とりあげる題材が『小泉洋』という時点で
今回も機材関連の話が中心です。
一応ですが、機材関連に興味が無い方にも
分かりやすい説明を心がけたつもりですので、
チャレンジしてみてください。
さて今回の本題に入る前に、みなさんにひとつ質問です。
『ギタリスト』って何する人か分かりますか?
そう『ギタリスト』は『ギターを弾く人』です。
ドラマーはドラムを叩く人。
ピアニストはピアノを弾く人。
では『マニピュレーター』って何をする人?
↑
これ、結構多くの人が分かっているようで
実は分からないんじゃないでしょうか?
ポコ太も分かりません(断言)
というわけで今回は終了!!
んじゃ、また。
って、オイ!
いや、正直言って『マニピュレーター』の仕事って
現場によって求められる範囲が様々なので
なかなか「こうだっ」と説明しづらいんですよね。
たとえば普通のバンド主体のレコーディングと
TMの様なシンセの打ち込みが大きな比重を占めるユニットでは
当然『マニピュレーター』に
求められる範囲は変わってくるわけです。
というわけで、なかなか一言で説明しづらい
『マニピュレーター』ですが
今回とりあげるテーマはさらに分かりづらい
[ライブ中に『マニピュレーター』は何をしているのか?
〜 1985年・小泉洋の場合]
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ライブDVDなどを見ていても、まずほとんど
『マニピュレーター』ブースが大写しになることはない。
終了ライブを収録したDVD
「TMN final live LAST GROOVE 5.18」
「TMN final live LAST GROOVE 5.19」でも
久保コージのブースはほとんど映らない。
舞台上にそんなブースがあったことすら
気付いていない人もいるのではないだろうか?
そこで今回は、
当時の取材記事・インタビュー・ライブ中の画像・映像などに
前回のエントリーで述べた『当時の機材状況』を加味して
1985年秋に行われたTM NETWORK初の全国ツアー
『Dragon The Festival tour』における
小泉洋の『ライブ中』の役割を探ってみよう。
まずはとりあえず、最低限の仕事を箇条書きしてみた。
・曲データーの呼び出し&スタート
・サンプラーなど、その曲毎に使う音色をロード&調整
・演奏&コーラスに参加
これに不確定要素として
・トラブル時の対処
が加わる。
ひとつひとつを見るまえに、このツアーに於ける
『マニピュレーターにかかる比重』を見てみよう。
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まず、大前提としてTMのライブでは
1987年6月の武道館あたりまで
打ち込みの入らない
完全に生演奏の曲は意外と多い。
技術的な問題やトラブル対策として
打ち込みの入った曲を2曲演奏したら、
完全に生演奏の曲を1曲挟む、というような形式である。
たとえば、その武道館公演を収録したDVD
「FANKS the LIVE 1 FANKS CRY-MAX」
に収録された8曲のなかでも
「Ipanema '87」「Electric Prophet」「Dragon The Festival」
の3曲は完全生演奏だ。
![]() |
※ちなみに「Ipanema『'87』」というのは誤記ではなく武道館公演での正式名称。 |
『TM NETWORK』のイメージ通りの
『完全打ち込み・シークエンスショー』と呼べるのは
『CAROL tour』あたりになってからやっとだ。
(その次のツアーが生演奏主体の『RHYTHM RED TOUR』
というところがなんともTMらしい)
実は1986年暮れに行われたYAMAHAのイベント
『X-DAY』のステージではコンピューターではなく
YAMAHAのシークエンサー専用機『QX1』のチェイン機能
(あらかじめ設定した曲順を次々と自動的に呼び出しスタートさせる機能)
を使った『実験』が行われていた。
![]() |
YAMAHA『X-DAY』東京公演
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しかしその結果、
トラブルが起きた時のリカバー等を考えると時期尚早と判断し
1987年のツアーでは小室哲哉自身が手動で『QX1』から
1曲毎にデーターを呼び出す形式にしたそうだ。
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では今回の主役
「Dragon The Festival tour」はどうだったのだろう?
