ミツカワです。
この『重箱 Blog』はこちらにも書いた通り、
80年代のライブ活動を中心に据えたものなので
80年代のライブ活動を中心に据えたものなので
30周年にあたって、特になにか書くつもりはなかったのですが、
気づいたら書いちゃってた (///∇//) ♪〜
ので up します。
その前に、New Single『LOUD』についても書いちゃえ!
イントロの時代がかった『大プログレシンフォニー』には驚かされたものの、
歌が始まってからは『ずいぶん "ベタな曲” だな』と思っていました。
が、2番を聴いてひっくり返った。
えっ…この曲、Bメロから始まってたの!?
仮に1番の構成を [Aメロ→サビ] だとすると、
2番は [サビ→Aメロ→サビ] ということになりますが、
2番は [サビ→Aメロ→サビ] ということになりますが、
2番の冒頭『♪とめどなくあふれる~』はメロディーこそ [サビ] と同じですが、
Keyが違うこと。バックの音数の少なさや、コーラスが重ならないところを見ると
やはりこれは [Aメロ] として扱われていると思われます。(これ自体は割とあること)
しかし、となると2番は [Aメロ→Bメロ→サビ] という標準的な構成となり、
そこから逆にたどると、やはり1番が [Aメロ] の存在しない
[Bメロ→サビ] という構成だったことに…。
[Bメロ→サビ] という構成だったことに…。
2番に [Aメロ] が無いというのはよくありますが、1番に [Aメロ] が無いというのは、
ド変態じゃん!
しかし、こんなド変態の構成を "ベタな曲” に思わせてしまうというのは、
なかなかちょっと真似できるものでは無いですよね。
ところで前作「I am」では
イントロ→ U2「Where The Streets Have No Name」
♪I am a human~ → Human League「Human」♪I'm only human~
と、ともに80年代の大ヒット曲を意匠として取り込んでいるように感じていたのですが
今作では ♪Loud,Loud,Loud,Shout it Loud~ が
Tears For Fears「shout」の ♪Shout, shout, let it all out~
を、これまた想起させる…。
と思ったら、2012年/渋谷イベントでのデモ段階では
♪Shout, Shout, Shout, Shout it Loud~ となっていますね。
やっぱりそういう意図があるのだろうか…。
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[Thank You TM NETWORK ~
大切なことは「Tomorrow Made New」と
「Beyond The Time」が教えてくれた]
「Beyond The Time」が教えてくれた]
皆さん!
皆さんは、普段お聴きの様々な楽曲がどのように制作されているか、
どんな作業工程があるのか、よく御存知でしょう。
ただ、
・作詞
・作曲
これは誰でも、どんな作業か具体的に想像がつきますよね。
しかし、その後
・編曲
・mix
・マスタリング
この辺になると、下に行くに従って次第にブラックボックス化され、
なんとなくは分かるものの、いまひとつ何をやっているのか、
それがどんなに重要なのかピンとこない、というのが実情ではないでしょうか。
ミツカワも本格的に楽器に触れたのが、20歳を過ぎてからと、
かなり遅かったため、ずっとそれがどんなに重要な作業なのか、
かなり遅かったため、ずっとそれがどんなに重要な作業なのか、
頭では分かっているつもりでも、胸の奥底では
『と言ったって、大切なのは
結局やっぱり "詞とメロディー” でしょう』
と、思っていた時期があります。
結局やっぱり "詞とメロディー” でしょう』
と、思っていた時期があります。
今回は、そんなミツカワが
TMの楽曲によって気づかされた、いくつかのこと。
TMの楽曲によって気づかされた、いくつかのこと。
その体験談をもって、ささやかではありますが、
30周年をお祝いさせていただこうと思います。
30周年をお祝いさせていただこうと思います。
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まずはこのコメントに目を通して頂きたい。
パノラマジックと比較して欲しいのですが、コード進行はほとんどいっしょです。
アレンジと音の使い方の違いで、アウトドアと、
さらに大気圏外との差みたいなものを感じてもらえますか?
これは1986年5月、スコアーハウスから発行されたバンドスコア「VISION MELODIES」
に掲載された「FANTASTIC VISION」に対する小室哲哉自身のコメントである。
「パノラマジック」と「FANTASTIC VISION」、
実際のコードネームは表記上かなり違うのだが、
ここでベースラインが…とか、構成音が…とか言い出すと、
あっという間にめんどくさい話になって、話の趣旨から逸れるので、
このコメントの要点部分のみを端的に表現してみた。
コード進行が同じという事は、つまりこういうことである。
(口に何か含んでいる場合は注意!フイても知りませんよ)
意図的にメロディーを変えたのは ♪た~かく、た~かく~ の赤字部分のみ。
その他はビックリするほど、違和感無くハマりました。
その他はビックリするほど、違和感無くハマりました。
このように、和音の流れが同じような曲というのは山ほどありますので、
見つけたら、皆さんもやってみましょう。楽しいですよ!
