・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その2】☆ QUATRO 〜 4人のNETWORK
・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その2】- あとがきと補足
・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その3】☆ 幼年期の終り
・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その2】- あとがきと補足
・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その3】☆ 幼年期の終り
♫ CHILDHOOD'S END ~自然体の TM NETWORK ~
本文でも語っていますが今回採り上げた「CHILDHOOD'S END」は、
ミツカワにとっての Favorite Album であります。
それゆえに、このアルバムだけでしか味わえない雰囲気の正体はなんだろうと
長年考えていました。
今回、その疑問に対し小泉氏は明確な答えをくださいました。
音の "色艶” です。
確かにサードアルバム以降のTMは、色気や艶といった部分はブラスセクションや
サックスソロなどの生楽器に割り当て、シンセはむしろ正反対の無機質で
立ち上がりの早い機械的な音を前に出すようになっていきます。
これはターゲットが定まっていなかったということと表裏一体かもしれませんが、
セカンドは他のアルバムに比べ、歌詞だけでなく
サウンド自体の対象とする年齢が少し高めのような気がします。
サウンド自体の対象とする年齢が少し高めのような気がします。
だとすると、その要因の1つは小泉氏の存在だったのではと感じました。
また、ファーストアルバムとも異なるこのアルバムの雰囲気から、
当時のミツカワは TM NETWORK = シティーポップス と認識していました。
これは木根、宇都宮両氏にとってもスピード・ウェイの資産を生かせる、
TM NETWORKとしては珍しく、企画先行ではない(これについては後で述べます)
むしろ自然体に近い "居心地の良い" 作風だったのではないでしょうか。
小泉氏の話からは離れますが、ミツカワは以前、
セミプロ時代の小室氏とバンド仲間だった方と同席させていただく機会がありました。
この方のお話では、ある時小室氏が誰に言うでもなくボソッと
「角松くんにはしてやられたよなあ…」とつぶやいたことがあったそうです。
はじめはセミプロ時代、バックバンドの仕事に関しての話だと思い、
気に留めていなかったのですが、どうも頭に残り、
後からその発言時期を確かめてみると、セカンドアルバムの頃だとのこと。
つまりファーストアルバムにおけるファンタジックなエレクトリックポップス路線が
空振りに終わり、行き先に迷っていた小室氏としては
空振りに終わり、行き先に迷っていた小室氏としては
シティーポップス路線も視野に入れていた、ということでしょう。
しかしその席にはすでに角松敏生や村田和人などが座っていた…。
しかしその席にはすでに角松敏生や村田和人などが座っていた…。
そこから出た発言だと思われます。
そう考えると本人にとっては不本意かもしれませんが、
TM NETWORK の作品の中でセカンドアルバムは(結果的に)唯一、
"プロデューサー・小室哲哉" ではなく、
"アーティスト・小室哲哉" の存在が表に来ている作品ではないでしょうか。
TM NETWORK の作品の中でセカンドアルバムは(結果的に)唯一、
"プロデューサー・小室哲哉" ではなく、
"アーティスト・小室哲哉" の存在が表に来ている作品ではないでしょうか。
常に「普遍的なものより、その瞬間・時代を切り取る音を作りたい」と言い続けている
小室氏が、セカンド発売時のみ
「今すぐ売れなくても、末永く評価されるエバーグリーンな作品になっているはず」
と語っていたのが象徴的です。
小室氏が、セカンド発売時のみ
「今すぐ売れなくても、末永く評価されるエバーグリーンな作品になっているはず」
と語っていたのが象徴的です。
ミツカワはもう1つ感じるものがあります。
それは “魔性" です。
特にミニアルバム「Twinkle Night」は元々、映画「吸血鬼ハンターD」からの
派生商品という側面があり(注)この作品でしか味わえない独特の雰囲気を携えています。
派生商品という側面があり(注)この作品でしか味わえない独特の雰囲気を携えています。
(注)「吸血鬼ハンターD」発表当時、小室哲哉は
『ここから3つの流れ(サントラ・シングル・イメージアルバム)ができる』と発言。
このイメージアルバムの企画が、その後「Twinkle Night」になっていったようです。
特に「Electric Prophet」における最初の1小節。
たった1小節で聴く者をどこか異世界へ引きずり込む “鬼気迫る" 何かを感じます。
これ以降の曲を考えても、この1小節に匹敵するような「引きずり込む」曲はあまり
見当たりません。「A Day In The Girl's Life」「Beyond The Time」くらいでしょうか?
