2015年2月28日土曜日

祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その3】☆ 幼年期の終り



ミツカワです。


さて今回も、このBlogは「TM NETWORK の重箱のスミ!」ではありません。

                    です!

いつもとは体裁が異なりますことを御了承下さい。



昨年末より3回に渡って御送りしてきた
TM NETWORK 30周年記念・特別企画【小泉洋氏インタビュー】

いよいよ今回でひとまずの区切りとさせていただきます。
こちらの冒頭にある『読者の方へのお願い』は
重要な注意事項を含みますので、必ず目を通してください

またここまでのエントリーを読まれていない方は、
より理解を深める為、是非そちらから御覧ください。



なお今回の「Dragon The Festival Tour」に関する項目については、
こちらのエントリーを先に御覧いただくと、
より(胃の痛くなるような)臨場感を味わうことが出来ます。
ぜひ、合わせてお読み下さい。




           では、大変お待たせいたしました。
       本邦初!【小泉洋氏インタビュー】第3回スタートです。
         (文中の注釈はミツカワが付け加えたものです)







♫ C-Dragon Project ~もうひとつの Network 〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さてセカンドアルバムの話をうかがう前に、ひとつお聞かせください。
     この時期、小泉さんのクレジットには「C-Dragon Project」とありますが、これは?
◯ ああ、それは俺と小室とでやってたユニットみたいなもん。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?これ小泉さん個人のものではなかったんですか!
◯ そうだよ。あの頃だと哲っちゃんも TM じゃ稼げないわけでさ、言葉は悪いけど
日銭を稼ぐというか。そこで俺と哲っちゃんとでCMとかアニメの仕事をやってたのが
「C-Dragon Project」なわけ。アニメってあれだよ、主題歌とかじゃなくって、
画面に合わせてジュワーンとかそういうのね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へー。なんで "C-Dragon" なんですか?
◯ 哲っちゃん、ドラゴン好きだからさあ(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(大笑い)
◯ ほら当時、シードラゴンって流行ってたじゃん。あれから採ったはず。
ただそれだと普通は「C」じゃなくて「Sea」だけど、
あの頃コップに入れてプカプカさせるおもちゃあったじゃん?
あの形(アルファベットのC)から採って C-Dragon だったはず。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なんだか、えらく単純な話だったんですね(笑)


      (上段「CHILDHOOD'S END」・ 下段「Twinkle Night」より)