ちなみにミツカワは「10 YEARS AFTER」のカラオケを流しながら、
気が付くと「Maria Club」を歌っていることがあります。
話を戻す。
つまりこの2曲、作曲者は違うものの作曲の初期段階では
似たような雰囲気の曲だったということが分かる。
しかし、CDに収められた完成版は小室哲哉のコメント通り
・「FANTASTIC VISION」→ アウトドア
・「パノラマジック」 → 大気圏外
と見えてくる景色が全然違う。
これはすでにイントロの時点からなので、歌詞の違いだけによるものでは無い。
とても興味深い事例ではあるのだが、
しかし1986年当時、ミツカワはまだ楽器をやっていなかったので、
コード進行云々のところが、いまひとつ意味がわからず、
ただ何となく "大切なことを言っている” という印象だけが残っていた。
手に取ったCDのクレジットに「Tomorrow Made New」の名を見つけたものの
すでにライブビデオに収録されていたせいで、
特にありがたみを感じず、期待もしていなかった。
特にありがたみを感じず、期待もしていなかった。
むしろこの曲は、本アルバムのコンセプトである
『月とピアノ』に沿っていないのではとまで感じていた。
しかし、しかしである。
今でもその瞬間をはっきりと思い出せるのだが、
曲が始まってわずか2小節で、ミツカワの体中に電流が駆け巡った。
[RHYTHM RED tour ver.] と
見えてくる景色が全然違う!!
見えてくる景色が全然違う!!
それは確かによく知っている「Tomorrow Made New」ではあるものの、
全く知らない「Tomorrow Made New」でもあった。
しかも先の例とは異なり、今回は同一の曲 である。
それが編曲ひとつでこれだけ印象が変わる(変えられる)というのは衝撃的であった。
そしてその瞬間、先に挙げた「パノラマジック」と「FANTASTIC VISION」に対する
小室哲哉のコメントが、時を超えてフラッシュバックしたのである。
この頃ちょうど鍵盤に触れ、曲作りにのめり込みはじめたミツカワは、
1986年のコメントの意味を、
ようやくはっきりと認識した。
ようやくはっきりと認識した。
また、[RHYTHM RED ver.] を LIVE ver. ではなく、デモ ver. と捉えると、
[RHYTHM RED ver.] → [EXPO ver.] の変化が、
神の手(制作者の意図)を垣間見る様で、大変興味深かった。
具体的に、どう手が加えられたのか?
それによって見える画がどう変わったのか? については、
次回に それはもうネットリとやる として、
それによって見える画がどう変わったのか? については、
次回に それはもうネットリとやる として、
ミツカワにとって「Tomorrow Made New [EXPO ver.]」というのは、
この貴重な "気づき" を与えてくれた恩人の様なものなのだ。
それゆえ、いまだにミツカワは
「Tomorrow Made New [EXPO ver.]」に足を向けて眠れない。
って、どっちの方角だよ!
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先の動画のような『同じコード進行に、違うメロディー』
その後、小室哲哉は意識的にこの手法で、
あえてコード進行を固定し曲を量産するようになる。
あえてコード進行を固定し曲を量産するようになる。
彼の代名詞ともいえるコード進行
『Ⅵm→Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ』である。
「Get Wild」「Human System」「悲しいね(渡辺美里)」など、枚挙にいとまがない。
また、一部を変形させた「Love Train」の様な曲も多い。
これはコード進行を固定することにより、一聴しただけで誰が作ったか分かるようにする『ブランド化戦略』だ。
実際にはそんなに特殊なコード進行では無く、例えば BOØWY の「MARIONETTE」や
意外なところでは「君をのせて(天空の城ラピュタ)」など、
他の作曲家の曲でもよく見られるものだったのだが、
他の作曲家の曲でもよく見られるものだったのだが、
小室哲哉がしつこく、しつこく、使い続けることにより、
いつしか『小室進行』などと言われる様になったのは御存知のとおり。
しかしこれは "ワンパターン” "クドくて拒否反応が出る”
などの批判も産み出すことにもなった。
また本人はそのつもりがまったく無いのに、このコード進行を使ったために
『小室の真似』と言われてしまう、巻き込まれ型の被害者を産むことにもなった。
もちろん、これらの曲は先の動画と同じく "メロディーのとりかえっこ” が可能だ。
そう、「Get Wild」のカラオケに合わせ
「君をのせて」を歌うことも…だ。
「君をのせて」を歌うことも…だ。
(やってみると頭がクラクラしてきますよ)
ただ、実際にコードとメロディーの関係を鍵盤で追ってみると、
9thから始めたり、終点をsus4に変形させたり工夫している様がうかがえる。
意外と気にしていたのか?(笑)→ ワンパターン批判
さて次は、もう一つの "気づき" の話。
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話はさらに数年前、1988年12月にさかのぼる。
ここでの主役はアルバム「CAROL」に収録された
「Beyond The Time (Expanded Version)」だ。
「Beyond The Time (Expanded Version)」だ。
何が "Expanded" なのかは一切不明 だが…。
実はこの曲、アルバム「CAROL」の中で、
唯一、日本でレコーディングされた音で構成されている。
唯一、日本でレコーディングされた音で構成されている。
つまりシングル版と素材(楽器演奏やボーカルのテイク)は同じだ。
それだけにその後の作業、つまり