ただその2つも “魔性" とはまた違うと感じます。
そういう意味で「Electric Prophet」は曲自体はTM NETWORKの代表曲ですが、
その音色や音の組み立てはむしろ異色作ではないでしょうか。
発売当時、ライブでの素朴なフォークロック調のアレンジに慣れ親しんでいたファンから
拒否反応が出たのもこの辺だと思われます。
セカンドアルバムにおける音色も、既に魔性を感じさせるものがあります。
「愛をそのままに」での木根氏の不安は、その匂いを嗅ぎとってしまった故かもしれません。
歌詞、メロディー、アレンジではなく、
『音色』そのものに主張・世界感があるとも言えるでしょう。
『音色』そのものに主張・世界感があるとも言えるでしょう。
小泉氏はシンセサイザーオペレーターという職業の特異性について
「機械的な知識だけでは出来ないし、アーティストとしてのイマジネーションだけでもダメ。
両方が無いと出来ない」とおっしゃっていました。
たった1年でシンセサイザーという電子楽器から、
この色気・艶・魔性とも言える音色を生み出すに至ったこの時期の小泉氏をみると、
技術面は1年のキャリアでも、アマチュア時代からの音楽活動によって磨かれた
アーティストとしてのイマジネーションが、その成長を大きく促したのだと感じます。
この色気・艶・魔性とも言える音色を生み出すに至ったこの時期の小泉氏をみると、
技術面は1年のキャリアでも、アマチュア時代からの音楽活動によって磨かれた
アーティストとしてのイマジネーションが、その成長を大きく促したのだと感じます。
結局このミニアルバムが TM NETWORK における小泉氏最後の作品となるわけですが、
この作品はたった4曲しか収録されていないにも関わらず、
その完成度は当時から非常に評価が高く、シングル「Your Song」と合わせ、
第一期 TM NETWORK の総決算と呼べるでしょう。
アルバム製作にあたってのヨーロッパ旅行から始まり、
セカンドアルバム ~ ツアー ~ ミニアルバム と
小泉氏が最後の最後まで手を抜かず、全力投球されていたことが伝わってきます。
小泉氏が最後の最後まで手を抜かず、全力投球されていたことが伝わってきます。
♫ あとがき ~金色の夢の肌触り~
昨年末から3回にわたってお送りした
『30周年特別企画・小泉洋氏インタビュー』いかがでしたでしょうか。
手前味噌になりますが30周年を迎えた時、僕が期待したのが
この様な内容のインタビューでした。
この様な内容のインタビューでした。
まずは一区切りつけることができて、ほっとしています。
全3回、それぞれ
・小泉、小室両氏の出会いから、当時のバンドマン達の熱い思いと焦燥感。
・ファーストにおける悪戦苦闘
・セカンドでのこだわり、ツアーでのフル回転。
『小泉洋』と言う新たな切り口を与えていただいたことで、
今までとは違う TM NETWORK の側面が見えてきました。
ここではこのインタビューを行うに至った自分なりの動機・経緯など、
最後にちょっとだけ僕自身の気持ちを書かせてください。
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「たいしたこと話せなくてごめんね」とおっしゃいました。
しかしその小泉氏にとっての「大したことのない話」。
ミツカワは文章化している際、あまりにも自分の発言が「えええ!?」とか「へー」ばかりで
我ながら「バカみたいじゃん、俺…」と思ったほどです。まあバカなんですが。
我ながら「バカみたいじゃん、俺…」と思ったほどです。まあバカなんですが。
お読みいただいた皆さんはいかがだったでしょう?
皆さんも、きっと「えええ!?」とか「へー」の連続だったのではないでしょうか。
特にデビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」における、
1983年晩秋のレコーディングスタジオにパソコンを持ち込んでの試行錯誤。
あの時代にシーケンサーではなくパソコンでアルバム制作が行われたということは、
これが日本初だったかは今となっては定かではありませんが、
『第一陣』に含まれていたことは間違いなく、
TM NETWORK という枠を越えて、語り継がれるべきことであると考えます。
『第一陣』に含まれていたことは間違いなく、
TM NETWORK という枠を越えて、語り継がれるべきことであると考えます。
なのに、なぜこんなに基本的かつ重要な話が今まで公になされていないのでしょうか?
