最近、当『重箱』の検索キーワードを眺めていると
「roland dg mpu 401」というキーワードで訪れている方がおり
この2013年に、そのようなキーワードで
検索をする方がいるということに感激いたしました。
ひるがえって「宇都宮、餃子」で来た方、
誠に申し訳ありません。
当ブログでは今のところ餃子を扱う予定はございません。
もし路線変更を重ね、餃子専門ブログになった時は、
またよろしくお願いいたします。
というわけで今回以降は無精せずに、
『宇都宮隆』とフルネームで書くようにします。
さて今回のテーマは前回に引き続き
[ライブ中に『マニピュレーター』は何をしているのか?
〜 1985年・小泉洋の場合]
当時、小室哲哉がインタビューのたびに言っていたので、
結構知られている話だが
『Dragon The Festival tour』の
曲順、アレンジ、一部演出などは
サンプラー『Emulator II』の
音色ロード時間から逆算されて構成されていた。
小泉洋の話に入る前に
なぜそれほど「サンプラーありき」だったのか
85年当時の状況にふれておこう。
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時代背景
TM NETWORK のライブでサンプラーというと
おなじみ『ゲゲゲゲゲゲ〜』などの
派手なフレーズサンプリングが頭に浮かぶ。
しかし『Dragon The Festival tour』では
オープニング曲「Dragon The Festival」でしか
フレーズサンプリングは使われていない。
小室哲哉がショルダーキーボードで弾く『Dragon ~』のフレーズサンプルによりライブスタート! ステージに飛び出していく3人 なにげに木根のスタートポーズが一番かっこいいのはサッカー経験の賜物か? |
では、サンプラーの主目的は何だったかというと
ピアノやストリングス(弦楽器)などの代用であった。
「ん?そんなのは普通のシンセでいいんじゃん?」
と思われる方もいるかもしれない。
80年代、シンセの主流はアナログからデジタルへと
一気に移り変わるのだが、
もう少し細かく見ると、同じデジタルシンセの中でも
・80年代前半
音を内部的に一から合成して生み出すFM音源などの方式によるシンセ
(例・YAMAHA DX7=83年発売)
↓
・80年代後半
あらかじめ録音(サンプリング)した波形をもとに加工していく
PCM音源方式と呼ばれるシンセ(例・KORG M1=88年発売)
と主流が移り変わっている。
PCM音源は「プリセットサンプラー」などと
揶揄されることもあったが
その言葉どおり、自分でサンプリングしなくても
いろんな波形が「プリセット」として内部収録されていて、
電源をいれただけで、すぐにピアノなどの波形を演奏する事が出来る。
今では当たり前の方式である。
しかし、このPCM音源方式自体は以前から存在していたものの、
それがメモリーなどの価格低下などに伴い、
一般化するのは
80年代後半になってからなのだ。
ちなみにTMファンおなじみの YAMAHA『EOS』は
『B200』までがFM音源方式、『B500』からがPCM音源方式となっている。
画像は『Carol Tour』で大活躍の『B200』 |
一から合成で音を作る方式はシンセサイザーの王道ではあるのだが、
抽象的な音は得意なのに対し
ピアノやバイオリンなど写実的な音を作るのはなかなか難しい。
(かたやPCM方式はあらかじめ用意してある波形から、
大きく逸脱した音は作りづらい)
その為、1985年の時点では
ピアノ、バイオリンなど
写実的、具体的な音を出すときは
サンプラー専用機を使う必要があった。
そこで1985年後半から鳴り物入りでTMに導入されたのが
E-mu社のサンプラー『Emulator II』であった。
この時期の小室哲哉インタビューやラジオ出演では
まるで90年頃の『シンクラヴィア』のように
さかんに『Emulator II』のことにふれている。
これはメモリーを増強した『EmulaterⅡ+』 |
しかし、小室哲哉一押しの『Emulator II』も
致命的な欠陥があった。
音色のロードに時間がかかるのである。
当時のインタビューによると、
ディスクを差し替えて新しい音色をロードするのに27~8秒必要としている。
つまり30秒程は全く演奏出来無くなるわけだ。
いくら音色がリアルでも、これではライブで使うことは出来ない。
しかしシンセサウンド目白押しの
ファーストアルバム「RAINBOW RAINBOW」に比べ、
セカンドアルバム「CHILDHOOD'S END」は
アコースティックな楽器の比重がかなり高くなっている。
ライブで再現するには是非とも『Emulator II』が必要だ。
そこで我らが小泉洋の登場である。
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・サンプラーなど、その曲毎に使う音色をロード&調整
このツアーでの小室ブースはキーボードが2台(+KX5)
上段=YAMAHA DX7
下段=Oberheim OB-8
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後の小室哲哉のイメージからするとかなり小規模だが、