『mix 作業の効果』を知るには最適 である。
『mix 作業の効果』を知るには最適 である。
「Beyond The Time」は、シングルが同年3月に発売されてから、
このアルバムに収録されるまで
"シングル版しか存在しない期間" = 予習期間
が、かなり長かった ため、初めてアルバム版を聴いたとき、
素人のミツカワにも、シングル版との違いがはっきりと分かった。
このアルバムに収録されるまで
"シングル版しか存在しない期間" = 予習期間
が、かなり長かった ため、初めてアルバム版を聴いたとき、
素人のミツカワにも、シングル版との違いがはっきりと分かった。
曲の一番最初の部分。
シングル版では『ジャ~ン』と塊で聴こえた音が、アルバム版だと
ギターの弦、1本1本の隙間が見えるとでも言えばいいのだろうか、
『ジャラ~ン』と聴こえてきたのだ。
『ジャラ~ン』と聴こえてきたのだ。
その瞬間、今までさんざん聴いてきたシングル版とは
全く違う景色が、ミツカワの前に広がった。
全く違う景色が、ミツカワの前に広がった。
シングル版が、スクリーンに映った
"どよ~んと曇った宇宙" (変な表現だが)とするなら、
"どよ~んと曇った宇宙" (変な表現だが)とするなら、
アルバム版は "どこまでも広がる広大で澄み切った宇宙に
自身が放り込まれたよう" な印象を受けたのだ。
自身が放り込まれたよう" な印象を受けたのだ。
さすがガンダム。
まさに『どっちを向いても宇宙。どっちを向いても未来』だ(←それ違う番組)
まさに『どっちを向いても宇宙。どっちを向いても未来』だ(←それ違う番組)
まぁ、映画の内容を考えると "どよ~んと曇った” 方が合っている気もするが…。
なぜ同じ素材を使っていながら、
ここまで印象が異なるのか?
ここまで印象が異なるのか?
あわてて聴き直してみると、
このイントロ部分だけでも、かなり違いがあることが分かった。
例えば、シングル版では右端でチキチキと鳴っていた
打ち込みのハイハットがバッサリカットされ
さらに和音を抑えていた鍵盤の音は、はるか彼方に押しやられている。
こうしてできた音の隙間から、シングル版では聞き取りとれなかった、
一つ一つの音の余韻が聴こえてくるようになったのだ。
特に、先にも書いた『ジャラ~ン』と和音を弾いたギターの音程が
その後ずり下がっていく部分の余韻は、
その後ずり下がっていく部分の余韻は、
シングル版では味わえないみずみずしさを湛えている。
また、0:18 から入ってくる歪んだギターの音も、
シングル版では目の前で鳴っているのに対し、
シングル版では目の前で鳴っているのに対し、
アルバム版ではまるで遠雷のような響きをたずさえている。
さらに、Bメロからスタートするスネアの音も、シングル版では息がつまるというか、
まるで目の前に立ちふさがるような鳴り方をしていたのが、
アルバムでは、自然な余韻が付加けられ、ほどほどに後ろに下がった結果、
ボリュームを上げても耳が痛くならない。
実はミツカワ、シングル版の時点ではたいして興味のなかった曲(※)だったのだが、
このアルバム版はぐいぐい引き込まれてしまった。
(※)これは曲の良し悪しではなく、
シングル発売当時、大量にオンエアされていた映画のCMの印象が強過ぎて、
シングル発売当時、大量にオンエアされていた映画のCMの印象が強過ぎて、
『TMの曲』というより『ガンダムの曲』というイメージだったため。
「Beyond The Time (Expanded Version)」の特徴というより
これはアルバム「CAROL」全体にも通じる話だが、
・前後・左右・上下・奥行きの幅が広い。
・それぞれの音に付加された余韻が自然。
・高域のみずみずしさ。
・低域のふくよかさ。
などなど、これはもはやアルバム用の mix というより、
アルバム「CAROL」を担当した、
スティーブ・ナイによる添削指導
という様相を呈している。
スティーブ・ナイによる添削指導
という様相を呈している。
事実、小室哲哉自身まずこの曲をテスト的にミックスしてもらった結果、
TM NETWORK には申し訳ないが、ミツカワにとって
アルバム「CAROL」の主役は、
このスティーブ・ナイと、
録音を担当したスティーブ・ジャクソン である。
1曲目「A Day In The Girl's Life」冒頭のシンバルロールから始まり、
どの曲を聴いていても、つい曲ではなく
1つ1つの "音そのもの” の美しさに耳が奪われてしまう。
1つ1つの "音そのもの” の美しさに耳が奪われてしまう。
同じく mix という意味では「Seven Days War」における
スネアドラムの音色の違いにもかなり驚かされた。
スネアドラムの音色の違いにもかなり驚かされた。
シングル版がシングルらしく派手な『パーン』という音に対し、
アルバム版では『スタン』と落ち着いた音になっている。
これはアルバムを通して聴いたとき、他の曲との違和感が無いように、
また、アルバムを通して聴き続けた時、耳が疲れないようにという配慮だろう。
これも決して音を録り直したのではなく、Mix の違いによるものだ。
逆に言えば、
mix ひとつでここまで印象が変わってしまう、
mix ひとつでここまで印象が変わってしまう、
というのは恐ろしいこと とも言える。
我々が "レコーディング" と聞くと、アーティストの作曲シーンや、
演奏や打ち込みをしている姿を思い浮かべがちであるが、
実はその後で、ガラッとイメージが変えられてしまう可能性があるのだ。
アーティストが mix エンジニアの選定にナーバスになったり、
わざわざ mix をするためだけに、海外に行く意味がよく分かるだろう。
ミツカワにとって、
この「Beyond The Time (Expanded Version)」以前と以降では、
この「Beyond The Time (Expanded Version)」以前と以降では、
mix に対する認識が180度変わった。
ありがとう
「Beyond The Time (Expanded Version)」!