しかも他のアーティストと違いTMの場合、
ただ "早くから行われていた" というだけではありません。
ただ "早くから行われていた" というだけではありません。
もしこれがうまくいかなければ、80年代一世を風靡する
『TM NETWORK =パソコンを駆使したハイテク・グループ』
というイメージ戦略が成り立たなかった可能性すらあります。
『TM NETWORK =パソコンを駆使したハイテク・グループ』
というイメージ戦略が成り立たなかった可能性すらあります。
それほど当時、パソコンはインカムと並ぶ TM NETWORK のアイコンでした。
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自分の中でかなりの葛藤がありました。
というのもこのBlog「TM NETWORK の重箱のスミ!」のコンセプトは
対象者と適切な距離をおき『本人に聞かない』『公式を疑う』というものだからです。
誰もが簡単に(それが本当かはともかく)答えにアクセス出来る時代において、
客観的な資料を元に、自分の頭で推理・妄想するという
『過程を楽しむ』ことこそが自分にとっての譲れない柱でした。
『過程を楽しむ』ことこそが自分にとっての譲れない柱でした。
つまり「TM NETWORK の重箱のスミ!」において、重要なのは
「TM NETWORK」ではなく「重箱のスミ!」なのです。
(実際このBlogを立ち上げる2週間前までは
「東映ヒーロー/監督・脚本家列伝」という内容を予定していました)
「TM NETWORK」ではなく「重箱のスミ!」なのです。
(実際このBlogを立ち上げる2週間前までは
「東映ヒーロー/監督・脚本家列伝」という内容を予定していました)
これが、このインタビュー企画時のみ
「TM NETWORK の重箱!!」とタイトルを変更した真の理由でもあります。
「TM NETWORK の重箱!!」とタイトルを変更した真の理由でもあります。
ではなぜ、禁じ手中の禁じ手である『直接インタビュー』を決意したのか。
この一連のインタビューは昨年の11月初旬に行ったものですが、
実は小泉氏との連絡は昨年春の時点でとれていました。
しかしこのような事情でしたので、直接お話を伺うという考えはありませんでした。
一連のインタビューをお読みいただいた皆様であれば納得いただけると思うのですが、
小泉洋というキーマン抜きで 初期 TM NETWORK の実態を掴むことはできません。
小泉洋というキーマン抜きで 初期 TM NETWORK の実態を掴むことはできません。
ですので30周年という大きな節目とあれば、さすがに公のインタビューが行われるであろう。
その前に自分がしゃしゃり出て、読者の方が受ける新鮮な驚きに
水をさしてはいけないと考え、ご挨拶程度にとどめておきました。
水をさしてはいけないと考え、ご挨拶程度にとどめておきました。
つまり30周年スタートの時点では、かなり楽観的に考えていたわけです。
ところがいつまでたっても、その様子が伺えません。
そのままズルズルと時が過ぎ、秋も深まる中発売された「小室哲哉ぴあ TK編」のページを
めくって失望・落胆した自分は、結局それを購入せず棚に戻しました。
めくって失望・落胆した自分は、結局それを購入せず棚に戻しました。
(これは一連のインタビューラッシュの中で、この本の発売が
当年終わりの方だったというだけであり、「ぴあ」だからという意味ではありません)
当年終わりの方だったというだけであり、「ぴあ」だからという意味ではありません)
この30周年という大きな区切りをもってしても、小泉氏は公に現れないのか。
いや、現れないだけならともかく、
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ただ注意して見ていると、その影は感じとれます。
しかし、例えば秋に出たキーボードマガジンのインタビュー中
「RAINBOW RAINBOW」について木根氏が
『マニピュレーターが普通の人たちでは買えないような良いシンセサイザーを
いっぱい持っていたので、それを使って作った』と話していますが、
実態は小泉氏インタビューの通り、『持っていた』のではなく
『その時点では素人同然の者が私財を投じて購入しつづけていた』わけです。
「RAINBOW RAINBOW」について木根氏が
『マニピュレーターが普通の人たちでは買えないような良いシンセサイザーを
いっぱい持っていたので、それを使って作った』と話していますが、
実態は小泉氏インタビューの通り、『持っていた』のではなく
『その時点では素人同然の者が私財を投じて購入しつづけていた』わけです。
木根氏の発言から受ける印象とは、かなりの隔たりがあります。
自分が先に書いた『本人に聞かない』『公式を疑う』という
コンセプトをとった理由のひとつは、まさにこういうことがあるからです。
コンセプトをとった理由のひとつは、まさにこういうことがあるからです。
背景を知らずに言葉だけ抜き出しても、どうとでもとれてしまう。
なにより怖いのは、その結果なんとなく分かったような気になって、
それ以上考えなくなってしまうことです。
(個人的に「小室哲哉ぴあ TM編」はその手の発言の宝庫でした)
それ以上考えなくなってしまうことです。
(個人的に「小室哲哉ぴあ TM編」はその手の発言の宝庫でした)
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ファンが違和感を抱かないということです。
それどころか小泉洋という名前を知らない。
