今回のエントリーに対し後編のコメント欄より
"うめ"さんから重要な情報が寄せられました。
これをもって断定するわけにはいきませんが、
傾聴に値する意見だと思いますので、
是非エントリーと共にご覧ください。
うめさん、情報どうもありがとうございました。
さて今回は久しぶりにポコ太の大妄言が炸裂する。
テーマは
[ "PARCOライブ" のバックトラックは
コンピューターではなくテープだったのではないか?]
ここで言う "PARCOライブ" とは
1984年12月5日に渋谷PARCOにて行われた
『Electric Prophet』と題されたライブ。
当ブログでは曲名の「Electric Prophet」と区別するため "PARCOライブ" と呼ぶ。
鍵は3つ
(1)ライブ・デモテープの存在
(2)神出鬼没! 小泉洋
(3)1984年のオーヴァーテクノロジー
今回は前編ということで(1)と(2)をとりあげる。
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まず、"PARCOライブ" について
本エントリーに関係する範囲で簡単にまとめてみよう。
"PARCOライブ" を収録した DVD「VISION FESTIVAL」より。 ライブ部分だけならポコ太が一番好きなDVDだ。 |
後に『公式のデビューコンサート』とされる "PARCOライブ" だが
名目上は『ライブ』ではなく
『ビデオシューティング』として企画された。
これはセットやレーザー光線の演出などの予算を捻出するための知恵だ。
そのため同日中に同じ内容を2公演行っている。
1回目は客を入れず純粋な『ビデオ撮影』
2回目は客を入れた状態の『ライブ』
前述の企画上、これは
どちらかがリハーサル、どちらかが本番
というわけではなくどちらも本番だ。
また、今回のテーマにある『テープ』とは
俗に『マイナスワン』などと呼ばれるもので
TVやイベント出演時に使う、
歌やメンバーが生演奏する部分のみを省いたテープ。
今回は出演者が4人(TM+小泉洋)なので
『マイナスフォー』ということになる。
では1つ目の鍵から見ていこう。
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1)ライブ・デモテープの存在
今回の公演にあたりTM NETWORKは
『ライブ全編』のデモテープを制作している。
その後現在に至るまで、1曲単位ではなく、ライブ全編
しかもボーカルや手弾きのシンセソロまで
完璧に収録したデモテープというのは前代未聞だ。
(なお「17 to19」全編と「Electric Prophet」の一部分は
ボーカルが録音されておらず、
この時点で製作途中だったことがうかがえる)
歌や生演奏のギターなどの他は
DVD「VISION FESTIVAL」とまったくと言っていいほど同じ。
完璧に作り込まれ、既に『完成』している。
『デモテープ』とは言ったが、相当な手間がかかっている。
これは『ビデオシューティング』と言う企画の性格上、
企画会議の叩き台として、
まず音を確定させる必要があったからであろう。
このデモテープを元に
演出プランやコンテなどが練られたと思われる。
また公演当日の渋谷パルコの楽屋は
カメラなどシューティング用の機材で埋め尽くされ、
メンバーは近くのホテル
しかも4人でシングルの部屋1つに待機という状態だった。
メンバーの楽屋入りは午前4時!
ちなみに客を入れた『ライブ』が始まったのは午後7時30分だった。
いかがだろう?