「Beyond The Time (Expanded Version)」!
僕は君のことを(普段、全然聴かないけど)決して忘れない。
ただ最初の出会いが、この『最高峰の音』だったため
これ以降、今に至るまで mix 作業に対する強烈な苦手意識も植え付けられてしまったが…。
これ以降、今に至るまで mix 作業に対する強烈な苦手意識も植え付けられてしまったが…。
おのれ「CAROL」!!(←浮き沈みの激しい人)
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最後に、マスタリングについても簡単に触れておこう。
マスタリングに関しては、曲毎の音量、音質を整えるといった静的なものから、
積極的に音にアプローチするといった様々なスタンスがあり、
なかなかその効果を文章で表現するのは難しい。
一般的な認識だと
・音量・音圧が上がる。
・細かい音が聴き取りやすくなる。
といったところだろうか。
ここでは、それだけではない
マスタリングの大切さ(恐ろしさ)を感じ取れる例をひとつ挙げておく。
マスタリングの大切さ(恐ろしさ)を感じ取れる例をひとつ挙げておく。
・Welcome to the FANKS!
・TM NETWORK THE SINGLES 2 (初回生産限定盤)
両ベスト盤に収録されている「We Love The Earth」を聴いてほしい。
ざっくり言ってしまうと「~ SINGLES 2」版より「Welcome ~」版の方が
曲全体の重心が低く、落ち着いた感じになっている。
特に顕著なのが Bass だ。
・「~ SINGLES 2」版ではかなり “fat” な鳴りをしていて、
Vocal のすぐ下にピッタリとくっつく様に位置している。
Vocal のすぐ下にピッタリとくっつく様に位置している。
・「Welcome ~」版では落ち着いた音に調整されており、
Bass 本来の、かなり下の位置に収まっていて、
Bass 本来の、かなり下の位置に収まっていて、
結果的にVocal とBass の間に空間が生まれている。
ミツカワの好みとしては断然「Welcome ~」版なのだが、
オリジナルに近いのは「~ SINGLES 2」版だ。
オリジナルに近いのは「~ SINGLES 2」版だ。
これは先に書いた
マスタリング作業に対するスタンスの違い だろう。
マスタリング作業に対するスタンスの違い だろう。
その他、イントロ頭から鳴っている、リズムマシン(TR-808)のKick の音に注目すると
・「~ SINGLES 2」版ではオリジナルに近い “トン・トン “
・「Welcome ~」版では “ドゥン・ドゥン“ + 高域で “ジー・ジー“ 。
と、その鳴り方が違うのが判るだろうか。
(判りづらい場合、スピーカーやイヤホンなど環境を変えてみてください)
このように、mix 作業を終えた以降でも、
まだ全体のイメージを左右してしまう工程があるということだ。
マスタリングにまでアーティストが神経を使う理由が、
少しは分かっていただけただろうか?
少しは分かっていただけただろうか?
さて、この「We Love The Earth」に限らず、
総じてミツカワは「Welcome to the FANKS!」の音に好感を持っている。…のだが、
総じてミツカワは「Welcome to the FANKS!」の音に好感を持っている。…のだが、
「ただしジャケットデザイン…テメーはダメだ!」
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ほんのちょっぴり、メモリアルにふさわしい内容だったでしょう?
実は、この他にも書ききれなかったことがいくつかあるのですが、
(なんせ30年ですもんね)それはまた、いずれ。
兎にも角にも、
TM NETWORK 30周年、おめでとうございます。
TM NETWORK 30周年、おめでとうございます。
さて次回は、いつもの路線に戻るよ!
いよいよ「Tomorrow Made New」 [RHYTHM RED ver.] VS [EXPO ver.]
ガチンコ対決だよ!!
んじゃ、また。
今回はもう一言で言うと凄く勉強になりましたというか‥いつしか忘れていた音へのこだわりを思い出させていただきました‥そんで自分的にはCAROLからシングルカットされたJUST ONE VICTORY[Remix Version]には超かっこ良くなっててというか一つ一つの音がデジタルチックで繊細で綺麗でちょっと感動しました‥それ以降、この曲は[Remix Version]の方しかほとんど聴いていませんw
返信削除TMの曲ももう何周もして最近では「クリストファー」なんかが超つぼです。
それはそうとNew Single『LOUD』はなんかすっきりしない、もやもやする感じが否めません‥バックでずっとカタカタ鳴ってる音がそんか感じがするのかな‥TMっぽいといえばそれまでなんですが‥まあ聴き重ねるうちの慣れてくるのかな‥
とにかく明日のDRESS 2が楽し‥いや小室哲哉ぴあ本の方がもっと楽しみかなw
しかし小室先生が香港での失敗もなくて、それに付随して起こるあのお金の事件ももちろん無かったら、あの王様だった頃の先生はTMのことを今のように振り返っただろうか‥
そんなこなんで今回も超興味深い内容ですごく楽しませていただきました!!