♫ CHILDHOOD'S END 〜音に込めた色艶〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ではセカンドアルバム「CHILDHOOD'S END」の話をお聞かせください。
◯ セカンドは一番、俺の色が出ているアルバムだね。
このあたりが一番、俺の影響がある時期じゃないかな?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あ、そうなんですか?!素人目にはファースト(アルバム)の方がピコピコしてて、
     小泉さんの手がける範囲が広いように思ってましたが。
◯ ファーストは実験というか、テクノロジーへの挑戦がメインだったような気がする。
毎日毎日、あんなことは出来るか?こんなことは出来ないか?って。
それはうまくいけば宣伝にも使えるしね。
だからファーストは革新的っていう意味では価値が高いと思っている。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ はい。
◯ だけど一応それはファーストで消化された形で、セカンドを作るってなったときに、
俺なりの思いがあって、1ヶ月ほど一人でヨーロッパ旅行に出かけたんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …と言いますと?
◯ 1年目は技術的なこともそうだし、プロとしての足場をつくるという点においても、
とにかく小室も俺もがむしゃらに突っ走っていたわけだ。
だけどどうやらセカンドを作れる、作らせてもらえるという周りの状況が見えて来た時に、
その気持ちの余裕が、当たり前のことなんだけど『いい音楽を作りたい』って方に
向かったんだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
◯ それで俺も当時は若いしバカだからさ(笑)『シンセの限界を試したい』なんて
カッコいいこと考えて、まずは本場のバイオリンとか
いろんな生の楽器の音に触れてこようと思ってヨーロッパ行ってきたの!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あ、単なるバカンスじゃなかったんですね?!
◯ で、帰ってきて哲っちゃんと話して、もう任せろ!みたいな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へー。よく『TMは3枚目で路線変更をした』と言われてますが、
     ファーストとセカンドでもかなり違いますよね?肌触りというか…。
◯ ファーストがテクニカルな挑戦という側面があったのに対して、
セカンドは "音楽的” だよね。ハートフルというか。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ファーストでは「1974」のピコピコに代表される、
     これ見よがしのテクノロジーのようなものが、セカンドでは姿を消していますよね。
◯ 相変わらず革新的なことはいっぱいやってるんだけどね。
馴染んでいるというか、より音楽的というか。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、そうですね。
◯ セカンドで俺がとことんこだわったのが “色気” だったんだよ。
生楽器のもつ色気というか…わかるよね?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なまめかしい感じ、ですよね。
◯ そうそう、そういう艶っぽさみたいなものを重視したんだよね。
変な表現だけど "シンセでできた生楽器" というか。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
◯ むこうでバイオリンなんか聴いてみて「うわーこんなにピッチが波打ってるんだ」
とか分って、シンセもあえてピッチをずらすようになったり、ハイハットも微妙にずらして
人間味をだしたり。TM じゃない別の現場では、やってる途中ディレクターに
「大丈夫?そんなことやって」とか「ちゃんとやってよ」とか言われたこともあったよ。
でも出来上がったもの聴かせたらみんな納得して。
結局その「色気のある音」っていうのが、その後の俺の武器になっていくんだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 個人的な話で恐縮ですが、僕は TM のアルバムでこの「CHILDHOOD'S END」が
     一番好きなんです。だけど、じゃあどの曲が好きなの?と問われても答えられない。
     ただただ全体を包む空気感のようなものが好きだったんですが、 たしかに
     ファーストと比べても “色気” や “艶” という意味では、セカンドは圧倒的ですね。
◯ 圧倒的だよね。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さて、セカンド制作時のインタビューで小室さん、木根さん共に、
   「曲が足りない、曲が書けない」とおっしゃってたんですよ。
     結局、昔作った曲を引っぱり出してきたとか。
◯ うーん、日常的に哲っちゃんと俺とでジュンアンドケイのスタジオ借りて
デモは作ってたはずだけどね。小室から「こんなの作ったんだけど、どう?」って、
いろいろ渡されたこともあったし、30曲くらい入ったデモテープ持ってたのも憶えてるし。
…うーん、その辺の事情はよくわからないな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ その反面、ライブでは「17 to 19」など、
     新曲をどんどん作って演奏していたわけですが、
     このライブ曲をセカンドに入れるという話はなかったんですか?
◯ うーん、どうだったかなあ、ちょっとそこらへんは憶えてないなあ…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そうですか。でも贅沢ですよね、
     ライブ用に何曲も作りながらレコーディングしないって。
◯ うん…いや、責められても困るんだけど…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …いやいや責めてません責めてませんって!『贅沢だ』って言ってるんですよ(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そういえば「ELECTRIC PROPHET」は当初、セカンドの柱になる予定だったのが、
     曲が長過ぎることや、アルバム・コンセプトの変更から没になったそうですが、
     レコーディング自体はしたと小室さんがおっしゃっていたんですが…。
◯ それもよく憶えてないけど、デモをレコーディングしたってことじゃないかな?
その時点で長いって判断も出来るし。でも後で『どうしても作品として世に出したい』と
いうことになって、じゃあミニアルバムでってなったんだと思うよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では話が前後しますが、本番(ミニアルバム「TWINKLE NIGHT」)の方は?
◯ 「ELECTRIC PROPHET」はかなり頑張った記憶がある…シンセとか、
…シンセ頑張ってるよね?あれ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ええ、頑張ってます。頑張ってますよ!










♫ 愛をそのままに ~音色もそのままに~


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さて小泉さんにお話を伺う以上、この曲は避けて通れないんですが、
     アルバムの最後に収録されている「愛をそのままに」という
     木根さんの曲がありましたよね。
◯ ん?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ イントロの音色で、木根さんがモグワイの…
◯ ああ、あれね!俺はあれでいいって言ったのに、木根は最後になって
ヤダヤダってごねたの。怖い怖い怖い!って。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみに小泉さんは別にモグワイの声を意識して作られたわけではないんですよね?
◯ うん、ないよ別に。あの音は初めから自分の中にイメージとしてあって、
あれは PPG(前エントリー参照)で作ったんだけど、俺としては凄く素晴らしい音だと
思ってんだけど、木根は怖いって言うのよ。…まあ「グレムリン」流行ってたしねえ(苦笑)




