【重箱blogを楽しみにしていただいている皆様へ】
『あと2回でおしまいです』などと煽りながら、全然更新ができず申し訳ありません。
いや〜、ア、アンコール鳴り止まなくてさぁ…。
いきなり余談ですが、ミツカワは「Crazy For You」を初めて聴いた時から
『来なくていいよ。他の人来てるし』
というセリフを
『来なくていいよ。お好み焼き食べてるし』
だと 割と最近まで 思っていました。
ま、真夜中に炭水化物!!
さて今回は、相変わらず時間がとれない中、
(何に時間をとられているのかは、次回お知らせします)
昔書きかけたまま、放り出していた
『ポコ太 meets TMネットワーク』と言う原稿が出てきたので、
これなら 検証作業をする必要もないし、
何より 何故この重箱blogはこんなに偏った内容なのか をご理解いただけると思うので、
軽く手直しした上でエントリーします。
単なる回顧録ですので、有益な情報はありませんが、
(いつもは有益な情報が書いてあるとは言っていない)
TM NETWORK と こんな出会い方をした奴はそうそういない と思うので、
真夜中にお好み焼きでも食べながら、軽く読んでいただければと思います。
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さて、どれだけの方が気付いているだろうか。
この重箱blog、TM NETWORKを肴にしながら、
TMのファンを指して "FANKS" という表現が一度も出てこない。
どの記事でも読み直していただければ分かるが、毎回
"FANKS" とは書かず "TMのファン" と表記 している。
"FANKS" と言う単語が使われるのは、
あくまで当時彼らが自称していた音楽ジャンルについてである。
またTMのblogでありながら「Get Wild」の記事がほとんどない。
あったとしても、それはライブでの演奏についてであり、
1987年4月8日発売の『オリジナルシングルの衝撃!』と言った内容は皆無だ。
当重箱blogにおいて「Get 〜」とは
「Get Wild」ではなく「Get Away」を指す
と認識してもらっていいだろう。
実際、重箱の初エントリーは「クロコダイル・ラップ」4連発 なのだ!!
「重箱のスミ」なんて名前のblogなんだから、
ある程度偏った内容なのは理解していただけるとして、
それにしても この偏りっぷりの根本的原因 について一言で言ってしまえば
ミツカワは "FANKS" ではなかった!!
…ということに尽きるのだが、これでは身もふたもないので
今回より2回に渡り、
回顧録『ミツカワのTM NETWORKとの出会いと別れ(←?!)』
を、お送りする。
しばしタイムマシンに乗り、1984年への旅をお楽しみください。
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序章 〜1984・タイムマシンへのチケット〜
自分が能動的に音楽を聴くようになったきっかけ。
そして今なおフェイバリットなアーティストは、
ずばり、シンガーソングライター『久保田早紀』である。
そう、あの「異邦人」の久保田早紀だ。
「異邦人」収録のデビューアルバム「夢がたり」1979年12月リリース
彼女のアルバムには、曲毎に各楽器のプレイヤーがクレジットされており、
これを通じてミツカワは、スタジオミュージシャンや音楽プロデューサーという存在、
そしてその役割に興味を持つこととなった。
さらに当時のアルバムには、
レコーディングシステムが事細かに書かれた別紙
まで封入されており、これもサウンドにおける一種の種明かしのようで、
細かい意味は分からないながらも、レコードを聴きながら興味深く眺めたものだ。
(おそらくソニーがデジタルレコーディングに移行する時期だったので、
それをアピールする狙いがあったと思われる。
なので、その後発売されたCDなどでは割愛されている)
で、この久保田早紀が