では自分も言いたいです!
TM NETWORK 30周年おめでとうございます。
>> 忘れていた音へのこだわり
削除いちいちこうやってエントリー化したのも、30周年を期に僕自身、
もう一度初心に戻ろうという気持ちですので、お互いがんばりましょう。
>> JUST ONE VICTORY[Remix Version]
本文終りで『まだ書き切れない』と書いたのは、まさにこれです!
おっしゃること、よ〜くわかりますよ(笑)
サイボーグ的な格好良さがありますよね。
僕はBメロでのClaviのバッキングが、ド派手になっているのがたまりません。
だとしたら音はシングル版なのにフェードアウトしない、CLASSIXのバージョンは
ものすごいご褒美だったんじゃないですか?
ただ、Wikipediaだと『ドラムマシンに差し替え』って書いてあるけど、
そうじゃないですよね?
トリガーしてるって意味かなとも思ったけれど、そうにも聴こえないし…。
>> 小室先生が香港での失敗もなくて
まぁ、歴史にifは禁物ですし、何とも言えないですけど
しかし事実として1年間に2回もツアーがあるなんて、91年以来ですからね!
乗るしかない、このビックウェーブに!!
TM30周年おめでとうございます!
返信削除自分のブログには手をつけず、遊びに来ました
。
今回のエントリ、良い入門ですね。
音の言語化する語彙が多くてうらやましいです。
それとともにリマスタリングした音の聞き比べなど、実に丁寧に聞いていらっしゃるなと感心しました。
Loud, Loud, Loud, Shout it Loudの部分、私もなんか既視感(既聴感)があったんですが、Tears For FearsのShoutですか…
うーん、そうかも
LoudとDRESS2、帰宅してから一回ずつ聴いただけですが、RAINBOW RAINBOW 2014、攻撃的で気に入っています
そのうちリプロダクションについても語ってくださいませ
>> 自分のブログには手をつけず、遊びに来ました
削除これはどうも、って、おいおい(笑)
>> 音の言語化する語彙が多くて
とんでもございません。毎回、七転八倒しております。
何が怖いってちょっと気を許すと、すぐグルメ漫画みたいな表現になっちゃうんですよ。
あっという間に『TMをミスター味っ子風に表現するBlog』になっちゃう。
>> Tears For FearsのShout
これは僕がそう感じた、ってだけなんで
♪Shout it Loud〜に限って言うと「RAINBOW RAINBOW」でも言ってるし、
「Shout(小室ソロ)」でも似たようなフレーズ出てくるし、
単に手癖なのかもしれませんけどね。
ただ、「I am」はソレっぽいんだよなぁ…。
>> RAINBOW RAINBOW 2014、攻撃的で気に入っています
ふふふ、爆弾発言してやろう。
僕、4月25日現在、シングルもアルバムも、ぴあも買ってません。
買ってないどころか、試聴もしてません。
まっさらな状態でツアーを楽しみたいと思ったので。
正直、ついフラフラと「Loud」を聴いてしまったのを後悔しています。
でも、もう我慢の限界。禁断症状出てます。助けて!
いつも楽しく拝見させてもらっています!
返信削除小室先生の代名詞として有名なⅥm→Ⅳ→Ⅴ7→Ⅰですが、
ポップスの王道的な循環進行のI→Ⅵm→Ⅳ→Ⅴ7を2番目から始めているだけですよね。
循環進行がもつ圧倒的なメジャーキーの雰囲気に、少し平行調のマイナーキー的なニュアンスを加えるというか・・。
そういう点で極めて普遍的なものだとは思うんですが、それを繰り返し使うことによって
巷で「小室進行」とまで呼ばせてしまうところが小室先生の凄さかなと考えています。
普通は「ちょっと使いすぎかな?」って躊躇すると思うんですけど、「ここぞ!」っていう曲には使ってきますもんね。
コード進行ネタで言えば、前から気になっていることがあって、
Carol's Theme Ⅱなんですけど、アルバムやCarolツアーの時と、ドームの解散ライブの時で
コードが変わっていると思われる箇所があるんですよ。「こーこーろー」っていう部分なんですけどね。
前者は「Em→F#m→G」と動くんですけど、後者は「Em→DonF#→G」となっているんですね。
個人的には「前者が少し不自然な部分があったので、理論的にも自然な後者に密かに修正したのでは?」
などと勝手に推測して楽しんでます。
多くの人にはどーでもいいことなんですけどね、
このブログにふさわしい重箱のスミ的なネタかと思って、思わず書いちゃいました。
>> 普通は「ちょっと使いすぎかな?」って躊躇する
削除ここなんでしょうね。アーティストとプロデューサーの境目って。
>> Carol's Theme Ⅱ
これ、今後の小ネタ候補だったんですよ。ただ僕はちょっと見解が違いまして…。
初めてラストライブのビデオ見た時、この部分が不協和音に聴こえたんですよね。
『あ、誰かやらかした!』って思ったんです。
で、せっかくこういう機会いただいたので、ちょっと腰入れて聴き直してみました。
該当箇所は「こーこーろー」と「うーでーをー」の2箇所。
ポイントは、単音でDを弾いてるかC#弾いてるかの違いですよね。
よくよく音を聴いて小室哲哉のフレーズを耳コピしたんですが、
彼はF#mの和音を分散で弾いてるだけですね。
北島健二のフレーズも単音なので、どうとでもとれる。
で結局この時、単音でDを弾いてるのって、テンガロンハットの人だけなんですよね。
(おそらく和音を弾いてるであろう、サングラス氏の音は聴き取れず)
たぶん単音でEからBに下がるときに経過音として、
ついDを通ちゃっただけなんじゃないかなぁと思います。
つまり、テンガロンハット氏がやらかしたんじゃないかと。
この見解は『僕には不協和音に聴こえたから』なので、
そうじゃない人が聴けば、おっしゃる通りなのかもしれないし、
もう一度そちらのご意見を御聴かせください。
>> 重箱のスミ的なネタかと思って、
まさに当Blog的にドンピシャのネタをありがとございます!