知っていても "初期のサポートメンバー" 程度の認識でしかない。
もっともこれはファンに責任はありません。
ある時期より小泉氏の存在は、TM NETWORK の歴史から消されてきたからです。
これは小泉氏のインタビューが存在しないとか、
メンバーが言及しないだけの話ではありません。
メンバーが言及しないだけの話ではありません。
お持ちの方は確認していただきたいのですが、PARCOライブが収録された
TM NETWORK 初の映像作品「VISION FESTIVAL」のインナーには
ヘアメイク担当者などのクレジットまできちんとされているのに、
あれだけ深く関わられ、なおかつ映像にも写っている小泉氏がクレジットされていません。
TM NETWORK 初の映像作品「VISION FESTIVAL」のインナーには
ヘアメイク担当者などのクレジットまできちんとされているのに、
あれだけ深く関わられ、なおかつ映像にも写っている小泉氏がクレジットされていません。
つまり小泉氏が TM NETWORK を離れる以前から、すでにこの流れはあったわけです。
(「VISION FESTIVAL」発売 1985年8月)
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今回、僕が行ったインタビューの目的は、
・小泉洋は単なるサポートメンバーではなかった。
・それどころか、作品の核となる部分に関わっていた。
・TM NETWORK は、実質4人で動いていた時期があった。
という事を、まずはネット上に書き残しておくことです。
インタビューをお読みいただけば分るように、この時期については
PARCOライブで初披露された「Quatro」という曲のタイトルが
全てを物語っているでしょう。
PARCOライブで初披露された「Quatro」という曲のタイトルが
全てを物語っているでしょう。
この点については、当初の目的を達する事が出来たと自負しております。
しかしこれ以上の事となると、やはりこのような正史に残らない個人ブログではなく、
公式のインタビューとして公のメディアで語っていただきたい。
公式のインタビューとして公のメディアで語っていただきたい。
他のアルバムに比べ、初期の2枚のアルバム+ミニアルバムは
その制作実態がどうもはっきりしません。
いつも中心の欠けたドーナツ状の話ばかり聞かされてきたとミツカワは感じています。
その制作実態がどうもはっきりしません。
いつも中心の欠けたドーナツ状の話ばかり聞かされてきたとミツカワは感じています。
「CHILDHOOD'S END」だけに絞っても、
その後のコメントでは『迷いの時期だった』の一言で片付けられていますが、
実際は当初のコンセプトが二転三転し、
その後のコメントでは『迷いの時期だった』の一言で片付けられていますが、
実際は当初のコンセプトが二転三転し、
・録音したサポートミュージシャンの演奏を全部消去して一から作り直す。
・制作の進め方にあたって、小坂プロデューサーとの軋轢
・アルバム完成後もキャッチーさに欠けるとレコード会社から判断され、
別にシングル用の曲を作る事を要求される。
別にシングル用の曲を作る事を要求される。
など、次々と腰砕けの状態になり結果的に「作品集」といった形に収まった様子が伺えます。
また、このアルバムが全く売れていないことに動揺した小室氏の脳裏には
"TM NETWORK 以外の選択肢” が浮かぶこともあったようです。
"TM NETWORK 以外の選択肢” が浮かぶこともあったようです。
この辺を丹念に取材していけば、作られたストーリーに守られたアイドルではなく、
ドラマティックで酸いも甘いも噛みしめた
アーティスト(Human)としての TM NETWORK を歴史に刻むことが出来るでしょう。
ドラマティックで酸いも甘いも噛みしめた
アーティスト(Human)としての TM NETWORK を歴史に刻むことが出来るでしょう。
しかし、その大きなチャンスになったかもしれない NHK-BS『MASTER TAPE』では、
当初、『RAINBOW RAINBOWを紐解く番組』との企画案が出されたものの、
小室氏に即、却下されてしまったそうです。
小室氏に即、却下されてしまったそうです。
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初期の作品群の制作実態、葛藤、その悪戦苦闘ぶりを公の場で語ってほしい。
今回の小泉氏インタビュー中にも、音や人名など何らかのキーワードがあれば、
とたんにあやふやだった記憶が鮮明に蘇るという場面が多々ありました。
とたんにあやふやだった記憶が鮮明に蘇るという場面が多々ありました。
さらに今回は「小室哲哉の旧友としての小泉氏に焦点を絞る」と宣言したように、
作品に関する具体的な作業工程などはあまり深くお聞きしませんでしたが、
やはり音色の話となると、ものすごい反応速度で答えが返ってきました。
この様子を見ていると、インタビュー初回冒頭に書いたように、
一人一人の記憶が曖昧でも皆で話せば確かなことが浮き彫りになってくるだろうと感じます。
一人一人の記憶が曖昧でも皆で話せば確かなことが浮き彫りになってくるだろうと感じます。
そのなかには先に書いた TM NETWORK という枠を越えた貴重な出来事が
(技術的なことだけではなく)まだまだ含まれているはずです。
(技術的なことだけではなく)まだまだ含まれているはずです。
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『ファンであるならばこそ』このような中途半端な採り上げ方で満足されず、