        (注)映画「グレムリン」日本公開1984年12月8日
   なんのことか分らない方はこちらのエントリー中のスキャン記事をお読み下さい。




⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみにこの曲に限らず、木根さんが自分の曲に対して、
     こうして欲しいってありました?
◯ 無かった。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(笑)
◯ たぶんブツクサ言ってても、小室と俺とで黙殺?(笑)
で、哲っちゃんが「木根!小泉がこう言ってんだからいいじゃん!」て。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それ、悪者にされてません?(笑)
◯ まあ、今なら『木根がそうしたいんだったら、そうしたらどう?』って言うんだろうけど、
当時は俺も若かったから『いいじゃん、こっちの方が!』で終わりっ!(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 実は、この曲中に当時から大好きだった音がありまして…これなんですけど。
   (0:44~0:47にかけてセンターで鳴る下降音)しかもこれよく聴くと
     まるで実音より先に、エコーの方が先行して左側で鳴っているように聴こえますね。
◯ まあ、この時はいろんなことやってたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それはシンセ単体ではなく、エフェクターから部屋鳴りから含めてということですね。
◯ そうだね。もうやりたくないね(笑)
よくあんな面倒くさいこといろいろ考えてさあ…、極限だったと思うよ。






♫ FAIRE LA VISE ~受け継がれるロマンス~


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 前年、ちょうど「1974」がシングルカットされた日に、
     大江千里の「ロマンス」という曲が発売されて、これにも関わられてますよね。
◯ あ、それやったなあ。大江の千ちゃんはウチの多摩の実家にも何度か遊びに来てたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そうなんですか。で、その「ロマンス」のイントロで…なんて言ったらいいんだろう…
     こうブリキをダダダダッと叩いた様な…
◯ ああ、やったやった!あれはカーンと鳴らした音をピッチチェンジャーを使って半音だかに
下げた音出して、それをディレイに突っ込んだんだよ。で、それをまたピッチチェンジャーに
返してやると、どんどんどんどん無限に下がっていくじゃない?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、じゃあ元になる実音は最初の "カーン" だけなんですね。
◯ そうだね。それを過剰にループしないようフィードバックの量を巧い具合に調整してやると
ああいう音になるんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯「FAIRE LA VISE」のイントロ(0:07~0:10)でも似た様な音がしますね。
     こちらの方がずっとクリアで洗練されてますが
◯ ああ、あれもそう。もう当時は思いついたらやってたからねえ(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ これって一発ネタというか、これだけのためのものですよね?
     この一発ネタのためだけに…
◯ そうそう、それしか使えない(笑)もうこの頃はいろんなこと考えて、
ああやったらどうだろう?こうやったらどうなるんだろう?ってやってたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そりゃ、時間かかりますよね…そんなことしてたら…。
◯ う~ん、そうだね~。よくやってたねえ~(笑)


    (注)小室氏は、翌年「GORILLA」発売時のインタビューで、
       「I WANT TV」~「Come On Let's Dance」間のSEについて、 
       この音を ”真似てみた” とコメントしている。






♫ 永遠のパスポート 〜逢う度に見つけたい〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 僕、PARCOライブでの「1974」などのBass音が大好きなんですが、
     この曲のBass音も同じ系統ですよね。この "音色とフレーズのハマり具合" というか
     相乗効果を聴くだけでも、失礼ですが先程(前エントリー)おっしゃた
   『デビューから1年間での成長』というのが伝わってきます。
◯ うん。俺、Bass に関してはその後の仕事でも定評があったのよ。ふくよかな音でありつつ、
歌い手さんそれぞれの声質を邪魔しないように倍音をコントロールしたりとかね。
倍音男って呼ばれてたもん(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ば、倍音男(笑)
◯ 膨らみのある暖かい音が好きだったから、SynthBass に関しては DX7 は使わなかった。
DX7 使うと芯は出やすいんだけど、無機質になるような気がしてね。
たしかあの頃は、Oscar のデジタルの部分と OB-8 を混ぜるのが多かったかな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ Oscar!うわー懐かしい…。

















            Oxford Synthesizer Company【Oscar】
       ぶっとい音に定評のあった、アナログ・デジタル Hybridの名器。
          日本には限られた数しか入ってこなかったそう。
    名器でありながらボディーの各部がゴム製という "変なシンセ" でもありました。





⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 一昨年の話になるんですが、小室さんがTwitterで、
   『今まで作った音色で一番好きな音色はどれですか?』と尋ねられて、
     自分一人で作ったわけではない、と断ったうえで、
   「永遠のパスポート」間奏のソロ音色をあげていらっしゃったんですが…。
◯ ん?どんなのだっけ?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (ミツカワ持参のスマホ用スピーカーを付けたiPodで試聴)
◯ (しみじみと)お、懐かしいなあ。あ、この部分は DX7 だ(一緒に鼻歌を歌う)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (早送りして1番の終わりへ)ここからですね。
◯ あ、これか~!Oberheim(OB-8)だな。
……でも『良い』ってほどの音色でもないじゃんねえ?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ いやいや、作った御本人を目の前にして
   「そうですね」なんて言えるわけないじゃないですか!
     ……でもですよねえ?他に凝った音色はいくらでもあるのに…と思ったんです。
◯ ちゃんとスタジオのでっかいモニターで鳴らすと凝ったことしてるのかな?
でも今聴いてるかぎりじゃ、普通のフレンチホルンの音を OB-8 で作っただけというか…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なので音色そのものというより、その時のシチュエーションだとか、
     何か他の理由があるのかな?と考えたんですが。
◯ うーん、どうだろうなあ。そこは俺にはわからないな。


◯ たださ、音楽ってつまるところ “感動” じゃない?
理想論としては、音色があってフレーズがあって、
それを弾いたときに、鳥肌が立ちたいというか…。
それはいつも思っているから、なにかしらのタイミングで
なにかとリンクすると、自分の中で貴重な “響き” になるかもね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
だから俺がこだわってた "音の色気" っていうのもそこなんだよね。












♫ Dragon The Festival ~Come on Dragon the Festival!~


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ この年の秋には、いよいよ TM NETWORK 初めての本格ツアー
   「Dragon The Festival Tour」がスタートしましたね。
◯ この時はもう、始まる前から極限だったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なんとなく予測がついて、聞くのが怖いんですが(笑)どういうことでしょう?
◯ 舞台監督にしろ誰にしろ(パソコンを使ったライブなんて)初めてのことで、
何もわかんないんだよ。そうなると俺に聞いてくるしかないじゃん?
哲っちゃんにしたってパソコンに詳しいわけじゃないから、話してても
「ごめん洋ちゃんさぁ、それ出来るかどうか舞台監督と相談してみてくんない?」てなるし。
(パソコンの)設置場所を何処にするのか?とか、振動はどうだ?電圧は?とか…。
いろんなこと想定して照明だろうが舞台装置だろうが、どの打ち合せにも
俺は出なくちゃいけない。他のメンバーみたいに、自分に関わるところだけじゃないから。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ うわー…。
◯ そのうえ当然、メンバーとの音に関する打ち合せもあるし、
他にもワタルちゃん(ドラム担当の山田亘氏)との同期演奏に関する連携の打ち合せ…、
なんてことやってるうちに結局、全部に首つっこむハメになっちゃってさ。
ほんと寝る暇が無いっていう。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 当時のメンバー間でも『小泉=いつも寝てない』って認識だったようですね。

























             1985年10月17日 広島公演楽屋にて






⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ではツアーがスタートしてからの話ですが、この時のことについては僭越ながら、
     この重箱Blogでも書かせていただきました。
◯ 読ませてもらってさあ、ほんと嬉しかったよ。
『ああこいつ、俺の苦労わかってくれてるな』って。

◯ だってあれ、普通の人が受けるプレッシャーじゃないよ!
ばーって何百人もいる観客の前で『全てはあなたのそのパソコン次第ですよ』って。
今の(現代の)じゃなくて、当時のパソコンだからね!
なのに、エラーはだめ、もちろんフリーズもだめですよって、
正直『いや、そんなの俺に言われても』って言いたくもなるよ(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ うわー、聞いてるこっちまでドキドキしてきたー。
◯ 照明のせいでMIDI周りが飛んじゃうとかさ、何が起こるかわかんない状況で、
そんなのプロもクソもない。いかんともし難い。…でも何かトラブルが起こったら、
事情の分らない人から見たら『小泉さんのパソコンが止まっちゃったみたいよ』ってなるし
『え、俺? 俺のせい?』てさ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(笑)
いや、電気周りは俺のせいじゃねーよ!東京電力に言ってくれよって!!(大笑い)
その後はMIDIも含め、どんどん進歩して安定していったけどさ、当時はねえ…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちょうどあの80年代初期から中期って加速度的にテクノロジーが進歩して、
     先月出来なかったことが今月には出来るようになってる、みたいなことが
     連続して起こってましたよね。それだけに今となっては当時の苦労って
     なかなか伝えづらい。聞かされる方も、理屈は分っても体感しづらいでしょうね。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみに一番緊張する瞬間ってどの辺でした?
◯ 暗転になってプレイボタン押す瞬間。タイミングひとつとってもコンサート全体の流れに
かかってくるわけで「今かな?まだかな?…よし、今だっ!」てボタン押しても
『えええ!動かない?!』とかね。まあ幸い、実際にはそんなこと起こらなかったけど…。
でもやっぱりキツいよ、あれは。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、そうか。トラブル以前に "何も起こらない" って可能性もあったわけですね!
◯ うん、怖いけどね。最後は神頼みだよね。