いやーなんだかんだ言って、みんな持ってるんだなぁ。心の中に重箱を(笑)
レスをありがとうございます。いやあ、重箱のスミをつつくのは楽しいなあ(笑)
返信削除私も「過去に確かそう感じた」という記憶があっただけなので
(それだけで書くな!って思われたらスミマセン)、改めて確認してみました。
オリジナル音源は確かにF#mですね。
CAROLツアーのほうを確認してみると、問題の箇所では
おそらく小室先生はオカリナっぽい音色のリードの音を弾いていると思われますが、
これも間違いなくF#mでやっています。特にバックトラックとぶつかっている感じもしないと思いました。
終了ライブの東京ドームですが、先生のJDピアノはF#mでやっているようですね。
でもポコ太さんのいうように葛Gが低めの音で単音でDを弾いていますね。
たぶん私がDonF#のように聴こえたのはこれが原因だったんですね。なるほど!
コードとしてはF#mとDだと確かにC#とDがぶつかってしまいますね。
葛Gの音が低いのに対して先生のピアノが比較的音域が高いことと、
バックトラックの音が薄いことで、あまり致命的なことにはなっていないようですね。
ちなみにTK-trapバージョンも聴いてみましたが、やっぱりF#mでやっていますね。
なのでポコ太さんの見解が正しいと思います。
問題は葛Gともあろう人がなぜ単音でDを弾いているかということなんですけど、
実は私は昔オリジナル音源を聴いたときからこの部分に少し違和感を感じていたんですね。
①Em→F#m→Gと②Em→DonF#→Gの比較ですが、Gを仮のトニック(I)と考えれば
①のF#mを使うのはⅥm→Ⅶm→Ⅰというあまりお目にかからない進行、
一方②はⅥm→Ⅴ→Ⅰとなり、DはトニックのGにむかうドミナント(Ⅴ)とみなせるので
こちらのほうが自然な進行といえます。
終了ライブのときは曲数が膨大であり、サポートメンバーは逐一各曲を完全に
把握するまでには至らなかったようなので、かなり感覚的に弾いていた部分があると思うんですね。
で「コードがEm→○→Gと進むところでベースラインがE→F#→Gと動くなら、
○の部分は普通Dっしょ!」みたいな感覚でやっていたのかなと想像します。
ちなみに小室先生の名誉のために(?)付記すると、
先生が上記②の自然な進行を知らずにやっていたかというと、恐らくそうではなくて、
例えばSelf Controlの間奏などはキーは違いますが今回の問題の箇所と同じ進行です。
オリジナルでは「Bm→F#monC#→D」、武道館では「Bm→AonC#→D」と弾いていて
きちんとⅥm→Ⅴ→Ⅰの進行でやっています。
(厳密に言えばオリジナルと武道館で2つ目のコードがF#mとAで異なっていますが、
付加6のようにF#mをA6のように考えれば、ほとんどF#mはAと同じコードとみなせます。
小室先生は結構シックス系のコード使うように思いますし)
長々書いた割りに、「だから何?」という感じなんですが・・ごめんなさい。
ご返答、ありがとうございます。
削除まずは、細かいところまで聴いていらっしゃって感服いたしました。
そのうえで、せっかく長文で書いていただいたので、
僕の見解も、これまた長文ですが書かせていただきますね。
例のコード進行についてですが、これはおっしゃるような理屈ではなく、
単に『小室哲哉の手癖』だと思います。
…と言っちゃうと身も蓋も無いし、何の説得力も無いので、
この後、理論的に理屈をコネてみますが、ただし実情としては、あくまで
『手癖』あるいは、良いリフなり旋律を思いついて、それとBass lineを合わせたら
結果として、このようなコード進行になったんだと思います。
本題の前に前提として確認しておきますが、この部分の発想というか
欲求のスタートは、BassがE〜Aまで順番に上昇していく様にしたかった
→ そのうえで、その上に載る和音を付けた、という順番だと思います。
決して、コード進行を決定→それに沿ったBass line、
という順番では無いということです。
で、一応「Em→F#m→G」に対する理論付けをしてみます。
そもそも僕には「DonF#」というのが、
この曲の文脈からは『調子はずれ』にしか聴こえないんです。
だから、初めてビデオを視た時に「あ、やらかした!」と思ったんですね。