ぜひ本当のことを知りたいと声を挙げていただきたいと思います。
ぜひ本当のことを知りたいと声を挙げていただきたいと思います。
デビュー前の小室氏が、自身で所有していた廉価なシーケンサーで作ったと思われる「INTRODUCTION [ANY TIME]」(TMN GROOVE GEAR 収録)。
この曲における、牧歌的とさえ言えるシンプルなシークエンスに対し、
冒頭から16分音符が雪崩を打つように押し寄せる「1974」を聴けば、
デビュー時における小泉氏の果たした役割の大きさは一聴瞭然です。
冒頭から16分音符が雪崩を打つように押し寄せる「1974」を聴けば、
デビュー時における小泉氏の果たした役割の大きさは一聴瞭然です。
ミツカワとしては、
どんな事情があれ『作品にかけた想い』そのものは否定されるべきではないと考えます。
どんな事情があれ『作品にかけた想い』そのものは否定されるべきではないと考えます。
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また、資料確認から相談まで付き合ってくれた
・青い惑星の愚か者
・GAUZE
・かっと
各氏に感謝いたします。
さて次回からは、通常の「TM NETWORK の重箱のスミ!」に戻ります。
個人的に慌ただしい時期に入るので、更新が遅れます…と書こうとしましたが、
現状でも十分遅れている(ほんと、ごめん)ので、さして変わらないと思います。
今後とも気長にお付き合い下さい。
難しいことはわからない感覚人間なので「魔性」と「不安」という言葉が
返信削除あぁ、そうだ…と印象に残りました。
それを頭に置きながらCHILDHOOD’S ENDを聴いています。
FANKSといってもポコ太さんたちと違ってライトファンなので
小泉さんの存在も意味もこのブログがなければ考えることはなかったと思います。
まさにTM NETWORKの重箱、重かったです。
また落ち着かれたらスミのほうも楽しみに待っています。
ヘビーな箱を受け取っていただいて、ありがとうございました。
削除これからも時々持ち上げて、その重さを実感してみて下さい。
>>難しいことはわからない感覚人間なので
音楽は楽しむものなので、聴く分にはそれで十分じゃないでしょうか。
では、これよりスミっこのほうに移動します。
更新楽しみにしていました。音から遡って史実にたどり着かれる手法と過程には感動するしかありません。また、最後の部分は圧巻でした。ポコ太様がどれほど深く強くTM NETWORKを愛しているか、圧倒される思いで読ませて頂きました。
返信削除最後に一言、、、、献辞のところ、、、僕の名前も入れて下さいよぉ。
え、あぶり出しでしょ!
削除私には見えますよ、○○○○の4文字が…
バレバレですね。で、「あぶり出し」をキーワードにすると、
削除あなたは〇〇(二文字)さんですね?
ポコ太さん、あなたの貴重なスペースで勝手に遊んですみません。
残念ハズレ!〇〇さんはブログコメントには現れません。
削除ポコ太さま、(お互い)相変わらず変人奇人で申し訳ございません。
それでは、お二人とも横浜でお会いできるのを楽しみにしております。
アメリカからコメントかっ!
削除>>献辞のところ、、、僕の名前も入れて下さいよぉ。
そうか。それは失礼しました。
では、
「こんなこと書くのは僕しかいない様」に深く感謝いたします。
これでいいんですよね? (ニヤニヤ)
全ての記事を読んでから書き込もうと思ってたのでコメント遅れてしまいましたが、小泉さんインタビュー記事本当に、本当にお疲れ様でした。
返信削除初めから最後までポコ太さんの尋常ではない知識と分析と労力と情熱が生んだ感動の記事で、読んでて何度も溜息が漏れましたよ。僕も機材や音色等の話には非常に疎いのですが、それでも小泉さんのTMにかけた並々ならぬ熱意がインタビューの端々から滲み出ていて心を打たれました。損得抜きであの初期のTMの活動を(円形脱毛症に悩まされながら)裏から支えた小泉さんに心からの感謝を伝えたいです。それと同時に確固たるポリシーと純粋なシンセサイザー愛でTM史の裏に封印されかかった小泉さんの偉大な功績をネット上に刻みつけ、公式を疑いリアルタイムに関わった人物の言葉がいかに重要かを伝えたポコ太さんに心からの「ありがとう」を贈りたいです。
あと、献辞に自分の名前が出ててビックリしました。こちらこそポコ太さんのお役に立っていたのか不安でしたが、青い惑星さんやかっとさんと名前を連ねていただいてとっても嬉しいです\(^o^)/。
また重箱のスミに戻っての新しい記事、楽しみにお待ちしております。その前にTM30thFINALが控えてますね。横浜アリーナでお会いできるのを楽しみにしております。では(^^)ゝ。
最後まで見守っていただき、ありがとうございました。
削除またいつもの事とはいえ、横浜から車での送迎ありがとうございました。
横浜が終わって、インタビュー企画も終わって、
一種の燃え尽き症候群と化しております。
ただ、こうやってボーっとしていても、
隅っこの方は常に気になって突きまくっている自分がいます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ポコ太さんにお願い⭐
返信削除戦隊物好きをカミングアウトされてしまってましたが、んーそっちも気になると言えば気になるんですが┅「TM NETWORK の重箱のスミ」で続けてくださいね。
お願いします(*- -)(*_ _)ペコリ
では、私も横アリで!!
(私は1日目のみですが、ポコ太さんはもちろん二日間ですよね!?)