◯ そういう意味じゃ何度か会ったけど松武さん(注)なんか尊敬するよね。
あの時代、すぐにピッチは狂うは、データーをカセットテープからロードしたりとか。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それはもう、ミュージシャンとしての尊敬じゃないですよね(笑)
◯ そうそう、『同じ胃が痛い思いをしましたよね、先輩!』ていう(笑)


      (注)4人目のYMOと呼ばれたプログラマー・松武秀樹氏。
         TM NETWORK「GORILLA」にも参加している。
























    TM NETWORK における元祖 "要塞” 小泉ブース 1985年10月1日 札幌公演より







◯ でも本当に冷や汗かいたトラブルは一回だけだったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それはどういった?
◯ データーが飛んじゃったんだね。演奏中に。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あ!曲の途中で?!
◯ そう!でも…やっぱり若かったんだね(笑)前もってワタルちゃんに
『何かあっても16小節以内に俺が合わせて復帰させてみせる!』って言ってあったの。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ で、それが実際に起こったと。
◯ 突然、曲の途中で同期が止まっちゃって生演奏だけになって。急にクリックが止まったから
ワタルちゃんも『何かが起きてる…何かが起きてる…』って思いながらドラムを叩いてて。
でもそこでワタルちゃんと目を合わせてて、2番の頭からぴったりポン出しで乗り切ったの。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へー。
◯ つまり、データーを再度読み込んで、2番の頭まで移動させて
ワタルちゃんのドラムに合わせてマニュアル・スタート!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それはもうコンピューターの生演奏ですね!
◯ あとでワタルちゃんと2人で盛り上がったね。
『凄かったねー、目配せで分った?』『分ったよ!』って。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そういえば当時のドラマーだとヘッドフォン(でクリックを聞きながら演奏すること)
     を嫌がる人いましたよね。
◯ だろうね。YMOくらいだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 山田さんは初めからヘッドフォンに抵抗はなかったんですか?
◯ うん。そこはとてもフレキシブルでワタルちゃん…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 
◯ ワタルちゃん、いい奴だし(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(笑)




◯ 怖いといえば、マイクスタンドが飛んできたこともあったな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、それも聞きたかったんです!たしか名古屋公演でしたっけ?
◯ ウツがマイクスタンド振り回したらすっぽ抜けて、俺のキーボードに当たったらしいよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小泉さん自身は大丈夫だったんですか?
◯ ああ、俺には当たらなかった。
キーボードも問題なかったから、ライブの最中には気付かなかったんじゃないかな?
あとから、見てたファンの人に聞いて初めて知ったくらいで…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そうだったんですか(注)
◯ まあ、ライブなんて何事もありうるからさ。
もうあのときは俺、データーとか音色の呼び出しだとかで余裕無いから…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 当時よくおっしゃってた『27秒の壁』ですね(こちらのエントリー参照)




 (注)と、おっしゃっていますが、このエントリー執筆のため資料をあさっていると
    こんな記事が。小泉氏はしっかりと命の危機を察知していらっしゃいました。
























⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ しかし、余裕無いとおっしゃりながら、演奏もされてましたよね?
◯ そうね(笑)ていうかバカだよな、俺!(大笑い)
『同期やってんるんだから勘弁してくれ』って言えばそれで済む話なのに、
「1974」もハモってたし俺、♪~チャラッチャーって。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え、あのイントロのフレーズを?「1974」って打ち込み的にも山場じゃないですか!
◯ おまけにあのツアーではコーラスも歌ってたはず。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ はい、それは映像に残ってますよ。
◯ おかしいよね。これだけコンピューターで一番大事なところで、データー飛んだら
おしまいのところで、コーラスやって、キーボードも弾くってバカだよね(笑)
なのに『やれる?』って聞かれたら『やれる!』って答えてたんだよね。
他にも音色呼び出すだけじゃなくって、哲っちゃんが弾いてるシンセの音に
リングモジュレーターかけてギュワーンって歪ませたり。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ このときは組曲もやりましたよね。組曲「Vampire Hunter D」
◯ やったね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あれは打ち込み無しで、小室さん・小泉さん・白田朗さんの3人による
     シンセ・オーケストラ(生演奏)ですよね?
◯ あ、あれはそうだと思う。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 白田さんは純粋にライブのサポートとして、いらっしゃったんですか?
◯ あ、トンジ(注)はそう。哲っちゃんが元々付き合いあったみたいね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ フレッシュサウンコンテストでも小泉さんと一緒にサポートされてましたよね。
◯ あの時は同期使ってないからね。手(人手)が無いとどうしようもないし。
トンジはとにかく凄いのよ!
だからツアーでも彼がシーケンサー代わりのフレーズを弾いてるの。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なんちゃってシーケンサーですね。
◯ そうそう、シーケンサーモドキのフレーズを
手弾きでやってくれるってことで来てもらった。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では白田さんはコンピューターなどテクニカルなことは関与せず、
     純粋なキーボーディストとして参加されていたんですね。
◯ うん。