「Dragon The Festival tour」は
TM NETWORK 3人 + サポートメンバー 5人 = 8人
という大編成で行われ
打ち込みは最小限に抑えられた。
Drum、Bass をそれぞれ人間が演奏することにより、
もし最悪、コンピューターが止まった場合でも
曲としての形を保てるようにしてあるのだ。
逆に言うとそれだけコンピューターに対し
不安があったということだ。
前回述べた時代背景や、単発のコンサートではなく
全国ツアーということを考えると妥当な判断だろう。
そのため全体における打ち込みの割合は
"PARCOライブ" に比べ、かなり少ない。
実は「Rainbow Rainbow」「1974」など、
ほぼ同じアレンジの曲も多いのだが、
人間が弾くことで、受ける印象はかなり違う。
また、単に生演奏というだけでなく
「ACCIDENT」Aメロのコードバッキングは白田朗による手弾き、
「FAIRE LA VISE」CD ver.で聞けるバスドラムの16分音符連打(1:44〜 など)は
山田亘がドラムパッドを使い、器用に打ち込みの雰囲気を再現している。
![]() |
「ACCIDENT」のコードバッキングを "打ち込みっぽく" 弾く -The Man Machine- 白田朗 |
では『マニピュレーターにかかる比重』は少ないのか
というと、そうでもないのだ。
むしろ当時の状況下では『マニピュレーター』がフル回転して出来る
最大限の事をやっている。
どういうことか?
前置きが長くなったが
いよいよ、ひとつひとつ具体的に見てみよう。
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・曲データーの呼び出し&スタート
これは説明の必要はないだろう。
誰にでも出来る簡単なお仕事です。
と、思ったら大間違い!
たったコレだけの事でも、なかなか大変なのだ。
当然、まずはコンピューターに曲のデーターを呼び出す。
しかし、そのままコンピューターの
[play] ボタンを押してスタート、というわけにはいかないのだ。
シンクさせる全ての機材に『基準となるテンポ』を送りだす
シンクロナイザーという機材がある。
指揮者のような存在だと思えばよいだろう。
「Dragon The Festival tour」では
シンクロナイザーのスタンダード、ローランド『SBX-80』が使われたのだが、
この『SBX-80』だけではうまくシンクしない機材があった為、
サブとしてコルグ『KMS-30』というシンクロナイザーも
同時に使われている。
![]() |
「Keyboard magazine」85年6月号よりイシバシ楽器の広告をスキャン。 あおり文句の"ほとんどの”というところがミソです。 |
接続順序としては『SBX-80』が親となり
その下に『KMS-30』と『コンピューター』がぶら下がる。
その結果、曲のスタート方法も煩雑になり
まず『SBX-80』と『KMS-30』のテンポをあわせる。
↓
次に、コンピューターの [play] ボタンを押す。(この時点ではスタートしない)
↓
最後に親となっている『SBX-80』をスタートさせる。
これを曲毎に行うわけだ。
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さらに スタートボタンを押す『タイミング』にも気を使う。
打ち込みと生ドラムが共存するライブの場合、
ドラマーに『クリック』を送らなくてはならない。
『クリック』とは曲のテンポを伝える
メトロノームのようなもの。
TMのライブでドラマーがヘッドフォンをしているのは、
この『クリック』を聞くためである。
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ヘッドフォンから聞こえるクリックに合わせDrumを叩く山田亘 |
『クリック』のテンポに合わせてドラマーが演奏し、
そのドラムを聞きながら他の奏者が演奏することにより、
『コンピューター』の演奏と人間の演奏がぴったり合うのだ。
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ちなみに「Dragon The Festival tour」ではクリックの音源としてE-muの『Drumulator』が使われていた。
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ドラマーが曲のテンポを掴むためには
まず2小節程度、クリックのみを聞いて予習してもらう必要がある。
ドラマーのヘッドフォンにのみ
『コン・コン・コン・コン 〜』とクリックが聞こえ
そのテンポに合わせドラマーが他のメンバーに
『ワン・ツー・スー・フォー』と合図し
初めて曲がジャ〜ンと始まるわけだ。
ここで問題が起こる。
最初の『コン・コン 〜』の予習期間は、
他のメンバーや観客には何も聞こえない『無音』の為
『マニピュレーター』がスタートボタンを押す『タイミング』を間違えると
妙な間が生まれてしまい、
せっかく盛り上がった場がシラケてしまう。
かといって、あまり早くスタートさせてしまうと、
例えば mc でボーカルが 喋り終る前に曲が始まってしまう。
ただスタートさせるだけでも、なかなかに神経を使うのだ。
先程述べたように、
全ての曲で打ち込みが使われているわけではないので、
ライブ中、ずっとこの作業が続くわけではないのだが、
それでも小泉洋に全てがかかる瞬間は少なくない。
さて、無事に曲がスタートした後も
小泉洋は休むことができない。
むしろここからが
「Dragon The Festival tour」の主戦場だ。
というところで、今回はおしまい。
次回も小泉洋先生の活躍に御期待下さい!
んじゃ、また。