2013年6月21日金曜日

自由をその手に 〜『KX5』小室哲哉カスタム 〜 その2

さて前回は1987年、武道館公演にむけて
ショルダーキーボード『KX5』のワイヤレス化を試みたものの
頓挫した経緯にふれた。


そこで今回は、ワイヤレスに憧れを抱きつつ
長ったらしいMIDIコードを引きずっていていた当時、
実際のステージではどんな事が起こっていたかなど
いささか雑感となるが見てみよう。







題して
[小室哲哉がワイヤレスを夢見ていた時代]








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まずは悲しい現実のお話。




1985年
「Dragon The Festival tour」

以前のエントリーにて白田朗のTM懐古録を御伝えしたが、
それ以降に思い出した話をひとつ。





当時のサポートギタリスト、松本孝弘には
『盛り上がってくると下を向き、仁王立ちになって演奏する』
という癖があったそうで
その横でケーブルを踏んづけられて
動けなくなってしまった小室哲哉が困った顔をしてオロオロ
ということが一度や二度ではなくあったそうだ。






金を払って雇ったサポートメンバーが
妨害してくるとはまさかの展開。








技術的な問題以前に、長ったらしいコードを引きずっていれば
当然このような事が起こる。
ステージが広くなるほどマイクスタンドや
舞台セットなど障害物の数も増えるので、
前年の「パルコライブ」のように
意識せず自由に動き回るようにはいかなくなってくる。



彼等の足元では今、もう一つの戦いが起こっている。


































またワイヤレスとは関係ない話だが
小室哲哉はその激しいプレイにより、
たびたび『KX5』の鍵盤を折ったそうだ。(『KX5』の鍵盤は結構もろい)

折れた鍵盤はそのまま下がりっぱなしになってしまい、
音が鳴りっぱなしになって、
これにはスタッフ共々頭を悩ませたそうだ。









1986年
『FANKS DYNA☆MIX tour』でもトラブルが続く。



MIDIケーブルは規格上、15メートルまで
延長使用できることになっている。

もっともこれはあくまで理論値。
振動や熱、また電圧の不安定になりがちな
本番中のステージ上では実際値は著しく縮む。




『FANKS DYNA☆MIX tour』では
初日の静岡公演、2日目の愛知公演と連続して
最後の盛り上がり曲である「Dragon The Festival」にて
『KX5』のMIDIトラブルが発生した。


焦るスタッフ一同。
そして問題が解決しないまま臨んだ3日目の大阪公演…。







安心してほしい。
この問題は3日目にしてついに『完全』かつ根本的』に解決される。
その方法とは…







「Dragon The Festival」で『KX5』を使わない





        えぇぇー?!









初日の静岡公演 ~ 大阪公演までは
休みのない3連続公演だった為、
スタッフとしても原因を探る余裕がなかったのであろう。






DVD「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」にはツアー最終会場、
中野サンプラザでの「DRAGON THE FESTIVAL」が収録されているが
ここでもショルダーキーボードは使わず
キーボードブースにてサンプリングフレーズをプレイをしている。


ちょうど野外ライブ「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」との映像が切り替わる部分




























これを見ると、ひょっとしたらツアー中
最後まで『KX5』は使用しなかったのかもしれない。







尚、これまた余談だが1986年8月の「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」では
サポートキーボーディストの白田朗も、一部『KX5』を使用していた。

もっともこれは前回のエントリーで取り上げた
武道館における木根尚登の『DX100』同様、
演出的な賑やかしだったようだ。








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その他の時代背景




初期のライブでは『KX5』に繋げる音源に
『Prophet 600』や『DX7』が使われていたが、
これも純粋に音の良さだけで無く、
『KX5』との "MIDIの相性" によって選ばれていた


本来、ユニバーサルな規格であるMIDIに"相性" などあってはいけないのだが、
悲しいかな、これが当時の現実
最初から選択の余地が少なかったのだ。






また、1986年『FANKS DYNA☆MIX TOUR』
1987年『FANKS! BANG THE GONG TOUR』で行われた
舞台中央へメンバー3人が集まりフォーク調の演奏をする、いわゆる3人コーナー
(87年武道館ではサポートも含め6人で「8月の長い夜」を演奏)
にいたってはYAMAHAのファミリー向けキーボードである
"ポータサウンド"『PSS-460』(しかもミニ鍵盤)が使用されている。


ここではステージを動き回る必要もないのに、
そこまでしてワイヤレスにしたいか?!という感じだ。




この写真で見ると矢印部分から伸びたケーブルが
丸で囲んだトランスミッター(ワイヤレス送信機)に接続されている。
「ぼくにも弾けた」ポータサウンドを持ち、微笑む小室哲哉さん(東京都在住)




