     (注)白田朗氏の愛称。当時のファンからもそう呼ばれていました。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみにこのツアーでのセットリストで、
     小泉さんとして一服つけるというのはどの辺りだったんでしょう?
◯ やっぱりその「Vampire Hunter D」じゃない?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも演奏はされてるんですよね(笑)
◯ うん(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ツアーが始まって以降も、色々変更はありましたか?
◯ あったよ。哲っちゃんの(ショルダーキーボードによる)ソロのギターみたいな音って、
ツアー後半ではチューブ(真空管アンプ)にしたはず。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そこらへんのエフェクターも含め、全部小泉さん側でコントロールされてたんですか?
◯ うん。哲っちゃん側でへたに音色を変えちゃうと、MIDIの流れが混乱しかねないからね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では、小泉ブースで一括して管理すると。
     この重箱Blogでも以前書かせていただいたんですが、
     それはすべて小室さんの背中を見て、それだけの判断だったんですよね?
◯ うん。仲良かったというより、もう兄弟みたいなもんだったからね。後ろから見てて
なにしたいか、例えば『あ、ここでもっと歪んだ音でソロっぽく弾きたいんだな』
とか分ったし、そしたらこちらでパッと切り替えて…それで何の問題もなかったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へー!ちなみに例の "27秒" というのは本番の電圧や振動で変動しなかったんですか?
◯ あ、それは大丈夫だった。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ このツアーでは短い期間の中で、曲順変更を2回程してますよね。
◯ したね。やっぱり実際やってみると、ここはこうしてもらわないと困るっていうのが、
俺なりにあって。ここはもう少しウツがMCで引っぱってくれないと
(次曲のデーターとサンプラーの音色ロードが)間に合わないとかね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ じゃあ舞台監督ではなく、小泉さんの要求だったんですか?
◯ あ、もちろん舞台監督側から演出的な意味もあったろうけど、俺側からも
『ごめん、あそこ(曲順)入れ替えてくれないと無理!』みたいな要望は出したよ。
今の段取りだとギリギリすぎて冷や汗かいたりとかあって『問題ありっ!』みたいな(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ このときは途中で前後の曲に関係なく、木根さんの短いアコギ・ソロが入るんですが、
     それも場繫ぎですよね?
◯ そうだろうね。もうこのときは音色切り替えだけじゃなくって、哲っちゃんが
ショルダーキーボードに持ちかえる時間とかまで、全部秒単位で計算してやってたしね。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ こういうことを同業者の方がみて何か言われませんでしたか?
◯ なにをやっているかが分る人にはね。
その後も突然、他の現場に呼ばれて『小泉君がいればなんとかなると思ったから』なんて
言われたことも何度かあったし。とにかくあの頃の俺は神がかってたよ(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 単なる技術屋としてではなく、ということですね。
◯ 包括して、ってことだろうね。










⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 最後にお聞きしますが、もし今、同じ事やれっていわれたらどうします?
     当時の機材で当時のサウンドを再現!みたいな。
◯ ヤだよっ!!!
まかり間違ってそんなことになったら、どんなに金積まれても逃げるよ俺は(大笑い)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(大笑い)
いやだって、あれはおかしいって…。胃は痛くなるしハゲるしさあ…。
俺も若かった。もう二度とやりたくない。勘弁してください(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 今度ハゲたら、おしまいですもんねえ…。
◯ ほんと、そうだよ(しみじみ)








         【小泉洋氏インタビュー / その3】ここまで








別エントリーとして「小泉氏インタビュー・あとがき」を用意させていただきましたので、
引き続き、そちらを御覧ください。






12 件のコメント:

  1. 年末からの小泉さんシリーズ、お疲れ様でした。ファンとしては非常に読み応えがあり、感動しました。また、これまでさんざん聞いてきたはずのTMの楽曲について、これまで聞こえていなかった音に耳を傾けるきっかけにもなりました。それにしてもポコ太さん、私はあなたの『もはや過去は必要ない!今、起こっていることを見逃すな!』とのお言葉に感銘を受け、この1年間必死でTMを追っかけてきました。しかし、それを言った当人がこれほど過去を掘り返してしまうとは、、、恐るべしです。「あとがき」の方も楽しみにしています。

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    1. >>それを言った当人がこれほど過去を掘り返してしまうとは、、、

      世の中には、「この曲は今後もうやりません」と言った直後のライブで
      その曲を演奏するグループがいましてね…(ニヤリ)



      ところで「CAROL」がレコーディングからライブまでを含め、TM最大の『プロジェクト』であったことに異存は無いんですが、『楽曲』としての代表作か?となるといささか疑問で、30周年が深まるにつれ「CAROL」一色に染まっていったのは少し残念でした。

      本人だって1999年の復活の頃は「humansystem」押しだったのに…(´・_・`)

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  2. 小泉さんインタビューの最終回?お疲れ様です。
    17 to 19は、LIVEのみの曲か~ 確かに贅沢だな~
    Dragon The Festival Tourのポコ太さんが書いた記事。小泉さんの苦労わかって書けるなんてさすがですね~
    いつか、小泉さんサポートメンバーとかで見てみたいな~

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    1. もう、ライブとかじゃなくてもいいから見たいですよね、
      4人揃って話しているところ。

      ちなみに84年の時点では木根氏も隠れていたせいで、
      TMって2人なのか4人なのか謎でした。

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  3. ポコ太さん、こちらでは初めまして。
    重箱、Season3ありがとうございます!!!(Huge Data!)

    CHILDHOOD'S END 、脳内再生させながら、
    また、胃をキリキリさせながら、読ませていただきました。
    ほんと、すばらしいインタビューを届けていただいて、
    ポコ太さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

    小泉さん、これだけの濃密な時間を共有されてたのに、
    TMとの現在の距離を思うと(全然当時も今も状況知りませんが)
    すごく切なくなります・・・。
    でも、私はTMの、永遠を歌っていながら、離別や喪失を感じさせるところが好きなので、
    うまく言えませんが大部分、小泉さんが好きなのかもと思いました。

    そして、めっちゃ自分、元カレ(消息不明)を思いおこさせられました。
    そんな空気感、圧倒的じゃないですか??

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    1. EMI さん。
      インターネットの僻地へようこそ!
      人類史上初、読むだけで胃が物理的にキリキリするエントリー、
      堪能いただけたようでなによりです。

      さらになかなか詩的な感想をありがとうございます。
      僕が長いこと抱えていた切なさが伝わったこと自体は、とても嬉しいです。
      30周年は終わってもまだまだこの先、
      いろんな可能性があると信じています。


      さて非常に気になる表現ですが『元カレ(消息不明)』って何ですか?
      遠洋漁業に出かけたっきり還ってこないとか、
      嵐の晩に田んぼの様子を見に行ったまま戻らないとかですかね?

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    2. いや~昔は楽しかった時代もあったけど、
      もし元カレが「今年オレ、40周年!」とか地球のどこかで言ってても
      知んね~よ!ってなるじゃないですか。
      (ポコ太さんはどうかわかりませんが…)

      でも、生きてる限り、何がおこるかわかりませんものね。
      ポコ太さん、このエントリーを読んだ皆の願いが叶う日がきますように。
      その時、ポコ太さんは真のFANKSと成られるのでしょう。

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    3. >>知んね~よ!ってなるじゃないですか。
      あ〜なるへそ。

      >>真のFANKSと成られるのでしょう。
      FANKSにもサンクスにも、な・り・ま・せ・んっ・!

