント欄、あるいはTwitterのDMからポコ太にお寄せ下さい。











         では、大変お待たせいたしました。
         本邦初!【小泉洋氏インタビュー】スタートです。
         (文中の注釈はポコ太が付け加えたものです)








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♫ 林檎かじって (1) 〜Let It Be


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ コンピュータや、TM 云々はさておき、
     まずは本来の ”ギタリスト・小泉洋” としての、話をお聞かせ願えますか。
◯ 中学入ってバンド組んでたのね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみに当時、憧れたのは?
◯ The Beatles だろうね。(即答)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ リアルタイムですよね。
◯ うん、そう。
「Let It Be」(シングル)が出た時に買ってるから、それが小学校5年の3学期かな。
そう、一番最初に買ったレコード…というか買ってもらったんだろうね。
それが現役での「Let It Be」
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小学生が、どういうきっかけで The Beatles を?
◯ 多摩の小学校から…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さっき、生まれは幡ヶ谷と伺いましたが…
◯ 小学校5年の3学期で多摩市桜ヶ丘に引越して「多摩第二小学校」て所に入ったの。
でその時、本当は兄貴の為に頼んでた家庭教師を、
俺が(早稲田実業学校・中等部を)受験するからって取っちゃたんだよ。

その家庭教師…大学生だよね…がビートルマニアでさ、
黒のタートルネック着て、みたいな…分かるよね?
今じゃ普通だけど、当時としては斬新なオシャレというかカッコイイお兄ちゃん!みたいな。
その人が(レコードを)色々貸してくれて、聴いてたのが初めかな。
「Strawberry Fields Forever」とか、子供心に幻想的っていうか世界に入っちゃってさ。
凄くいいなぁって。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも、小学校でそういうの聴いてる子って周りにもいたんですか?
◯ いなかったよね。変わってたとは思うよ、そういう意味で。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ じゃあ、音楽の仲間というのは中学に入ってから?
◯ うん。その頃、中等部で俺が組んでたバンド仲間は名前を言えば小室も知ってると思うよ。Bassの遠藤君とか…(笑)
あいつ(小室氏)は高校から入ってきたけど、ウチは中高一貫だったから。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ しかし当時、中学そこそこでエレキギター持ってるって他にいないですよね?
◯ そうでもないよ!そこはちょっと言い方悪いけれど、うちは私立でしょ。
実業家の息子さんが多いので、だからそこそこの小金持ちみたいな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、なるほど。でも、そうなると今度はバンド組もうとすると、
     花形のギターの座は取り合いだと思うんですが…。
◯ そこはもう、小学校の頃から弾いてたっていうアドバンテージがあったからさ、
子供は子供なりにね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(部屋の隅に立てかけてあるガットギターを見つけて)小学校の時はガットですか?
◯ うん、そう。それで中2の頃にエレキを買ってもらったのかな?
で、高校あがって小室と…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?もう、そうなるんですか? 僕としてはもっと後に来る話だと思っていたのが、
     いきなり来ちゃったんですけど(笑)