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さて、ポコ太の記憶では『MIDIワイヤレス』というものが
少なくとも日本で初めて発売されたのは1988年中頃だったと思う。
海外メーカー製で日本では石橋楽器が取り扱っていたはずだ。
なぜここまで憶えているかというと、当時友人に付き添って
初めて楽器店というものに踏み込んだのがこの時期だったからだ。





ところが『MIDIワイヤレス』が存在しないはずの1985年
「Dragon The Festival tour」にて
『KX5がワイヤレスで使われた』という未確認情報がある。

おそらくオープニングで
メンバー3人が飛び出してくる場面のことではないかと思われるが
ポコ太が確認した限りは、
そのような写真、及び映像は見つからなかった。





しかしそれより更に前、1984年12月のいわゆる「パルコライブ」にて
謎の写真が有る。それが ↓ コレだ。




























小室哲哉の持つシルバーの『KX5』の横に黒い塊がついているのが分かる。
だが実際に行われたライブを記録したDVD「VISION FESTIVAL」の中では
このような接続方法は昼の部、夜の部とも確認できない。






そもそもDVDの中で使われているのは一貫して黒の『KX5』だ。






写真には客が入っている様子はないので、昼の部でのショットだと思われる。
ひょっとするとビデオ撮影とは別に
マスコミ向けの写真撮影の時間があったのかもしれない。
当日にそんな時間的余裕があったかというのも疑問だが…。

可能性としては更に低いが、その後行われた札幌公演、
及び広島公演でのショットかもしれない。






これは一体どう解釈すれば良いのだろう?
しかも、結局この写真では下にコードが垂れ下がっている。






もう一枚の写真を見てみよう。




























何やら複数の機械とケーブルがガムテープでぐるぐる巻きにされている、
(丸で囲った部分が業務用音響機器メーカー『RAMSA』のロゴにも見える)

矢印で示したところがMIDIコードだが、
結局黒い物体とは無関係なまま、下に垂れ下がってるように見える。







つまりこの物体は『KX5』とは無関係の
ヘッドセットマイクのワイヤレスシステムではないか。

もっともこんなところに着けていたら『KX5』をはずすことが出来なくなるが
あまりにも雑な 装着方法を見ると、
写真撮影の間だけの仮処置なのかもしれない。




「Dragon The Festival tour」にて『MIDIワイヤレスが使われた』
という噂はこのような写真から生まれたのではないだろうか。


もしこの時期、実際にワイヤレスが使われてるのを
見たことがある方は、ぜひ教えてください。








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ところで、やや先走るが
もし本当にMIDIワイヤレスの存在しないこの時代に
ワイヤレスを試みようとした場合、
どのような方法があったのだろうか?





実は前述のとおり、楽器店に入り浸るようになったポコ太は
店員のお兄さんに(聞いてもいないのに)教えられたことがある。

(1990年頃の新宿や新大久保辺りの楽器店のデジタルコーナーには、
 プロやスタッフもよく覗きに訪れ、それの応対もする、
 めちゃくちゃ知識を持った店員さん達がいた)






その方法とは
『MIDI信号を一旦音声信号に変換し、
 通常のワイヤレス装置で飛ばす』
というものである。






"MIDI信号を音声信号に変換" と聞いて、ピンとこない人もいるかもしれないが
カセットMTRを使ったことがある人なら、
シーケンサーとの同期に変換ボックス等を使って
同期信号を録音したことがあるのではないか。
要はあれと同じである。






つまりこうなる。


『KX5』→MIDI信号→『変換ボックス』→音声信号→
  『ギター用ワイヤレス(送信機)』→→→無線→→→

    →→→無線→→→『ギター用ワイヤレス(受信機)』→音声信号→
       『変換ボックス』→MIDI信号→『シンセ、サンプラーなどの音源』






この方法では『KX5』の側に
『変換ボックス』 + 『ギター用ワイヤレス(送信機)』
機種によってはさらに + 『送信機用電池ボックス』が必要となる。











はっきり言ってめちゃくちゃ重いハズだ。
「パルコライブ」のように四六時中『KX5』を抱えているステージで
あの小室哲哉が耐えられるとは思えない。



結局、前回のエントリーでふれたように
音源を内臓するという方法以外は
技術的な事以前に諦めざるをえなかったのではないだろうか?








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さていよいよ次回は、みんな大好き『MIND CONTROL』!





と思いきやソコは軽く流して、その陰に隠れた
 "非常に地味" なカスタマイズをされた『KX5』のお話の予定。
ちょっと早めの怪談話(?)ですゾ!




