2013年7月13日土曜日

自由をその手に 〜『KX5』小室哲哉カスタム 〜 その4

キタ ───(≧∇≦)────!!!
ついに来ましたよ皆さんっ。
ポコ太はこういう企画を持っていたんです。





キーボードマガジンすげえぇえ



ポコ太、バックナンバーはほとんど手元にあるんですけれど、
この企画に賛意を伝えるべく購入します!
(現在はまだ予約受付段階)

今後もこういう企画、続いて欲しいですなぁ。
とゆうかエピックソニー、いい加減ベスト盤とかじゃなくて、
ちゃんとした企画出してくれ。

たのむはホンマに…。







             閑話休題








さて本来、当『重箱』ブログは決して機材関連専門ブログではありません。
しかし何故かここのところ機材関連の話題ばかり。
いいかげんワンパターンなので、この辺で一旦区切りをつけます。

まぁそう思ったとたんに、上に書いたキーボードマガジンの件が起こったので、
またすぐに機材の話になるとは思いますが…。




そこで今回は今までの
『ショルダーキーボード & MIDIワイヤレス』の項からこぼれ落ちた
その他の話題をとりあげ、このネタに別れを告げようと思います。







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『Mind Control』




























『いくらなんでもこの機種を
   "その他・残り物" 扱いするのはいかがか』 
          というお叱りはごもっともです。





                





以前からしつこく書いているように、この話はサラっと流します。
いや、けっしてポコ太の興味が薄いわけではありませんよ!
実のところ、存在がメジャーすぎて『重箱のスミ』が付け入るスキがないんすよ…。



ちょうどいいタイミングで更新されたこちらのブログ
Wikipediaヤマハ・KXシリーズ内、特注モデルの項、参照)
がよく出来ているので是非どうぞ。
あと出所不明のこのページも…。









さて 他人様のブログに豪快に丸投げ したところで
ここではWikipediaに書かれていない話を2点程…。



・TXシリーズのボタンを流用していますね。


































・小室哲哉は当時のインタビューで
 「これを作るには『KX5』の製造ラインを
 丸一日ストップさせないといけないんですよ」と自慢げに語っていた。

  ただ、ショルダーキーボードなどというニッチな製品の製造ラインが
  連日フル稼働しているとも思えないので、この話はあくまで例え話であろう。





ところで初代『Mind Control』の説明に必ずと言っていいほど
"チャコールグレー" という色名が出てくるが
"チャコールグレー" ってもっと灰色じゃないんでしょうか?
ポコ太のイメージだと初代『Mind Control』は茶色なんですよね…。



…と予想通り、どうでもいい話になってきたのでこの話は終了!!








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『KX1』と『KX5』




























デビューシングル「金曜日のライオン」のPV
及び、最初期のTV出演で使用していたのがこの『KX1』
1983年発売。赤と白のカラーバリエーションがあった。

当時のカタログだったかに赤のタイプを『キャンディートーンレッド』
紹介してあったのを妙に覚えているポコ太であった。



ボタンの位置などが若干違うものの、標準鍵盤であること以外は『KX5』との大差は無い。
人によっては鍵盤数、自照式のボタンや
専用の電源ボックスがある(あった)ことは重要かもしれない。

しかしそれでも、目の前でこれを購入しようとしてる人がいたら
ポコ太は羽交い締めしてでも止めるだろう




めちゃくちゃ重いですよコレ。






また価格もヘビー級でした。
     ↓
『KX1』20万円
『KX5』6万5,000円
ちなみに20万円出してコレ買っても、コレ自体からは一切音出ませんからね!






重さといい値段といい、もし『KX5』が発売されず『KX1』のまま使い続けていたら
絶対にショルダーキーボードの破壊パフォーマンスは生まれなかったろう。
そんなことをしたら小室哲哉の方が破壊されてしまう。






というわけで小室哲哉の救世主となった『KX5』は1984年発売。
奇しくも TM NETWORK のデビューに合わせたようだ。

鍵盤数は減ったものの、他社製音源との相性は『KX1』よりも改善されている。


小室哲哉は1984年6月の『デビューライブ』の時点で、すでに『KX5』を使用している。
つまり彼は『KX5』最初期からのユーザーということになる。
その後も破壊パフォーマンスの度に自腹で購入していたことを考えると
YAMAHAにとってはいいカモ… もとい上客だったろう。





さて、重量及び価格以外に
もうひとつ後発の『KX5』が優れている点は
MIDIチャンネルが2系統使えるという点である。

実際、ライブ/TV出演問わず、小室哲哉は
このMIDIチャンネルボタンをしょっちゅういじっている。
基本的に1chをサンプラー、もう1chをシンセサイザーというふうに使い分けていたようだ。
ここがMIDIチャンネルボタン