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  4. ポコ太さん、お疲れさまです。

    永遠のパスポートの音色ですが、たまたまつい先日『OB-8じゃねえか?』と勘ぐってたところでして、この度ありがたく答え合わせさせて頂きました(笑)

    この音色は初めて聴いた時から大好きで、ずっと気になってたので25年のモヤモヤが解消されました。
    あとがき、楽しみに待ってます^^

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    1. ticoさん
      なんで今このタイミングであの音色を『勘ぐってた』のか、
      あまりにもピンポイントで思わず笑ってしまいました。

      インタビュー初回にも別の方から「ちょうど醤油ベースのたこ焼きを食べたところでした」というコメントを頂いてびっくりしたんですが、
      今回も情報を求める方に直接デリバリーできたようで、僕も嬉しいです。(;^_^A

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    2. 秋の夜長に、ゆっくりじっくり大切に拝読させて頂きました。

      当方、いつもならこのテの「関係者直撃!」といった体勢の文章は、何となく白々しく、出来レース的な色合いのものも多々あり、大変苦手なんですが、今回に限っては、その正反対の新しい発見と驚きに満ち満ちた圧倒的な内容で、まさに目からウロコの連続でした。
      まず何よりも、他では絶対に明かせない30年前の語られざる秘話を披露して下さった小泉氏は言うまでもなく、その言質を存分に引き出す事に成功したポコ太さんの圧倒的な知識と情熱に感服した次第です。

      そんな古参FANKSをも唸らせる濃厚なやり取りが続く中、個人的に永年引っ掛かったままだった疑問点にも焦点が当たりました。

      ・海外高級機材導入の経緯と真実
      ・「愛を~」のイントロPPG説
      ・「永遠の~」の間奏OB-8説

      中でも特にOB-8については、私自身が後年何らかの理由で中古市場に出た実機と思しき個体を所有する機会に恵まれた事もあり、ずっと気になっておりました。
      また、小室氏自身が「一番好きな音色」と言及している点にも、今となっては大変感慨深いものがあります。
      どういった経緯で新宿イシバシに流出したかは想像の域を超えませんが、本項を読む限りでは、TMの仕事で使われなくなって以降、マニピュレーターの誰か(小泉氏の可能性が高い?)が所有していたものかと思われます。

      肝心のその後ですが、イシバシの必殺ローンで購入したものの、やはり宝の持ち腐れとなってしまい、その後は音楽の趣味も変わった事もあり、FCに入れたまま屋外倉庫で保管してたために湿気で中の基盤がカビて音が出なくなり、最終的に道玄坂のサウンドライクに売却しました。以降の足取りは不明です。
      こんな事になるなら、私ではなくTMコレクターの方がオーナーになるべきだったと深く反省しております・・・。

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    3. muillmachine さん
      どうもお付き合いいただき、ありがとうございます。

      デビュー時から高級機材使いまくり、というのは象徴的ですが、
      この企画を通して僕が言いたかった事は『魔法なんてないんだよ』ってことです。
      やっぱり誰かしらが何かしら必死に頑張って、支えているんだよと。

      なのに TM NETWORK って、そういう実像が影に隠されているようにずっと感じていました。
      いい加減30周年にもなれば、こういう現実を掘り下げた取材も出てくるかなと思ったのですが、残念ながらあまりそういう需要はなかったようです。

      現実といえば、小室氏がデビューに関して初めてエピックソニー(小坂氏)と交わした口約束はどんな内容だったのか?
      それは本当に『T.M. ネットワーク』としてだったのか?
      なんていうのは、どういう音楽性でデビューしたかったのかなどを知る上で、ものすごく核心部分だと思うんですが、結局今になってもそこの部分が、隠されているように見えます。



      またそれとは別に、本企画の最初に「小室哲哉の古い友人としての小泉氏」に焦点を当てると宣言しているように、僕自身はシンセサイザーに詳しいわけではないので、技術的なインタビューはあえて避けたつもりなんですよ。
      本来やるべき人がきちっとインタビューするべきだと思ったので。
      でも、やはり需要がないんですかね…。結果的に中途半端なことしたかなという反省も少しあります。




      ところで新宿イシバシやらサウンドライクやら懐かしい名前が出てきますが、OB-8の件。

      小泉氏の話では、90年代初頭からシンセサイザーのプリセットの充実(及び、現場の予算削減)により、シンセサイザーオペレーターという職業は先がないと感じて離れていく人が多かった、という話です。
      ですのでTMに限らず、そういうものが出回ってもおかしくないでしょうね。
      確か92〜3年頃、どこかの楽器店でそういうリアルオークションやってませんでしたっけ?

      ただ小室氏自身はOB-8はお気に入りのようで常に手元に置かれてますよね。
      何台も買い換えているのでしょうが。
      Twitterでは傷を確認したとおっしゃっていましたが、いつ頃の写真と突合されたのでしょう?

      また、音楽の趣味が変わったと言うのはシンセを使わない音楽ってことですかね?
      よければ教えてください。

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