TM NETWORKへの入口だった、というわけだ。
(そして出口でもあった。この件は次回)
本当はここで、さっさとTMの話に移りたいのだが、
恐らく多くの人が「〜だった、というわけだ」と言われても全く伝わらない だろう。
そもそも、この重箱blog読者の方の中に、
久保田早紀の "全アルバム7枚" を聴いたことがある人が何人いるのか…。
いや、アルバムどころか、ぶっちゃけて言えば
「異邦人」以外の曲を知っている人が何人いるのか(涙)
実際には「キリンオレンジ」のタイアップソングとなった
「オレンジ・エアメール・スペシャル」もそこそこヒット
して、同時代の人には耳馴染みがあるはずなのだが、
なにせ「異邦人」が化け物的な大ヒットをしたせい で、
それ以外の曲が霞んでしまった感がある。
確か「ザ・ベストテン」とか「ウルトラマン80」とかの合間にガンガン流れてました。
というわけで、思いっきり駆け足になるが、この後の話に関わることなので、
TM NETWORK に繋がる点 を纏める。
まずひとつは プログレッシブ・ロックとの親和性。
彼女のオリジナルアルバムは全7枚あり、サウンドプロデューサーも、
萩田光男・佐藤準・井上鑑・久米大作
と、いずれも大物・超大物が名を連ねている。
その度に彼女の書く曲も彩を変えるのだが、
何故かどのプロデューサー期のアルバムにも共通するのが、
プログレ臭がする曲が(時にはアルバム全体が)収められていること。
誰がサウンドアレンジを担当してもそうなったという事は、
やはり彼女の書く曲そのものに、プログレとの相性の良さがあったのだろう。
自分がずっと久保田早紀を聴き続けたのも、
この要素が大きい。
特にセカンドアルバム収録の「アクエリアン・エイジ」における曲構成、
そして延々と続くアナログシンセ・ソロは圧巻である。
プログレ好きの方は是非、チェックしていただきたい。
さてここでは、個人的に "初期・久保田早紀" の典型曲 と感じる、
セカンドアルバム「天界」冒頭曲「シャングリラ」を挙げる。
実はミツカワ、
TM NETWORK が1987〜88年に行った
「Kiss Japan Tour」 における「Don't Let Me Cry」後半部分のライブアレンジで、
松本孝弘/ギター → 木根尚登/ピアノ → 小室哲哉/オルガン の順でソロ回しが行われていた時、
『久保田早紀の「シャングリラ」の間奏部分に似てるな』
と思いながら見ていた。
今考えると何の事はない、典型的なプログレ・アレンジ である。
(なお以前書いたが、この時の「Don't Let Me Cry」のエンディングは
ELO の「Yours Truly, 2095」まんまである)
その他
・各所で聴かれるブロックコードによるリフ
・ピアノによるリズミカルなコード・バッキング
など、生演奏と打ち込みの差はあれど、
自分の "ツボ" としてはTMを聴く時と何ら変わらない。
しかし1984年当時、TMへの入り口として 直接的な役割を果たしたのは、
もうひとつの要素。
独特のオリエンタリズムというか異国情緒 である。
この「シャングリラ」、2番にこのような一節が出て来る。
♫ 〜 "死ぬことのない愛など求めるのはおよし"と
哀しみをたたえた目でクリシュナが見守る
これでもう、感のいい方は分かったかもしれない。
そして運命の1984年。
結婚を機に教会音楽に専念するため、久保田早紀は商業音楽から身を引くことを発表。
(ラストアルバム「夜の底は柔らかな幻」1984年10月リリース)
ミツカワの心にひとつ、空席が出来たまさにその時。
東の空から 正体不明のタイムマシンが現れた!!
something moving !
♫ おまけ
久保田早紀は国立(くにたち)出身であり、
年代も同じ(小室哲哉と同い歳)ことから、TMの3人とすれ違っていてもおかしくはない。
ある意味、多摩ネットワーク である。
と書くと妄想のようだが、1984年6月 渋谷LIVE INN のスケジュールを見ると
ちょっと現実味がわくでしょ?