ただしポコ太には一時期、このチャンネル切り替えが鬼門に見えた。
チャンネルを切り替え → 音が出ない → あわてて元のチャンネルに戻す
という場面がよく目についたのだ。






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『鏡面仕上げのKX5』





























色違いといってしまえばそれまでだが、
なかなかの存在感を誇るのがこの鏡面仕上げ『KX5』

TM NETWORK のツアーに初めてYAMAHAがスポンサーとしてついた
1986年にお披露目されて以降、かなり長期に渡って使われていた息の長い機種
ポコ太が最後に見かけたのは1993年。
東京ドームで行われたエイベックスのイベントにて trf のステージで使われていた。







また1988年「BEYOND THE TIME」プロモーション期にはこのタイプの『KX5』が使われ
曲の持つ宇宙的なイメージと合致し、見事なハーモニーを奏でていた。

この衣装って「KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX」のボツ・バージョンでしょうかね?



































なお、前回のクッションの件だが、
この機種ではクッションの有るものと無いものが存在したようだ。

はじめのころは他の機種同様、貼り付けたものの
地の色が違いすぎて悪目立ちするために、やめたのではないだろうか。
意図せず、なんだか愉快な画像になってしまった。

































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さて小室哲哉といえばショルダーキーボードのイメージが強いが
これはテレビ出演時の影響が大きいと思われる。

特に TM NETWORK 絶頂期の
1989年5月(Get Wild'89 etc.)~ 8月(DIVE INTO YOUR BODY)あたりは
ショルダーキーボードしか使用していない。





しかし実際のライブでは意外とショルダーキーボードの出番は少ない
例えば同年8月の『CAMP FANKS!! '89』では全24曲中、

「just one victory」(エンディング部分のみ)
「Passenger」
「Get Wild'89」(イントロ及び間奏のみ)
の3曲のみ。

30日の公演ではこれに「CAMP FANKS FINAL THEME」が加わるが、
それでも全4曲しかない。





またショルダーキーボードを使う、使わないの判断も日によって違うようだ。

上記の「CAMP FANKS FINAL THEME」以外にも
1988年3~4月『KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX』のオープニング
「Be Together」では

DVD「FANKS the LIVE 2 KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX」
 → 『KX5』使わず
CD「TMN COLOSSEUMⅡ」
 →  『KX5』でプレイ

となっており興味深い。


この辺はその日の気分であろう。
また「CAMP FANKS FINAL THEME」は、
ツアー最終日だからという演出的な側面もあるのだろう。




結局、ライブで最初から最後までショルダーキーボード出ずっぱりと言えるのは
1984年12月の『パルコライブ』と
1992年3~4月『Expo Tour』のアリーナ版『Crazy 4 You』に
小室ソロの『Digitalian Tour』くらいだ。





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『ワイヤレス問題』





ワイヤレスの最大の利点は、やはりケーブルを気にせず
電波の届く限り自由に移動できることだろう。

以前、書いたように1988年後半、MIDIワイヤレスシステムが日本に上陸し、
そして TM NETWORK 史上最大規模の CAROL Tour がスタートする。

ブレイクとともに大型化していくライブ会場に
MIDIワイヤレスシステムがタイミングよく間に合ったと言えるだろう。

























これも以前書いたが、MIDI規格ではケーブルは最長15mまでということになっている。
実際にはノイズや振動の多いライブ中の会場では、長くなるほどトラブルの元となる。
そのため有線接続では画像のようなところまで飛び出してくるのは、なかなか難しい。


(ちなみにポコ太としては同じような場面だが、1989年4月『CAROL Tour 武道館』の     「Spettacoro Comincia Alle 20'e Bellissimo」にて、
 はじけまくって舞台の隅から隅まで走り回っていた姿が今でも印象的だ)






ただしMIDIワイヤレス元年といえる『CAROL Tour』では
ワイヤレスと有線接続を使い分けていたようだ。

DVD「FANKS the LIVE 3 CAMP FANKS!! '89」の
「Just One Victory」を見ていると
有線接続のなかに、所々ワイヤレス接続の映像が混じっている。


これはつまり
29日 → ワイヤレス無し
30日 → ワイヤレス有り
の2日分の映像が編集されているわけだが
どうして使い分けたのか、その意図は不明である。


ひょっとすると29日は横浜アリーナに場所を移して初日だった為、
電波状況が分からず、念のため有線接続も用意したのかもしれない。






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もっともワイヤレスもワイヤレスで
トラブル続きだったような気がする。




1989年ゴールデンウィーク
「GET WILD '89」etc. を引っさげてのTV各局出演時は
アテブリであったNHK以外、毎回電波の届かない(音が出ない)状態に見舞われ
しかもそこを、
ほとんどの確率でカメラに抜かれてしまうという有様だった。