我々ファンの印象よりも、かなり
『ビデオシューティング』に重きが置かれていた
ことがわかるだろう。
そういう意味では DVD「VISION FESTIVAL」は
ライブビデオというより
DVD「Self Control and the Scenes from "the Shooting"」
に近いのかもしれない。
また音に関しても、この時点で既にセカンドアルバム
「CHILDHOOD'S END」の構想に入っていた(注)はずだが、
ここではデビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」の音に立ち返っている。
(注)公式データでは1984年12月10日レコーディングスタートだが、
『すでにレコーディングに入っていたのを、
この "PARCOライブ" のため1ヶ月ほど中断した』
と答えているインタビューがある。
また、セカンドアルバムの制作過程には、
かなり紆余曲折があったようだが
『ヒューマンなもの』『生音の多用』というコンセプト自体は
すでに1984年の終わりから繰り返し述べていた。
通常のレコーディング並みのデモテープの制作に始まり、
大掛かりな本番当日の様子を知ると
この "PARCOライブ" が
『ビデオシューティング』と言う企画をこえ
『TM NETWORK 1984年の総決算・総力戦』
だったことがうかがえる。
おなじみ、木根尚登のギターがうなる!(イメージです) |
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2)神出鬼没! 小泉洋
仮に『コンピューターによるシンクが動いていた』としてみよう。
この時期のライブでは
コンピューター関連は小泉洋が一手に握り、
小室哲哉は演奏に専念している。
使用機材としては
6月のデビューコンサート 〜 翌年の「Dragon The Festival tour」まで
小泉洋の NEC『PC-8801mkⅡ』が使われていた。
ちなみに小泉洋はこの『PC-8801mkⅡ』を
『ハリー』と名付け、ずいぶん可愛がっていたらしい。
"PARCOライブ" の映像にもPCのモニターが写っているで、
これを使ったと考えるのが自然だろう。
小室哲哉側の機材を見ても手弾き用の機材だけで、
シンク用の音源は一切置いていない。
つまり小泉洋の役割は非常に重要ということになる。
しかしだ。
DVD「VISION FESTIVAL」などの映像を見てもらうと分かるが、
なんと小泉洋ブースが空になっていることがあるのだ!
もちろん客入り後のライブ映像では
小泉洋は必ず存在している。
問題は客を入れる前に行われた『ビデオ撮影』の方だ。
今回はDVD「VISION FESTIVAL」収録の
「Rainbow Rainbow」を例にとって検証動画を作ってみた。
検証動画の問題箇所は、すべて客を入れる前に行われたシーンだ。
どうだろう。
カットごとに小泉洋が出たり消えたりまさに神出鬼没だ。
(それだけきめ細かな編集がされているともいえる)
"PARCOライブ" のサウンドは先に述べたように
デビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」路線の
ピコピコした打ち込みの固まりだ。
おまけに Drum や Bass まで
人ではなくコンピューターにまかせてしまっている。
少しでも機材トラブルが起こると
全てがストップしてしまう状況だ。
そんな状況の中、キーマンである
小泉洋が職場放棄するわけにはいかない。
1回目の『ビデオ撮影』はテープで
2回目の『ライブ』はコンピューターが動いた
という可能性もなくはないが、やはり考えにくいだろう。
これだけ重要なイベントで客を入れて、
ぶっつけ本番というのはあまりにも危険すぎる。
やはりテープならテープ、
コンピューターならコンピューターと
同内容で行うのが常道だろう。
となるとやはり動画のように打ち込みの全てを握る
小泉洋がいない状態で行われるというのは考えにくい。
『メンバーだけの画がほしい』という
撮影上の意図があったとしても、
では小泉洋はスタートボタンだけ押して
舞台袖に離れたのだろうか?
というわけで今回はここまで。
次回は、残された鍵
『1984年のオーヴァーテクノロジー』と題し
機材的な面から1984年12月という時代が
どういった状況だったのかを見てみようと思う。
んじゃ、また。
小室さんが後年のインタビューで、準備が足りなくてライブで痛い目にあったと答えていますが、(ソースの出所が不明ですが→)パルコライブでは、打ち込みのリズム隊がタイミング気持ち悪いかショボ過ぎるか何かの理由で、差し替えて映像化したと聞いたことあります。 特番TM NETWORK in HUMAN SYSEMの方は、特に、ニューアルバムの売り込み番組なので、しっかりした音にしておきたかったから手持ちの音源でも一番マトモなテイクに差し替えたのではないでしょうか?定位が変えてあるのもその辺りの理由で説明がつくはずです。
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