で、この双方の見解の違いの原因が何かというと
・そちらはコード理論に沿って、考えてらっしゃる。
・僕はスケールに沿って考えている。
この違いだと思います。
僕自身経験があるのですが、このような組曲だったり、
複数で1つの作品となる芝居のBGMなど作るとき、
まずはその大枠の『世界観』を構築するところから始めますよね。
で、世界観の構築といっても音楽的にいくつか方法があると思うんですけれど
1つの手法として『スケールを固定する』というのがあります。
フリジアン・スケールとかドリアン・スケールとか言うアレです。
場合によっては調性すら離脱して、モード的な発想をする場合もあるでしょう。
今『CAROL組曲』全体をマクロ的に見る余裕がないのですが、
この部分に限って言うと、仮に『G』を基準とした場合、
『Gリディアンスケール』で形作られていると思います。
試しに『Gリディアンスケール』に沿って左手で適当にアルペジオを弾きながら、
右手で「Em→F#m→G」を弾いてみてください。
リディアンスケールの持つ独特の雰囲気が、
ズバリこの曲の世界観を形作っているのが分かると思います。
ここで『Gリディアンスケール』を成立させるためには、
特徴音である「C#(単音)」を含んだ「F#m」でなければならないわけですね。
しかしここで「Em→DonF#→G」と弾いてしまうと、
特徴音である「C#(単音)」が含まれないため
『Gリディアンスケール』の世界感が薄れ、
さらに「Ⅱ-Ⅴ」の持つ強い進行感と安定感(解決感)によって、
この曲特有の『憂い』と言うか『翳り』の様な雰囲気が吹っ飛ばされてしまうんですよね。
結局、(一部の現代音楽を除き)音楽にとって大切なのは『理論』ではなく、
その曲ごとの『世界観』なので、曲を分析する時も、
まずその曲の世界観の形作る『法律』が何か
(和音進行なのか、旋律的構築、モード的な手法なのか、
あるいは音色的なアプローチなのか、等)を
見極めるところから始める必要があるのではないのかでしょうか。
と、偉そうなことを言っていますが、
僕自身は楽器を習ったこともないし、楽典を勉強したこともありません。
あくまで最初に聴いたときに感じた『あ、不協和音だ』という感覚をスタートに
語っているだけですので、あまり、たいそうに受け取らないでくださいね。
なお最初に書いたように、これはあくまで後付けの理論であり、
実情としては『小室哲哉の手癖』だと思います。
というのも彼の出自であるプログレでは、大げさな世界観構築するために、
これでもかとスケール的、旋律的手法が使われていますので、
自然と身に付いているのではないでしょうか。
例えば『ホールトーン・スケール』と言われると難しそうでも、
鉄腕アトムのイントロ弾いてたら、
自然と身に付いちゃうでしょう?っていう話です。
長文、失礼いたしました。
葛Gと「Self Control」の話も
大変『重箱向き』で興味深いのですが、続けますか?(笑)
明日はTM的な意味でちょっと府中に出かけるんですけど、
リクエストいただければ、時間が空いてもこの場所で続けますよ。
府中・・。聖地巡礼でしょうか?(笑)
返信削除最近出た「ぴあ」にも特集がありましたね。
興味深い考察をありがとうございます。スケールライクに考えてみるのも面白いですね。
(スミマセン、いろいろとお時間を使わせてしまって)
私も小室先生が「感覚的」に創作していることには同意します。
手癖も含めて探り弾きをしながら楽曲を組み立てていく過程で
「自身の感覚として違和感がない」ことを判断基準としているのだと思います。
独学であそこまでできるのは、まさに才能なのでしょう。
(逆にその才能を磨くことを怠らなければ、ミュージシャンとして
さらに幅広い活動ができたのではないか、と思うこともありますが・・・)
私も「何が正しいのか」を主張するつもりはないので、このテーマについてはこのあたりにしません?
いつかポコ太さんとは、直接会っていろいろとお話してみたいなあって思います。
今後も「重箱」的なネタを楽しみにしていますね!
小室先生のキーボードブースの足元の大量のフットコントローラーは
演奏上本当に必要だったのか?(そもそも本当に繋がっているのか?)とか(笑)
>> 府中・・。聖地巡礼でしょうか?