かろうじて古舘伊知郎の『ヨコ・ヨコ・ヨコ・ヨコ・ヨコハマアリーナ!』
だけは、完遂できたのは不幸中の幸いだ。




また、DVD「TMN EXPO ARENA FINAL」の「WILD HEAVEN」では、
冒頭からいきなり電波が届かない状態に見舞われ、
いったん受信機の側に近づいていく姿が記録されている。
(同じことは「SELF CONTROL」の2番を歌い終わった直後にも起こっている)

その前の「LOVE TRAIN」では、あれほど会場中を走り回っても問題なかったのにだ。




とはいえ、いちどワイヤレスを味わってしまったら
多少トラブルがあろうが、いまさら有線接続には戻れないのでしょうね。






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なお最後に、TM とは直接関係ない話だが、91年頃(?)
『現在、国会で電波法改正が審議中であり、
 実際に施行されると、今出回っているMIDIワイヤレスは一切使えなくなる
というがあったことを記しておきます。
(実際どうだったかは判りません)





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というわけで長らく続いた
『ショルダーキーボード & MIDIワイヤレス』の項は一旦終了しますが、
最後にあたって、これだけは言っておきます。






『Mind Control』ファンの人、本当にすまん…。






んじゃ、また。










6 件のコメント:

  1. 小室さんのトレードマークはショルダーキーボード。
    これはTMNが終了してからも、かなり長くパブリック
    イメージとして残ってましたね!

    華原朋美さんやglobeの頃にはステージでギターを
    かき鳴らしていたにも関わらず、小室さんの物真似
    芸人さんはショルダーキーボードで登場していた
    気がします。

    分かりやすいですからねぇ(笑)

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    1. koh さん。

      エントリー書き終わってから思ったんですけど、
      小室氏のイメージが強いという反面、
      あそこまでショルダーキーボード押しの人が
      他にはほとんどいなかったというのも一因かも。

      やはり正統派のキーボーディストにしてみたら
      アイデンティティに関わることですものね。

      一時期、Bassを捨てた細野晴臣氏なんかもそうですが、
      あえて自分からレッテルを貼られようとするのは
      ミュージシャンというよりも
      プロデューサー気質なんだなあと感じます。

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  2. 法律施行の時期は覚えていませんが、MIDIのデジタル信号はワイヤレスで飛ばせなくなりました。なので、一旦変換してギター用のワイヤレス機器から飛ばす(これだと法律に引っ掛からない)製品が出回りました。私が見たのは、MIDIMANの製品です。確か、デジタルで飛ばすよりもトラブルが多くなったはずです。

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    1. (匿名 さん
       コメント、ありがとうざいます。
       返答を『小室哲哉カスタム 〜 その2』のコメント欄に
       書かせていただきましたので、ご確認ください)

      削除
  3. 今さらKX5シリーズの記事楽しませていただきました!
    この時期のTMのテレビ出演などでずっと気になっていた内容ばかりだったのですごく良かったです。
    しかし『Mind Control』はあの頃の人気の勢いで商品化すればEOSのようにかなり売れたんじゃないかと思いますよね~MIDIがよく解らない自分でも絶対買ってたと思います。
    それでこの時期、自分は中学生でTMのテレビ出演を見て声のサンプリングに憧れて似たように音が出る物で雰囲気だけその気になってました、例えばボタンを押したら声で時間を知らせる置時計的なものでボタンを連打して"よ、よ、4時です"みたな感じで小室先生の連打の感じをマネして壊れそうなくらい連打しまくってプチなりきりをして楽しんでいましたw

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    1. >>『Mind Control』はあの頃の人気の勢いで商品化すれば〜
      ですよね!それどころか今でも欲しいですよ僕。
      もちろん裏にはクッション付きでね。

      しばらく市場からご無沙汰だったショルダーキーボードが、
      ここのところアレシス、コルグと出してきて
      YAMAHAにもまた出してほしいなぁ。



      >> "よ、よ、4時です"みたな感じで〜
      思いっきり吹いちゃった(笑)分る!分る!
      余裕で目に浮かびました。
      あの頃のサンプラーって輝いていましたよね。

      そんな中、いつも身軽なカシオからすっごく安っぽい
      サンプリング機能付きカシオトーンが発売されて、かなり気になっていたら、
      それを学校に持ってきた奴がいて、
      もう一日中そいつの周りに人だかりが出来てました。

      やってることは「×××!」とか叫んでそれを連打してるだけなのに、
      周りは皆「お〜!」とか賞賛の嵐。
      今、思い返すと凄いシュールな光景なんだけど、
      …でもやっぱりあの頃サンプラーって輝いていましたよね。

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