♫ タイムマシンにおねがい 〜小室哲哉との出会い


◯ あいつは高校から商科に入ってきてね、
高校入学式の日にパッと見て「あ、こいつ何かある」と思って声かけたの。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?小泉さんの方から声をかけたんですか?!
◯ うん、「何かやってる?」って。
「音楽とかやってる? やってるだろ?」って言って。
そしたら、こうこうでキーボードでやってるって。
サディスティック・ミカ・バンドが好きだって…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?!
◯ そんな話しして、でそのまま小室の家に行ったんだよ、
その日のうちに。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?!
◯ それであいつの家でエレクトーンで…あいつまだシンセとか買えないからね、
ミカバンドの「タイムマシンにおねがい」なんかを弾いて
「うわー弾けるじゃん!何かやろうぜ一緒に」って話してたんだよ。入学式の日にもう!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 話が早い…。でも、高校の入学式って事は、
     小室さん、別に目立つ派手な格好をしてたわけじゃないですよね?
◯ うん、雰囲気っていうか、大げさに言うとオーラ?
俺は昔からそういう点では恵まれてるっていうか、
こいつ何かあるなっていう奴と出会うことが多いんだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
で、それからもう哲っちゃんとは腐れ縁だよね(笑)
高校・大学時分はあいつもよく言ってたけど、
「洋ちゃんさぁ。絶対、家族といる時間よりも洋ちゃんといる時間の方が長いよね」って。
ていうのも高校・大学の頃は週の内、
半分はどちらかの家に泊まってるような状態だったもの(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?!
◯ もうお互いの家なんて車なら5分の距離だからね。
だから「洋ちゃん、ギター持ってこれから来ない?」て電話が来て、
お母さんとかも、もう顔見知り。
それでギターを担いで小室の部屋…中二階に小室の部屋があったんだけど、
そこでセッション!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?音を出して?
◯ 出てる出てる。小さいアンプ使って。
小室も大学時分にはシンセ、何かあったんだと思うんだよポリフォニックの安いのとか。
で、哲っちゃんが「こんな曲作ったんだ」って言って、
「洋ちゃん、ギターあててみてよ」なんてことやってたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 音出てるんですよね?
◯ 小っちゃくね。親もいるし、木造だから。
ただ、あいつの家は南武線の線路沿いにあったから、
それなりの造りはしてるし、電車通ったらそれどころじゃないし(大笑い)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (笑)一緒にコンサートに行くなんてこともありましたか?
◯ そういや Queen のLIVEに行ったなあ、哲っちゃんと。
行ったっていうかバイト(物販)したんだね。小室に紹介されて。
あいつ、そういうところ行動的だから
「こういう仕事あるんだけれど、ただで観れるよ」って。
まぁ実際は観れないけどね、そんなに。こっちは仕事してるわけだから。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも物販だったら本番が始まったら少しは手が空くんじゃないですか?
◯ あ、まあね。だから哲っちゃんとちょっと覗きに行ってさ。
それ見て二人で「俺たちも頑張ろうね」とか話したよ。


 (注)この物販エピソードは小室氏本人も1990年「Digitalian tour」のMCで
    語ったことがある。小泉氏もその場で一緒だったわけだ。









STAY 〜And sing one more song...


◯ 実は18歳の時、一度2人でデビューしてるんだよ。
哲っちゃんキーボードで、俺はギターで、ギズモってバンドだったんだけど…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?ちょっと待ってください。
     ギズモって、小泉さんも参加されてたんですか?!
◯ うん、ギズモの初代ギタリストは俺だよ。
ただプロデューサーの人が、もともと別のギタリストに目をつけてたみたいなんだな。
それですぐ外されちゃって、その時は哲っちゃんが
「洋ちゃんごめんね、どうしても別の人使わなきゃいけないみたいなんだよ…」
って、泣きながら電話してきてくれたの憶えてるよ。

ただその後、ギズモは有名になったわけじゃないから、うまくいかなかったんだろうね。
そこから哲っちゃんはスピード・ウェイに流れていったんだと思う。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そしてスピード・ウェイの後、小室さんはさらに STAY を結成され…
◯ あ!STAYの頃、まだギター弾いてたよ俺。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?! STAY も参加されてたんですか?!
◯ うん。要は当時、哲っちゃんが Jackson Browne が好きで「Stay」って曲あったじゃない?
♫~ People stay just a little bit longer ~ っていう、あれから名前とったんだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ「STAY」って、そこからきてるんですか!
◯ うん、だから俺が弾いてた最初の頃のライブは、
いつも〆にあの曲やって終わってたんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小泉さんは STAY を抜けたあとも、別のバンドを?
◯ 俺も記憶は定かじゃないんだけど、自分は自分でバンドをやってたんだと思うんだ。
プロ目指してね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それはあくまでギターですよね?
◯ うん、そうそう。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみに小泉さんがそのころ組んでいらしたバンドはどういう音だったんですか?
◯ ロックギターだったよ。ツェッペリン好きだったし、グラムロック好きだったし…。
自分で言うのもなんだけど、バカウマだったよ(笑)
Van Halen の「Eruption」なんて平気で笑いながら弾いてたもん。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へ~。もう完全にバリバリのギタリストじゃないですか(笑)


 (注)ここで小泉氏の音楽的趣向も伺ったのですが、
    ここでは一切合切、すべてバッサリとカットさせていただきます。
    何故なら、小室氏のソレと『完全に一致』だから(笑)

    そこで「あえてココは小室さんとは違う、てところはありますか?」
    とお尋ねしたのですが、小泉氏は腕を組みしばしウ~ンと唸った後、
    一言「無い!」とのことでした。
    あえて言えば、御本人がギタリストということで
    憧れていたのはジミーペイジとのこと。
    ただそれも「ギターというより、まずは曲だよね」とのことでした。









♫ 林檎かじって (2) 〜Hello World.