削除返事が遅くなってすみません。
もうお察しでしょうが、ライブに行ってきました。
まだどこか夢の中です。
>>ミュージシャンとしてさらに幅広い活動ができたのではないか
幸か不幸か、ミュージシャンと同じか、
それ以上に、プロデューサーとしての才能があったということでしょうね。
僕は『プロデューサーとしての小室哲哉』に全く興味がないのですが、
では、100%ミュージシャンとして活動していたら、
ブレイクとは縁のない人だったろうな…
と、自分にとってフェイバリットアルバムである
「CHILDHOOD'S END」を聴きながら思います。
>>直接会っていろいろとお話してみたいなあって思います。
僕もぜひ皆さんの生の声というか、罵声を浴びる機会があるといいなぁと思っています。
(ポコ太は基本、マゾです)
今のところ未決定のようですが、リンクさせていただいている
『TMN通史』さんの方で5月の国際フォーラムの時、
飲み会を企画されているようですので(まぁ、僕がそそのかしたんですけどね)
あれば参加させていただくつもりです。
よかったら御一緒にどうでしょう。
詳しくは、あちらのコメント欄を御参照ください。
>>足元の大量のフットコントローラー
それがですね、これに真っ正面から答えてるインタビューがあったんですよ!
たしか「Bang The Gong tour」の時期だったと思うんだけど
時間を見つけて、また資料漁ってみますね!
初めてコメントさせてもらいます。
返信削除ポコ太さんの清々しいほどに突き抜けたノリが好きで、毎回ニヘラニヘラ笑いながら
音感の鈍い私には理解できないTMの音の解説を読んで楽しんでいます。
私は新規に近いFANKSなのですが、TMの絶頂期にFANKSになれなかったのには
実はCAROLの存在があります。
当時は「このオジサンたち、どこへ行ってしまうん・・・?」と思っていました。(汗)
そういう訳で今もアルバムCAROLは、う~ん?という存在です。
(好きな人の方が多いと思うので申し訳ないですが)
でも、ポコ太さんがおっしゃるように音が素晴らしいアルバムなんですよね。
まるで雪原の澄んだ空気に響き渡るような、透明ですぐに吸収されてしまう音。
奥行きのある立体感。無音の瞬間でさえも御馳走です。
他のアルバムとの差がとても不思議で、何故CAROLだけが?と思いつつ、音そのものに
惹かれて聴いていたのです。
その不思議さがどこから来るのか、ポコ太さんのお陰でやっと理解できました。mixの仕業だったんですね!
また、そういう贅沢なアルバム作りができる環境がTMに巡ってくるといいなぁ。
CAROLのコンセプト自体はまだ好きにはなれませんが(←)私にはとっては音が一番好きなアルバムです。
ポコ太さん、解説ありがとうございました。
またお邪魔させていただきますね。
ヌ子 さん
削除どうもはじめまして!
毎回、だらだら長い割には大した内容はありませんが、
分りづらい所はどうぞ気軽にご質問ください。
>>実はCAROLの存在があります。
分ります。分りますよ。
僕も当時、発売を今か今かと待ちながらも、
ジャケットが発表された瞬間、ドン引きしましたもの。
しかし既に予約を入れていたため、発売日には受け取りに行かざるをえない。
正直かなり恥ずかしくて、カウンターに他のお客さんがいない時を狙って
スッと予約表を出しました。
その時の店員さんの顔すらおぼえています(笑)
これに限らず、衣装にしろダンスにしろ、
TMって最初のハードルが無駄に高いですよね。
とても他人に勧め辛いというか…。
>>まるで雪原の澄んだ空気に響き渡るような〜
凄え〜!凄い的確かつ詩的な表現力ですね。
毎回毎回、ミイラになりそうなくらい
全身振り絞って文章捻り出してる僕からすると、羨ましい限りです。
もういっそのことゴーストライターになっていただきたいくらいです。
>>そういう贅沢なアルバム作りができる環境
丁寧な録音と細やかなmix。
結局、時間・カネ・伝統…etc. なんですよね。
TMに限らず、音楽全体(作る側だけでなく聴く側も含めて)に
こういうゆとりがあってほしいなと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
毎回「お若い」ポコ太さんの秀逸な言葉のセンスとリズムに拝させていただき恐悦至極に存じます
返信削除なんて、↑も本音ではありますが
今回 は ポコ太さんも触れられていたヌ子さんの
まるで雪原の澄んだ空気に響き渡るような〜
この一文によって
ポコ太さんのmixについての言葉が感覚的に結実できたような気がします
たとえるなら
ボコ太さんが 餅をついて
ヌ子さんが 丸め
私が 食べた(←何様)
ち、違うか?
CAROLには苦手意識があり、消しゴムになり切れない自分に不甲斐なさを感じていましたが‥‥
数十年ぶりにCAROLへのワクワク回線が開通いたしました〜
重箱のスミのスミの出会いに感謝です
You’re the one Your’ the best
おや、イヨ太さん!?
削除今度は、こんな所でお会いするとは、
なんてフットワークの軽い人だ。
>>数十年ぶりにCAROLへのワクワク回線が開通いたしました〜
そもそもは、もっともっと貪欲に音楽を楽しもうよ!というのが
基本コンセプトの1つなので、そういっていただけると、
こんないい加減なBlogでも、始めて良かったと思います。
ありがとうございます。
>>ボコ太さんが 餅をついて〜私が 食べた
ふふふ、食うがよい。
この夜中に炭水化物をたっぷりと喰らうがよい!ふふふ…。