♫ もうひとつおまけ
1981年 小室みつ子氏がデビューする際、
雑誌で『久保田早紀似の容姿』と表現されていたのを見た憶えがあります。
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第1章 〜どうぶつさんたちだいしゅうこうだわいわい〜
1984年9月初旬の夜であった。
中学生だったミツカワはラジオを聴きながら机に向かい、
たぶんプラモデルでも作っていたのだと思う。
意識の8割は手元に向かっていている中で、気付ぬうちにラジオから曲が流れ始めていた。
どことなく 久保田早紀に似た異国情緒溢れる歌詞 が耳にとまり、手の動きが止まった。
『嫌いじゃないな…』
そう思った時には既に次の曲に切り替わっており、感想もそこまでだった。
ミツカワは再び手元に集中し始めた。
その時、不思議なことが起こった。
既に終わったはずの 先程の曲が、再びラジオから流れ始めた のだ。
何が起こっているのか掴めず、手を止め戸惑うミツカワ。
しばし宙を見つめる中、少しづつなにが起こったのか分かり始めた。
どうやら自分が最初に『次の曲に移った』と思った部分は
別曲ではなく、同じ曲の大サビだった ようだ。(下図の部分)
ただ当時としては常識外れと言ってもよい程、
劇的で突拍子も無い転調だった為に同じ曲とは認識できず、
別の曲が始まったと思った…というわけだ。
ようやく理解が追いついたその時、畳み掛けるように印象的な歌詞が飛び込んできた。
♫ 〜 「別れることは怖くない」君は涙みせずに言った
生きる為のルールだから ほんの少し悲しいだけ
ん?
…
・・・
あー、こ、これは!?「シャングリラ」!!
先に挙げた、久保田早紀「シャングリラ」の歌詞を見直してほしい。
この曲のジュリアの言葉と、「シャングリラ」におけるクリシュナの言葉。
当時のミツカワが、両者を "同じカテゴリー" だと感じた のも無理はない、
と理解していただけただろうか?
あまりにも 強引で衝撃的なその転調 と、
久保田早紀を思わせる 異国情緒溢れる歌詞。
きたっ!!
久保田早紀を失った俺の胸の穴を埋める、
新たなアーティストの出現だ!!
ミツカワは色めきたった。
いやしかし、待て自分。落ち着け自分!
曲が始まった時点では注意をはらっていなかったので、
肝心の "誰" の "なんという曲" なのか分からない。
一般家庭にインターネットなど存在しない時代、これではレコードの買いようが無い。
じっくり記憶を辿ってみる。
曲始まりでの司会者の言葉 …ネットワーク…
なんか、そんな言葉が出てきた気がする。
曲名も変なタイトルだった …動物… たぶんライオンだった…が、自信は無い。
→ … ど、動物ネットワーク? ←
なんとも頼りないが、それだけが手掛かりだった。
ちょうどその頃、別の曲を買おうとおこずかいを貯めてあったミツカワは、
早速、明日の放課後にレコード屋へ行こうと決め、期待に胸を膨らませ布団に潜り込んだ。
うー、はっ!
第2章 〜さらば TMネットワーク(←もうかよっ!?)〜
翌日、学校から帰ったミツカワは財布を掴み、自転車で家を飛び出した
まず目指すは、一番近所のレコード屋だ。
…が、撃沈であった。
『ネットワーク』と『動物』だけ では、
レジのおばちゃんには皆目見当もつかなかった。
レジのおばちゃんには皆目見当もつかなかった。
まあ、ここまでは予想の範囲だ。
即座に次のレコード屋に向かう。
しかし、ここもまた撃沈。
次の店も撃沈… 次の店も… また次の店も…。
次第に家から遠ざかり、
とうとう 中学生が放課後に自転車で出かける範囲を逸脱し始めていた。
既に辺りには夕闇が迫ってきている。
こうなるとミツカワも意地になってきた。
どうせここまで来たのなら、繁華街にある大きな全国チェーンのレコード屋。
そこまで行ってダメだったら諦めようと決め、ペダルを踏み込む。
目的のレコード屋(確か十字屋だった)に到着した頃には、完全に日は暮れていた。
店内に入ると、それまでと同じくレコード棚には眼もくれずレジに向かう。
応対してくれた若い店員に事情を話すが、ピンとこないようだった。
ここまでは今日一日、何度も繰り返された光景。
しかしその時、隣のレジにいたベテランらしいおじさん店員が、こちらも見ずにボソッと
『"ソレ" って "アレ" じゃないかなぁ』とつぶやいた。
そして気だるそうに、後ろの棚から閻魔帳のように分厚いファイルを取り出したかと思うと、
ペロっと指先を舐め、物凄い勢いでページをめくりはじめた。
ぴたっとおじさんの手が止まる。
手元のメモ用紙になにやら書き留め、それをこちらに差し出した。
『コレじゃない?』
TMネットワーク 「金曜日のライオン」
メモには、そう書かれていた。
『ああっコレッ!コレです!ありがとうございます!!』
実際は音が聴けるわけではないので、それが自分の捜し求めたものか確証は無い。
ただ、もうヘトヘトになるまで半日駆けずり回った 自分に対する "落とし前" が欲しかった。
自分がある種の達成感に酔いしれている間も、おじさんの言葉は続いていた。
『…は今置いてないんだけど、最近出たシングルならありますよ』
その言葉を合図に、ミツカワはレコード棚に向かって走った。
た・ち・つ・て…・て・て・て …てぃ…・ティーエム…・・・あった!!