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さて、そんなバリバリのギタリストだったのに
     それがいつ、どうして、コンピューターになったんですか?
     そもそもコンピューターは音楽の興味で? それとも全然別で?
◯ ああ、全然別で AppleⅡ(注)てのがあったよね?。
それを大学時分、バイトかなんかして買ったんだよね。たぶん凄く高かったと思うんだけど。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ということは、もうそういうテクノロジーには興味があった?
◯ あ、うん。好きだったんだね。テクノロジーというか、そういう先駆的なものが。
それで初めはゲームしたりもしてたんだけど、結局いろいろやってるうちに、
AlphaSyntauri(注)っていうのが、パソコンを使ったシンセになるらしいとか
創成期だからいろんな情報や試行錯誤があった時代なのよ。



 (注)Apple II
    Apple Computer(現・Apple)が発表した “パーソナル” コンピュータ=パソコン。
    1977年に発売され、大ヒットとなった。
    拡張ボードスロットを備え、仕様が公開されていたため、
    各社から様々な拡張ボードが発売された。

    ちなみに現在まで続く Macintosh(Mac)は TM と同じ1984年のデビュー。



 (注)AlphaSyntauri(アルファシンタウリ)
    Apple II 用の、音源拡張ボード・専用の鍵盤・音楽製作用ソフトウェア
    などがパッケージになったミュージック・システム。Syntauri社が1980年に発売。

    ただしこの時代のものは、のちに TM などで使われる、
    パソコンから外部の機材(シンセなど)を鳴らすシステムではなく、
    あくまでコンピューター自身を鳴らす、コンピューター内で完結したシステム。










で、最初はそれでなにか出来ないかなと思ってた。

ちょうどその頃、まぁプロになるミュージシャンってみんなそうだと思うけど、
努力家が多いので、俺もギターはやってたけど、
それとは別にエレクトーンやピアノを習いに行ってたのよ。
まぁ、いろいろ弾けた方がいいじゃない?アレンジするにしても。
だから、ギターがメインだけどキーボードも弾けるわけ。
というわけでシンセサイザーも持ってたんだな。ポリフォニックのヤツを。
だからコンピューターを音楽に使えたらって言う興味はそこら辺からかな。

…でも確かに言われてみると、なんでそれが TM と結びついていったのか…謎だなぁ…。
俺が言ったのか?… それとも哲っちゃんが
「洋ちゃん、こういうこと出来ない?」って聞いてきたのか?…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あのですね、当時のインタビューで小室さんがコンピューターと出会ったのは
     TM結成頃だったって言ってるんですが…。
◯ ああ、それは結局(音楽制作に)まともに使えるようになったのはその頃だからね。
哲っちゃんは別にコンピューターオタクじゃないから、
要するに(音楽に)使えるか使えないかだけだから、
そういう意味ではコンピューターとの付き合いはそこからだろうね、彼は。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では小泉さん自身はパソコンを音楽に使うということを、もう常に探っていたと?
◯ やってたんだろうね。いろいろ遊んだり、それで曲作ったりしてたんだと思うけど、
ただ、1つの完成形としてちゃんと使おうとしたのは「1974」のデモテープ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ というのは?
◯ 結局は全てのタイミングがあの時期(1983年 春~夏)にピタッと合ったんだよ。
だって、たとえ俺がいても MIDI規格(1983年、対応機種発売開始)が出てなかったら、
あるいは PC-8801mkⅡ(1983年発売)を俺が買ってなかったら、
シンセとパソコンをつなぐインターフェース(MPU-401・1983年発売)が出てなかったら、
あるいは哲っちゃんがそういうものに興味を示さなかったら…。

つまり半年ズレてただけでも、ああいうことにはならなかったんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。誰かが仕掛けたと言うより、その瞬間に全てのピントがあったのが、
     その音だったっていうことですね。
◯ ひょっとしたら、哲っちゃんの中にはプロデュース的な意味合いでそういう音っていうのがあったのかもしれないけどね。ただ、それがそれこそ「世界初!」(注)みたいに戦略として成立したのは、あの時期だったからっていうのはあると思うよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも、その戦略が成立するには小泉さんと言う存在が必要だった、
     ということも確かですよね?
◯ 要はスピード・ウェイが東芝EMIでうまくいかなくなって、
でも、キネやウツと一緒にプロ目指して頑張ってた小室と、
全然別のところでコンピューターとかの技術を磨いてた俺がいて、
そこに接点が生まれたわけだよ。
で、「1974」でもう一回デビューできるかもしれないってなった時、
小室が「洋ちゃん、力貸してくんない?」ってなったわけ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あれ?小泉さんは STAY を離れられた後、そこからしばらくは接点なかったんですか?
◯ いやもう、くっついたり離れたりくっついたり離れたりして憶えてないよ(大笑い)
ただ、お互いの今の状況みたいな話はよくしてたよね。仲良かったしね。