にゃろさん
削除横浜では偶然お会いしましたね。本当に偶然でびっくりしました。偶然てすごいなぁ…。
実はね、誰もツッコんでくれないけど、
開始当初からちょくちょくソレ系のネタをぶっこんでるんですよ。
誰もツッコんでくれないけどね…。
…でもやり続けるよ、あたしゃ!(鼻息)
(一例)
2つのメディア・境界線を見極めろ!! →
仮面ライダー(スカイライダー)第20話「2人の仮面ライダー もう1人はだれだ?」
Get Wild 様、爆現! →
仮面ライダーキバ 第40話「アンコール・名護イクサ爆現」
あとがきからは、ポコ太さんの真摯な思いが伝わってきました。
返信削除30周年完遂後、どこかで過去の話が公に明らかにされること、私も熱望しています。
小坂さんのお話も本格的に知りたいですね(もう引退モードなので間に合わないかもしれないけど)。
あと当事者自身が意識的に秘匿していることもあるだろうけど、何が重要か理解していないせいで語られていない部分も多いと思うんで、聞くべきことを聞き出してくれる有能なインタビュアがまずは必要でしょうね。
そこらへんをTM関係者から選ばせると、残念な結果に終わりそうな不安があります。
ともかく長い間、大変お疲れ様でした
しばらくお休みください(笑)
いろいろとグチを含め付き合っていただき、ありがとうございました。
削除TMの話題って同じ場所ばっかり堀り返してる気がして、
非常にもどかしいことが多いです。
個人的には小坂さんに加えて、J&K松村慶子さんの話も伺いたいですね。
また下のEMIさんへの返答と被りますが、
1986年というのも、なかなか興味深い時期だったと思うのです。
しかしこちらも「ブレイクへの入り口」くらいにしか語られず、
これまた非常にもどかしいです。
とりあえず一服したら、また隅っこを突きまくるので
今後ともよろしくお願いします。
ポコ太さん、本当にありがとうございました。
返信削除重箱がはじまってから、私の中のTMがすっかり形を変えてしまうぐらいの衝撃で
小泉さんはもちろん、ポコ太さんの才能と労力にも圧倒されっぱなしでした。
やっぱり大人になってから、このインタビューを読めて良かったです。
私がFANKSになったのはCAROL前ぐらいで、「何か凄いことを余裕でしている小室さん」が
格好良くて、中学時代アイドルのように好きだったんで、その当時では受け止められなかったです。
まさに金色の夢に夢中なCAROL百万枚の中の一人です。
周りにもいっぱいいました。
それが、オリジナルアルバムしか買わない一般レベルの私みたいなへなちょこFANKSとはいえ
三万人の中の一人になりました。当時夢の中身を知ってたら、好きにならなかったと思います(若い時は潔癖なので)
数字を見ると、小室哲哉は二人要らない作戦は成功した、ということなのでしょう。
たぶん、30周年でもっと掘り返したかったのが、私みたいなファン層だったのではないでしょうか。
私が関係者なら、数字考えて絶対にこの素晴らしすぎるインタビューは出さないです。
小泉さんに緘口令です。(そうじゃないってことは、そこまで汚くないのかな?とホッとするほど)
でもやっぱり、おかしな言い方ですが、死ぬ前に好きな人達のこともっと知れてよかったです。
人間として、TMのこともっと好きになりました。
このような機会を与えてくださって、ありがとうございました。
EMIさん
削除>>アイドルのように好きだったんで、その当時では受け止められなかったです。
さすがに時効だと思うんですが(笑)小泉さんは
「(さまざまな試行錯誤が)うまくいったら小室のおかげ、失敗したら小泉ごめんね(泥をかぶってね)という世界ではあった」とおっしゃっていました。
そのうえで「俺は別に嫌じゃなかったよ、そういうのは」ともおっしゃっていました。もう純粋に旧友と一緒に音楽ができているということが幸せだったとのこと。
僕の個人的な印象では、TMを離れたことよりは「哲ちゃん」と音楽をやる道が閉ざされたことの方が辛かったようにお見受けしました。
>>小室哲哉は二人要らない作戦は成功した、ということなのでしょう。
ただ小泉さんが離脱されて、すぐにTMが軌道に乗ったと言うわけでもないようです。
僕がもう一つ気になっているのは「GORILLA」の時期なんですよね。
公式ではシングル「Come On Let's Dance」と同時にFANKS宣言。
ブレイクの階段を登り始めたと言うことになっていますが、デビュー以降、右肩上がりだったのは間違いないとしても、実際はメンバーの想定ほど(そして恐らく、レコード会社が求めるほど)にはセールスが芳しくなく、かなりの危機感があったようです。
当時、ファンの一部にも動揺が広がったと聞いています。
小室氏本人も "4枚目(Self Control)を作らせてもらえたのは「My Revolution」大ヒットのご褒美” と言っているように、1986年のTM NETWORKは世間的には "「My Revolution」を作曲した人のバンド” 以上のものではなかったです。
だからこそシングル「Self Control」時のメンバー発言「これが売れなかったら僕たち本当にやばいよね」につながっていくんだと思います。
今回は小泉氏インタビューということで1985年で区切っていますが、TMの混沌期と言う意味では85年から86年いっぱいというスパンで見るべきではないでしょうか?