発売間もないニューシングル。
その名も「1974」!
ついに出会えた!!
…が、レコード棚からそのシングルを引き出したまま、
ミツカワは固まってしまった。
ミツカワは固まってしまった。
そのジャケットがあまりにも予想外、いや破壊的と言うべきか…、
ラジオで「金曜日のライオン(だったと思われる曲)」を聴いた時からミツカワは、
角松敏生のようなスーツを着こなした シックな佇まいの人達 を勝手にイメージしていたのだ。
角松敏生のようなスーツを着こなした シックな佇まいの人達 を勝手にイメージしていたのだ。
…のだが、
…のだが、
こ、コレは…。
ドン引き
落ち着いて見ると右側の人はそれ程ではなく、ま、まあ 許容範囲である。
しかし それを巻き込んでなお、常軌を逸するインパクトを醸し出してる のは、
やはり 左側の男のイカれた格好。
ジェロニモンかよっ!!
ウルトラマン (1966) 第37話より 酋長怪獣ジェロニモン
…無理だ。
ミツカワはとっさに思った。
こんな ハレンチなジャケット をレジに持っていくのは、
若いお姉さんがレジにいる本屋でエロ本を買うよりも無理だ…
無理 無理 無理!!
常識さえ追いつけないスピードで情熱が冷めてゆく中、
今、ミツカワの頭にあるのはただ
「どうやってこのレコード屋から脱出するか」だけだった。
さすがにここまでクタクタになって、なにも成果無しというのはキツイ。
なんでも良いから(本当はなんでも良くないが…)戦利品が欲しい。
そうだ、元々は別のレコードのためにおこずかいを貯めていたんじゃないか!
それを買おう。
そして今見た全て(主に三つ編み)を忘れてしまおう!
そして今見た全て(主に三つ編み)を忘れてしまおう!