 (注)「世界初!」
    これに関しては補足の ♫ コンピューターとパソコンと世界初 以降をお読み下さい









♫ Stop Stop Thinkin' 時を忘れて エイリアンたちとの夜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちょっと話がズレますが、宇都宮さんや木根さんとは、
     いつごろ初めてお会いになったんですか?
◯ 哲っちゃんの紹介で…スピード・ウェイが終わった後だから…24歳とか?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ TMの直前?
◯ そう、TMの直前。で、すかいらーくで毎夜会うようになって…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あ、その話よく聞きますが、小泉さんもご一緒だったんですね(笑)
◯ で、キネもウツも気がいい奴だからさ。ま、1歳上なんだけどね(笑)
なんか小室との関係だとか、俺が(音楽的に)大事なところを押さえてるってこともあって、
メンバー内では俺の方が歳上のような感じになっちゃってたよ(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 当時のインタビューでも「小泉には絶対的な権力があった」と仰ってましたよ(笑)
(笑)ウツなんかはひょうひょうとしてるし、
キネなんかは「(猫なで声で)あのぉ小泉さぁ」みたいになっちゃって、
「木根さん」って呼んだことないんじゃないかな、最初の1~2回しか(大笑い)
すぐに「キネッ」ってなっちゃって…うん、とにかく仲良くなったんだよね。









♫ 心にあつく Flash In The Dark Sixteen あの頃の気持ち〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど(笑)話は戻りますが、当時世界の流れとは別にあくまで国内の話ですが、
     ちょうど YMO が散会したところで、いわゆるピコピコ的な音はもう古い、
    というような流れになってきていましたよね。
◯ そうだね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ その中であの「1974」のようなピコピコっていうのは、
     どうゆう意図というか考えだったんでしょうか?
◯ いや、意図というよりも、コレがダメならアレ!アレがダメならコレ!ってことを、
何度も何度もやってきて、あの「1974」が SONY にひっかかった時点で
『もう、それしかなかった』んだよ。

哲っちゃんも…みんなそうだけど、非常にハングリーだったのよ。

夢というか目的地がはっきりしていたしね。
当時、俺たちが付き合ってたミュージシャンも、
みんな本気でプロを目指していた奴らばっかりだったし。
でも、みんな挫折していったんだよね、大学出た頃で。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、その時期か…。最近、小室さんがおっしゃってたんですが、
     一度1981年頃、音楽の道を諦めようかと思ったことがあると。
◯ うん。俺も「あと1年でダメだったらもう諦めろ」って親父に強く言われて、
眠れない日々を過ごして、プロになれたのって『あと3ヶ月』ってとこだったもんね。

哲っちゃんにしてもバックバンドの仕事とかいろいろやってたけど、
じゃあ、それで食っていけるのか?とかね。
もう、みんなその時点で何度も悔し涙流してるんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …。
◯ …ま、とはいえ哲っちゃんにしても俺にしても、
それであきらめるようなタマじゃないけどな。(ニヤッ)

結局、俺と哲っちゃんが気が合ったって言うのは、音楽性もあるけれど、
強い…強固な意志というか、そういう部分で同調していた。
だから、そうなるともう "プロになること" がまず最重要なのよ。

俺の場合だったら、
「洋ちゃんだったら(パソコン)出来ると思うから、やらない?」って言われたら
ひとまずギターを置いてでも『やる!』って言う。とにかく全力で取りに行く!

だから、もし違った形でチャンスがあったとしたら、
哲っちゃんもキーボーディストとしてデビューではなかった可能性もあったと思うよ。
とにかく壁を越えてプロになる。…じゃないと、もう先がない状況だったんだ。

 (注・実際木根氏はデビューにあたってキーボードからギターに “Job Change” している)



そのためには、まず目立たなきゃならない。
いろんな考え方があるだろうけど、俺は哲っちゃんのそういうところ認めてたしね。

だから「1974」にしても、周りの(音楽)状況というよりも、
(パソコンによるレコーディングなど)誰もやっていないことをウリにして…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 一点突破を図る…と。
◯ そういうこと。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ある意味、とてもシンプルな話ですね。
◯ そうなんだよね。