んじゃ、また。






6 件のコメント:

  1. はじめまして。ふかっちことまさとです。
    まさか僕の名前が出てるとは(笑)
    さて、写真のKXの謎ですが、これは札幌のライブの写真ですよ。
    そして、KXに付いてる謎の物体は、ポコ太さんが指摘するようにマイクのワイヤレスです。
    なぜ、ここまではっきり断言出来るかというと、証拠がありましてですね。
    当時発売になった雑誌、ARENA37に、札幌ライブの写真が掲載されてまして、もろに銀の物体付きKXなんです。
    そして、たぶんエレプロ終わった後だと思うんですが、客席に手を振る、TM+小泉さんの写真も載ってるんですが、そこでは小室さん、KXを下ろしていて、ヘッドセットもはずしているので間違いないかと。
    じゃあ、なぜに札幌ではこんな処置になったのか?
    同じワイヤレスでも、パルコの時は腰に付けていたのに・・・。
    考えられる理由としては、ホールだったからかもしれないですね。
    教育文化会館は、大、小ホールとあるんですが、当時札幌で人気があったとはいえ、大ホールではないと思うので、小ホール・・・キャパ的には360人、仮に大ホールで、1100人規模の広さですからね。
    ちなみに去年発売されたARENAの記事をまとめたTM本にも載っているので、ぜひ見てみて下さい。
    次の記事楽しみにしてます。

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    1. まさとさん。初めまして。
      他人様のブログのコメント欄を使ってのご挨拶、失礼しました。

      すごい情報ありがとうございます。
      早速確認しました。ARENA37・85年3月号の反転しちゃってる写真ですよね!
      確かに札幌公演の写真と当エントリーの写真は同じ日ですね。

      このエントリーを書いてる時も
      ・パルコにしては天井(照明の位置)が高いなぁ。
      ・パルコ映像の天井にある三角形のオブジェが無い様に見えるなぁ。
      というのは気になってました。


      「そっか、札幌公演の写真って存在するんだ」と気づかせてもらったので
      漁ったところ、他の本にも札幌公演の写真が載ってました。

      これからは『シルバーのKX5を見たら札幌と思え!』と肝に銘じます(笑)
      やっぱり1人で出来ることには限界があるので、
      まさとさんのような方がいてくださって助かります。



      さて、そうなると最大の謎は「こんなところにトランスミッターつけてたらCP弾くときなど、KX5を置いてコーラスする時どうするの?」ってことですけど
      どうも他の写真を見ると、札幌ではCPのところに
      普通のマイクスタンドがたっているように見えます。

      ということは、パルコのように四六時中ヘッドセットで歌ってたわけではないようですね。

      つまり「KX5を使わない時=ヘッドセットマイクも使わない」
      だから写真の様にKX5とトランスミッタをー体化させることが出来たんでしょうかね。

      でもやっぱりこの付け方、怖いなあ…。


      いずれ本文の方にも追記させていただきます。
      本当にありがとうございました。またよかったら寄ってくださいね。

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  2. ああ、コレです。先程、MIDIMANの製品云々をコメント投稿しましたが、この記事通りのプロセスでMIDI信号を飛ばすのです。MIDIMANの製品は小さな箱一つで、軽量です。 多分、携帯電話普及に備えてか何かの理由で、アマチュア無線も、電波の割り当てが変えられたはずです。MIDIをデジタルで飛ばすのが禁止になった頃は。

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    1. まことに失礼ですが、同一の話題ですので
      『〜小室哲哉カスタム ~ その4 』でのコメントに対する返答も
      合わせてさせていただきます。



      匿名 さん
      貴重な情報をありがとうございます。

      そうか、やはり噂ではなく実際にそういう法改正があったんですね。
      MIDIMANの製品はうっすら記憶にあります。
      最大の謎は『なぜMIDI信号をワイヤレスで飛ばすのが禁止になったのか?』
      だったのですが『携帯電話普及に備えて』だったとは知りませんでした。

      確かに90年代初頭といえばそういう時期ですし、
      重要性を考えても
      「携帯電話」vs「MIDIワイヤレス」じゃ勝負になりませんよね(笑)

      またよかったら、寄ってください。

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  3. 追記・そうです。この写真、札幌の教文です。 うろ覚えですが、BangTheGongツアーの頃のインタビューだったか、武道館までにヤマハ特製の”FM音源内蔵のKX-5”を投入したいとかいってましたね。音源内蔵なら、普通にワイヤレスギター感覚で演奏できますからね。結局実現しませんでしたが。

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  4. 何度もごめんなさい(汗) 前の記事にKXの音源内蔵は書いてありましたね。済みません(恥)

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