崩壊寸前だったミツカワの心は、こうしてなんとか踏み止まった。
その時買って帰ったのが、こちらも当時ニューシングルだったコレ。
B面収録の「傷ついたジェラシー」は、
自分にとっての "popsアレンジ生涯ベスト10" に入る傑作だと思っている。
今でもほぼ毎日聴いています(ほんとよ)
今でもほぼ毎日聴いています(ほんとよ)
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今のように情報が次から次へと押し寄せる時代であれば、
自分にとっての "TMネットワーク" は、
これで終わっていただろう。
これで終わっていただろう。
しかし当時は、そうそう自分好みのバンドを次々と知れるような状況ではなく、
「TMネットワーク」の名を拭い去るには至らなかった。
それからというもの、ラジオやTV・雑誌など、
「TMネットワーク」を(というより当時の認識としては "三つ編み野郎を" )
「TMネットワーク」を(というより当時の認識としては "三つ編み野郎を" )
ちょこちょこ見かけるようになり、彼らは自分の頭の中に居座り続けた。
そして時は移り1985年。
自分にとってフェイバリットとなるアルバム「CHILDHOOD'S END」の発売とともに、
一気に TM NETWORK にのめり込む こととなるのだ。
ただし、ここまで読んでくれた方はお察しいただけると思うが、
このアルバムの購入を決断した最大の要因は楽曲ではなく、
ジャケットから "三つ編みが消えた" から である。
男の子の心は、かくも繊細で単純なのである。
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♫ またまたおまけ。
今回、重要な役割を果たした「1974」のジャケット写真。
レコードを実家に置いてきてしまったためスキャンできず困っていたところ、
いつもコメントいただく GAUZE 氏より提供いただきました。
さらに、氏所有の「1974」サンプル盤のジャケット も提供いただいたので、
ここに掲載させていただきます。
通常版の別テイクと思いきや、よく見ると髪型も衣装も違いますね。
このジャケットだったらドン引きしなかった…かも…。
なにが "I Wanna See The Fantasy" やねん!!
夢見たいのはこっちやわ!!
ほんま、罪深いジャケットやで…。
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♫ またまたおまけ。
今回、重要な役割を果たした「1974」のジャケット写真。
レコードを実家に置いてきてしまったためスキャンできず困っていたところ、
いつもコメントいただく GAUZE 氏より提供いただきました。
さらに、氏所有の「1974」サンプル盤のジャケット も提供いただいたので、
ここに掲載させていただきます。
通常版の別テイクと思いきや、よく見ると髪型も衣装も違いますね。
このジャケットだったらドン引きしなかった…かも…。
なにが "I Wanna See The Fantasy" やねん!!
夢見たいのはこっちやわ!!
ほんま、罪深いジャケットやで…。
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さて次回、この 重箱blogの偏り のもう一つの要因。
第3章 〜さらば TMネットワーク(←またかよっ!?)〜
をお送りします。
ゲゲゲゲゲゲ?! 私はこれでTMを止めました!!
9月中旬の 予定 です。
んじゃ、また。
ゲゲゲゲゲゲ?! 私はこれでTMを止めました!!
9月中旬の 予定 です。
んじゃ、また。
お久しぶりです!お元気ですか?
返信削除いやー、すごくおもしろかったのでコメントせずにはいられないです(笑)
三つ編みに対するミツカワさんの反応に爆笑し、
"自分MEETS TM NETWORK"も思い出し、なんか胸があつくなりました。
「金曜日のライオン」とは、そのような出会いをされたんですね。
レコード屋のおじさんはよくTMだと気づいてくれましたね!
三つ編みをやめた「Child hood's End」で購入に至ったとのことですが、「金曜日のライオン」購入断念後、「Chilhood's End」までの間、「1974」のシングルやRAINBOW RAINBOWのアルバムもスルーしていたのでしょうか。
私は「金曜日のライオン」ではなく、その3か月ほど後、MUSIC TOMATO JAPANでヘビロテしていた1974のPVでTMに出会いました。
「曲もすごくいいけど、あの三つ編みの人、なんて美しいんだろう!」と感じて、最初は"左側のイカれた男"に夢中でした。その後、どういうわけか(三つ編みをやめたせいか?)右側の人のファンに変わりましたが・・
金曜日のライオンを聴いたのはアルバムRAINBOW RAINBOWを買ってからです。
「調性の色」みたいなものや転調については結構気にする方ですが、金曜日のライオンの大サビでの転調については最初からあまり違和感がなかったです。変わってるけどかっこいいなと思いました。デジタル・ピコピコの印象が強かったので、異国情緒は一応感じられたものの、添え物という印象でした。
「1974」のシングルは、十字屋まで行かなくても、実家の近く(I倉)の小さなレコード屋で買えたので、デビュー当時よりは少し扱いがよくなっていたのでしょうかね。
久保田早紀の「異邦人」はすごく好きで、一年に1回くらいはYOUTUBEで聴いていたので彼女の比較的最近の映像も見たことはあったのですが、「異邦人」以外の曲は知りませんでしたが。「オレンジエアメール」はサビの部分をCMで聴いた記憶があり、懐かしく思い出しました。
プログレ臭と聞けばチェックせずにいられず、とりあえず「アクエリアン・エイジ」を聴いてみました。松田聖子の初期のアルバム曲のようなオーソドックスな(クオリティの高い)ポップスのアレンジみたいだと感じるところも多かったですが、キーボードソロ等は確かに、においますね・・プログレというよりフュージョンぽい感じもしましたが。アレンジだけでなく、アルバムの歌詞とかコンセプトとかもプログレっぽいのかなと思いました。
長文失礼しました。
次回も楽しみにしています!