         【小泉洋氏インタビュー / その1】ここまで








別エントリーとして補足説明を用意させていただきましたので、
引き続き、そちらを御覧ください。

・【小泉洋氏インタビュー / その1】- あとがきと補足


10 件のコメント:

  1. 青い惑星の愚か者2014年12月31日 5:05

    お疲れ様!
    インタビューの整理、うまいなあ。
    1/3だけでも話題がいくらでも引き出せる、すっごい濃いエントリになりましたね。
    個別の点に触れていると無限に書いてしまいそうなのであえて避けますが、こちらでもいろいろリンクはらせてもらいます。
    プレッシャーも大変だと思うけど、次回も楽しみにしています。

    あと、今回最大のびっくり情報て、あの小泉さんが実はたこ焼き名人だったてことかもね!
    小泉さんたこ焼きの写真て、これからもここでしか公開されなさそう。

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    返信
    1. 一応こちらでは初めてということで、あけましておめでとうございます。
      返事が遅くなって失礼しました。


      >>小泉さんたこ焼きの写真て、これからもここでしか公開されなさそう。

      そう思うでしょう?
      ところが実は小泉家に訪れた人は、みんなアレを写真に撮っていくらしく、
      あちこちにアップされてるのよ(笑)
      つまり今まで「ネット上に小泉洋の情報ってほとんど無いな」と
      思っていたのは大間違いだったってこと!

      まぁでも、こんな情報は求めてなかったよね(笑)

      削除
  2. 待ってました!

    初回から貴重な情報のオンパレードですね。
    まさに、金色の夢に隠れた、4人のバンドマンの姿が見えてくるインタビュー。
    これが全て公開されたとき、
    TMのヒストリーが変わるぐらいインパクトがありますね。
    ポコ太さん、既に潜伏者にマークされてると思いますので気をつけて。
    次回エントリーも楽しみにしています。

    ちょうど今日、こんな感じの醤油ベースのタコ焼きを食べたところなので、
    リアリティーを持って記事を読ませていただきました。

    返信削除
    返信
    1. 返事が遅くなって大変失礼しました。
      遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

      まだまだびっくりするような話をお聞きしてきたので、お楽しみに!
      しかしまさか『醤油ベースのたこ焼き』にシンクロすると思いませんでした。
      むしろそっちの方にびっくりしました(笑)

      削除
  3. 返信
    1. どうもありがとう!
      次回も近日中にアップするのでお楽しみに。

      削除
  4. まずは一つ目を読んで。
    面白い!めちゃめちゃ面白い!電気仕掛けの予言者たちや深層の美意識なんかでデビュー前のエピソードって濃いなって思ってたけど、小泉さんの話も濃いですね。
    レコード会社における立ち位置、一押しの新人にならなきゃ、そのためには目立って云々ってのはインタビューなどで小室さんは言ってましたね。
    小室さんと小泉さん、二人の関係にニヤリとしてしまう。

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    1. 藤沢さん、返事が遅くなって失礼しました。

      ご本人は「もう、あんまり憶えてないんだよ」と申し訳なさそうに仰ってたのですが、
      その『(ご本人が言うには)数少ない情報』の一つ一つが、
      もう鳥肌が立つような内容で、衝撃的でした。

      次回はいよいよ「RAINBOW RAINBOW」の話になります。
      鳥肌を立てる準備をしていて下さい!



      >>小室さんと小泉さん、二人の関係にニヤリとしてしまう。

      ちょっと話がずれますけど、エントリーを書いていて、
      小室だの小泉だの小坂だので、ワケが分らなくなる時があります。

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  5. コメント遅くなりましたが、とても楽しく読ませていただきました。
    内容的に本当に貴重で、ファン必読といっても良いくらいですね。
    とにかく明確なゴールだけを目指して、そのとき良いと思った選択肢で突き進んでいく・・・
    これ、誰の人生においても大事なことだと思います。初心を思い出しました。
    小泉さんとポコ太さんには本当に感謝です。
    続編も期待しています!!!

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    1. 返信が遅れ、失礼しました。

      >>初心を思い出しました。

      実は最近、僕も初心に戻って、
      ハードウェアのシンセを積み上げようと画策しているのですが、
      そういう意味では「この時期に小泉さんに会って失敗だったかも」と思いました。

      なんのことかわからないと思いますが、
      次回のエントリーを読むと、納得していただけると思います。
      冒頭で驚くと思いますよ!

      何とか今月中にアップできるようがんばりますので、お楽しみに。

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