ただそうなると、小泉氏の離脱は音楽路線とは関係がない
ということになってしまうので、こちらとしても歯切れが悪いのですが。
>>このような機会を与えてくださって、ありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ近江牛カレーとジューCありがとうございました。
自分のライブ直前の『ここぞ!』という時を狙って食べようと時を探っています(笑)
食したら報告いたします(笑)
あああ!爆笑トークライブ行きたかった・・・!!!
削除抱腹絶倒間違いなしなのに・・・(違う?)
うまくいったらポコ太さんのおかげ、失敗したらごめんね(カレー辛かったよ)
ってなことになりませんか?でも、嫌じゃないです、そういうのは。
初めてコメント書かせていただきます。
返信削除今回の「重箱」お疲れ様でした。
私は、ここ1、2年の間、TMの終了以前までの作品を見聞きしながら、小室哲哉=パソコンが
不自然に感じることがありました。
誰がパソコンを使い出したのか・・・・小室さんでは・・ないよね・・的な。
どの映像でも、小室さんはPCを不慣れな手つきで操作してる感じがするし・・・・。
他にも色々「不審」に思うことが多々あったり。
デビューしたばっかりのグループが、何台も高価なシンセを所有できるのか?
または、事務所がそこまでお金をかける事があるのか?などなど。
でも今回の重箱で、何だか妙にすっきりした気分になれました。知らなかった事実も
知ることができたし。確実にFANKSレベルが上がったと思います(笑)
個人的には、シンクラビアに関しても何らかの「事情」が隠されている気がしています。
正直、導入が遅すぎますよね・・・。TMに導入された時期はシンクラビア自体、すでに
下火になりかけてたタイミングのような。。
などと色々私も、ポコ太さんを見習って妄想を膨らませていこうと思います。
今回、素敵な記事、本当にありがとうございました!
今後のご活躍をお祈り致します!
think of tmさん、はじめまして!
削除なかなか鋭い嗅覚をお持ちのようで、敬服いたします。
>>シンクラビアに関しても何らかの「事情」が隠されている気がしています。
小室氏が最初にシンクラヴィアを使ったのがいつか?なんですが、
僕が知っている限りでは1988年夏の『SFX博』用のレコーディングと思われます。
この時は淡々とした様子だったのが、その後の傾倒ぶりと比較して面白いです(笑)
たしかにシンクラヴィアは謎が多いですね。
まず、小室氏が個人でシンクラヴィアを購入したという話は聞いたことがありません。
事務所の金で買ったとか、日向氏の物をリースしたとか、
小坂ー丸山ラインが動いたとか、当時いろんな真偽不明の噂が流れてました。
また一説にはシンクラヴィア購入自体が問題ではなく、
それをツアーに持って出たことが、運搬からステージ上の温度管理まで
金食い虫になってしまった、なんて噂まで聞いたことがあります。
下手すると金銭問題から解散にまでつながっていく話かもしれませんので、
シンクラヴィアは正直、手を出しづらいネタです。
>>今後のご活躍をお祈り致します!
僕が本気を出すとへなちょこ方面に突っ走ってしまうのですが、
それでもよろしかったら今後もお付き合い下さい。
お返事ありがとうございます。
削除自分がどうしてこの話題は取り上げてらっしゃらないのだろう・・と思っている事がシンクラヴィアを含めていくつかあったのですが、やはり、ポコ太さんが判断されて敢えて取り上げてないのだろうと思いました!
私も学生時代には気にも留めてなかった事がこの歳になって色々と気になってます。
まあ、どんなグループにも表には出せない「大人の事情」はありますからね。
でもTMなら、どんな事でも受け止めてみせます(笑)
あと、言い忘れておりましたが、この記事で私の頭の中は小泉さんでいっぱいになって
おります。素晴しい方だと改めて敬意を表したいと思います。
think of tm さん
削除そんなに深い考えがあってのことでは無いですよ。
というか浅い考えもないですよ(笑)
☆大シンクラヴィア様々☆なんて王道のテーマについては、
真正面から真面目に取り上げてらっしゃるBlogなどが既にありますし、
僕などできる事はありませんので…。
むしろここは「どうして採り上げていなかったのか」ではなく
「どうしてそれを採り上げちゃったのか」と言うネタが中心になっちゃう残念Blogです。
次回、次々回とネタは既に見つけているので、
来月からはまた張り切って、しょんぼりしたBlogを書いていこうと思います。
よかったらまたお付き合いください!