どうも!
削除こちら更新直後に、時期遅れの帰省をしてました。
ふふふ、今回のネタ。
食い付いてくると思ってましたよ!
まさに飛んで火に入る夏の虫…。
「金曜日のライオン」も在庫自体は各レコード店にあったかもしれません。
ただ、僕が「動物」と「ネットワーク」としか説明できなかったので、店員さんがピンとこなかっただけで。
御質問の1984年9月〜1985年6月までの間ですが、自分としては『ガン無視』していたつもりでした。
ただ、今ふりかえってみると雑誌の切り抜き(パチパチとかGBとか)は残っているし、TV出演(NHKでの「1974」とか)も地元で流れたものは、ほぼ観てた記憶があるんですよねぇ…。
もちろん、その当時はTM目当てに読んだり観たりしていたわけではないんですが。
結局自分は三つ編みの毒気にあてられていただけで、実際は既にファンになっていたのかもしれません。
ただ学校では絶対に口をワリませんでしたよ。
あんな三つ編み野郎を好きだなんて言ったら人格疑われて、クールで硬派な僕のイメージ(審議中)が台無しですもんね!!
でも、アルバム「RAINBOW RAINBOW」を(ジャケットデザインを確認してから)買ったのは「CHILDHOOD'S END」の後なので、あの頃TVやラジオで演奏してなかった「クリストファー」とかは、そこで初めて聴きました。
入口が本文の通りなので、自分にとってTMの重要な要素は「シンセの音色」と「転調」であって「打ち込み」は重要な要素ではないんです。
(打ち込みではない)独特なシンセの音色と転調に的を絞ると、僕がいまだに「CHILDHOOD'S END」がフェイバリットだというのが分かっていただけるかと。
今回は入口として「久保田早紀」を紹介しましたが、次回は「CHILDHOOD'S END」にどハマりしていた時期に "対として" よく聴いていた意外なバンドのアルバムも紹介する予定です。
お楽しみに!
面白いです!
返信削除たしかに今のようにどんどん情報が入ってくる時代じゃないってのは大きかったでしょうね。
僕の場合は本格的に向き合った(初めて聴いたときではなく、ちゃんと聴いて好きなった時 ミツカワさんのChildhood's Endに当たるタイミング)のが94年でしたので、”え、この人たち先月ファイナルライブだったの!?”って感じでしたが笑
youさん
削除お久しぶりです!
タイミングってありますよね。
僕も数年前、買おう買おうと思いながら後回しにしていた「レイ・ハラカミ」のCDを買った2日後に御本人の訃報が飛び込んできて、なんとも言えない気持ちになりました。
その時点でまだ封を切ってなかったのですが、しばらく聴く気にもなれず、結局1ヶ月近く放置してました。(合掌)
1974が発売になったころからTMをリアルタイムで知っていたってホント凄い話。
返信削除ぼくは、1974のレコードジャケットとっても好きなんですよ。
とにかく、小室さんがカッコいい。
ぼくの中では、ベスト1かも
9月の第3章も楽しみにしてるよ~
something movingか!
返信削除今、知った。16年、じゃないや26年以上の時を超えて、
今、わかった。まさに未知との遭遇です。
僕はてっきり、フランス語か何かで「お好み焼き食べてるし」って言ってるのかと思ってました。
14歳のあのころの気持ちはいったい…