小室ブースが肥大化していくのは翌年、86年のツアーに
YAMAHAがサポートとしてついて以降になる。
このうち、上段のDX7がMIDIケーブルを介して
小泉洋ブースの『Emulator II』と繋がっている。
最初に述べたように
『Emulator II』の音色チェンジのタイミングは
ライブ全編に渡り、ガチガチに決められており、例えば
小室哲哉がイントロをピアノの音色で弾く。
↓
Aメロに入り、小室哲哉の手が上段のDX7から離れた瞬間に
小泉洋が自分のブースの『Emulator II』のディスクを差し替え。
次の音色のロードを始める。
↓
この間、小室哲哉は下段のキーボードで演奏を続ける。
↓
30秒後、サビに入ると同時に小室哲哉は上段のDX7で
ストリングスの音色を弾き始める。
といったような事を繰り返す訳だ。
この時、小室哲哉はいちいち振り向いて
小泉洋ブースを確認したりはしない。
このことについては
「やっぱり長く一緒にやっているから」
とインタビューで述べている。
前列より小室ブース、小泉ブース、白田ブース。 小泉ブースだけ右に寄っているのが分かる。
おそらく小室哲哉の動作を目で把握するためだろう。
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『Emulator II』についてはコレで終わりではない。
なんと音色によっては、初期状態ではDX7からの
ピッチベンドやモジュレーション情報を受け付けないものがあったようで
上記の音色ロード作業を終えた後、小室哲哉が弾き始めるまでの間に
これらの情報を受けるように
小泉洋が音色の設定を弄って変更していた。
また、今回は手弾き用の『Emulator II』にフォーカスしているが
コンピューターのシンクで鳴っている音についても
当時の機材ではMIDIによる『音色の自動切り替え』に対応していない機種も多く、
それらの音色切替えも曲毎に小泉洋が手動で行っていたと思われる。
小室哲哉が下の鍵盤を弾いているまさに今、小泉ブースで音色のロードが行われている! |
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さてここまで読んで、
「そんな面倒くさいことするんだったら、
2台用意して交互に使用すればいいじゃん」
と思ったアナタ。
そうしなかった理由は恐らく ↓ コレです。
前回と同じく「Keyboard magazine」85年6月号よりイシバシ楽器の広告をスキャン。
『29万円』じゃないですよ、奥様!『298万円』ですよ!!!
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手のかかる『Emulator II』ではあったが、小室哲哉の信頼は厚く、
『Dragon The Festival tour』直後のインタビューでは
「ロード時間以外は完璧。次回のツアーからは2台で使いたい」と述べている。
(実際は白田朗のブースに当時の新製品 AKAI『S900』が導入された。
また87年の頭には『Emulator II』も増量されている)
『Emulator II』はこの後、87年6月の武道館公演〜
10月のシングル「Kiss You」プロモーションあたりまで
TM NETWORKの主戦力のひとつとして使用されることとなる。
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というわけで今回はここまで。
今回はなにやら『小泉洋』より
『Emulator II』が主役の様になってしまったが
実は今回のエントリーには裏テーマがあった。
[なぜ「Your Song」はライブで演奏されなかったのか?]
ここまで読んでくださった方には
お分かりいただけたのではないだろうか?
85年後半に制作された「Your Song」およびアルバム「Twinkle Night」
「吸血鬼ハンターD ― オリジナル・サウンドトラック」は
『Emulator II』の固まりのような作品群であり
今回のエントリーでとりあげた『85年後半の状況』と
『1台のEmulator II』では、とてもライブ演奏など出来ないのだ。
(TVでの演奏は全てカラオケテープ)
なお「Your Song」は演奏されていないものの
同じ様なつくりの「組曲 Vampire Hunter D」は演奏されている。
これはバンド演奏ではなく小室、小泉、白田による
シンセオーケストラのような形であった。
これが85年後半の限界点だったのだろう。
ちなみにこの時の演奏をはたから見ていた松本孝弘が
この曲をいたく気に入り、後に自身のソロアルバム
「Thousand Wave」(88年)でカバーすることになる。
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さて、ここのところ怒濤のように続いた
謎の小泉洋ゴリ押し企画も次回で一段落。
次回は残りの
・演奏&コーラスに参加
・トラブル時の対処
をとりあげるつもりです。
んじゃ、また。
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