ポコ太さん、あとがき読みました。
返信削除確かに、ぼくも小泉さんのこと名前も知らなかったかな~
今回のブログで小泉さんのクレジットがないのも本当に謎だよね。
古い音源で、小泉さんの事を紹介しているLIVEの音源を聴いたんだけど あれはいつのLIVEかな~
でも、Quatroの意味で4とあるけど どうしてこのタイトルにしたのかな~
VISION FESTIVALで この曲を聴いたら小泉さんのことを思うようにします。
おわり
まかろんさん
削除メンバーのインタビューやご本人の話を聞いてみると、
少なくとも「INNOCENT BOY」の “作詞/TM NETWORK” というのは
小泉さんも含んでいることになりますよね。
この辺、ほんの一時期ですが非常に境界線が薄くなっていた、
あるいは境界線を無くすことを検討されていた時期があるみたいです。
状況が混沌としていて全てを把握できている、
またはコントロール出来る人がいない状態だったのではないでしょうか。
「Quatro」に関しては当時小室氏が「4人で演奏しているから」と
はっきり言っているので、小泉さんを含めた曲名なのは確かです。
個人的にはそういう経緯は省いても好きな曲なので、
その後、演奏されなくなったのは残念です。
>>この曲を聴いたら小泉さんのことを思うようにします。
ぜひそうしてください。
話は変わりますが、22日は大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
以前よりブログは拝見しておりましたが、今回の小泉さんへのインタビュー、とても興味深く読ませていただきました。大変読み応えのある内容でした。お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
返信削除idol(アイドル、偶像)じゃなくて human(アーティスト、人間)、 と書いたところがうまいな~。ポコ太さんの才能に嫉妬です!
他にも感想はヤマのようにあるのですが、取り急ぎ一言お礼まで。
イノさん
削除そちらこそお疲れ様でした。
書く方も大変、読むほうも大変な「30周年記念・耐久マラソン」がようやく終わり、
いささか燃え尽き症候群となっています。
そちらも気持ちが一段落したら、またコメント下さいね。
「才能に嫉妬」で思い出しましたが、Renewal宣言の中で
「驚いて欲しい。恐れおののいて欲しい」ってありましたな…。
ふふふ。
では次回のエントリーからは「あきれて欲しい」
例のオフ会で気楽にコメントして良い、とのことでしたので、勇気を出してコメントを…
返信削除高校生の頃「EARTH」を読んで、この当然のように出てくる、小泉って誰???ってモヤッとしたことを覚えています。でも、私はこの本でしか小泉さんの名前は見なかったし、その後も出てこなかったので、やはり初期のサポートメンバーと検討つけて、そのまま忘れていました。
そして、、、私はファーストアルバムとセカンドアルバム、特にセカンドアルバムがそれほど好きじゃなくて(それぞれ好きな曲はありますが)、それは、私は初期の小室さんの作風とは合わないんだ、と理解してました。でも、そうじゃなくて、もっと根本的に違ったのですね。こういうことがわかると、スッキリするし、また違った聴き方ができますね。でも、Twinklleのミニアルバムは好きなんです。セカンドほど大人っぽくないから?なんでだろう。
それでは、ありがとうございました!
makiさん
削除飲み会、お疲れ様でした。
会う方会う方、皆さん「気軽にコメントしづらい」とおっしゃるんですが、
ここは特撮ヒーロー好きが "間違えて” TMをネタに始めてしまった
いい加減なBlogですからね!
そんなお気遣いいただかなくても
気楽にどんどんコメントしてやってください!
さて、FANKSという大きな柱が出来た後だと、
「それ以前」という大きな括りで見てしまいがちですが、
インタビュー本文にも書いたとおり、
ファーストとセカンドもかなり路線が違いますよね。
ただ、あえて共通点を挙げるとすると
「届けるべき相手(焦点)が定まっていない」てことかもしれません。
その点、ミニアルバムは映画というイメージソースがあり、
また、クリスマスアルバムという分かり易いコンセプトがあるおかげで、
作る方も焦点を絞りやすいし、
聴く方としても入って行き易いのではないでしょうか。
残念ながらライブ活動が一段落してしまい、
みんなと会う機会もなかなか無くなってしまいました。
次に御会いできるのが、いつになるのかわかりませんが、
よかったらまた書き込みしてください!
「重箱」シリーズ完結、誠にお疲れ様でした。
返信削除これだけの情報をまとめ上げるには相当な労力がおありだった事と思います。
これは本にしないと勿体無いでしょう!「電子音楽インジャパン」に載ってもおかしくない貴重なエピソードが満載でした。
色々な事情があって難しいのでしょうが、謎の多かった初期の制作体制を知れて感激でした。
またスミっこホジホジの記事を楽しみにしています^^
ticoさん
削除どうも、ありがとうございます。
ホント、こんな場末のBlogに載せるような内容ではないんですよ!
正直、こんな "おいしい話つまみ食い" みたいな企画をして、
小泉さんに申し訳ないような気持ちすらあります。
まだまだ掘り返すと、面白いことがザクザク出てくると思うんですけどね…。
さて僕は既にスミに移動して、ホジホジの準備を始めています。
やっぱりスミッコは落ち着きます(笑)