2024年6月22日土曜日

コンガラコネクション 〜 LIVE HISTORIA “S”と“a”のエクスタシー


皆様、どうもご無沙汰しておりました。
ドッコイ生きてるシャツの中。
ミツカワでございます。


生まれつき基礎疾患の塊であった自分は
コロナ禍において幼少時より続けてきた治療が受けられなくなり、
また入院治療などもできず、各部が重症化してしまいました。

そのため、まだまだしばらくは不安定な状態が続きますが、
お約束したように最終回のネタまでは書き切りますので、
のんびりとお付き合いいただければと存じます。



〜〜〜〜〜〜〜



さて、親しい方はご存知と思いますが、
ミツカワのTM熱はTM30周年の時期に
すっかり冷めてしまいました。
(さらっと、とんでもないことを言う芸風)

なので以前から決めていた最終回までのネタを淡々と書き切って、
この重箱blogは一段落させようと思っていたんですが、


          が、 が、が、



前回といい、今回といい、それとは無関係のネタを
公式がぶっこんでくるんですよ…。




この重箱blogの本来の趣旨はこちらに書いたように、
“TMの80年代のライブを中心にあーだこーだ書いていく” というものなんですが、
今回のネタはまさに その中心地に投げ込まれた爆弾 のようで
さすがにスルーするわけにいかず、現時点の状況をまとめておこうと思います。



ついでに前回から時間も空いてますので、
この期間に判明したこの重箱blogの間違いも正していこうと思います。



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さて、本題。


寝込んだせいですっかり時期を逃しましたが、皆さん覚えていらっしゃるでしょうか。
2年前、2022年2月23日に発売されたこの2つの企画盤を。


「LIVE HISTORIA T ~TM NETWORK Live Sound Collection 1984-2015~」
「LIVE HISTORIA M ~TM NETWORK Live Sound Collection 1984-2015~」










いわゆるライブベスト盤なわけですが、この商品が発表された際、
冷め切っていたミツカワの心を一気にときめかせた商品特徴がありました。



それは、
1曲毎に演奏年月日、及び公演場所が明記されている こと。



以前、“コロシアムを暴け” なる企画をエントリーしていた際、
確信の持てる資料が極端に少ない中で自分の発言も歯切れの悪いものにならざるを得ず
フラストレーションが溜まっていたのですが、このCDはその問題を一気に解決してくれる、
いわば “回答集” だと認識したわけです。




なので、購入して初回視聴時はもう ドキドキもの で再生ボタンを押しました。




が、その1曲目。

Be Together
 (1988年3月16日/代々木オリンピックプール/KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX)

これのイントロの時点で呆然としてしまいました。



違う
  これは1988年3月16日の
     「Be Together」ではない…




これに関してはややこしいのですが、正確に書くと
“3月16日の「Be Together」” の部分もあるが、
別日の演奏も混じっている。
と、なります。



いきなり1曲目からこれでは、とても信頼できる情報源とは言えなくなってしまいました。
一気にテンションが下がってしまったミツカワ。

どれくらいテンションが下がったかと言うと、このCDの目玉である未発表音源
「17 to 19」をいまだに聴いていない、聴く気になれない という有様です。



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なにせ 1曲目からつまずいてしまった のでエキサイトしていますが、
このCD全体に問題があるというわけではありません。


まず、再結成後のライブに関する表記は問題ありません。
さすがに2010年代以降で資料があやふやなんて事は無いでしょうし。
また Epic/Sony 期のトラックについても、ほぼ合っていると思います。




現時点でミツカワがおかしいと思っているのは、以下の3曲。


LIVE HISTORIA T ~(1曲目)
Be Together (1988年3月16日/代々木オリンピックプール/KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX)


LIVE HISTORIA M ~(3曲目)
LOVE TRAIN (1992年4月12日/横浜アリーナ/TMN EXPO)


LIVE HISTORIA M ~(5曲目)
Just One Victory (1989年8月29日/横浜アリーナ/CAMP FANKS!! '89)




ここで さらに問題をややこしくしている のは、
この2枚の企画盤がソニーとエイベックスの 共同企画 であると言うこと。


そして販売元がソニー側の「LIVE HISTORIA T」と
エイベックス側の「LIVE HISTORIA M」に、
お互いの所持する音源がごちゃまぜに収録されている こと。


ミツカワが問題視する3曲のうち2曲は Epic/Sony 時代の音源にもかかわらず、
エイベックス側「LIVE HISTORIA M」に収録されています。
つまり、この2曲の問い合わせ窓口はエイベックス なわけです!



かといってこの問題、
エイベックスに尋ねて分かるわけないですよね?



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話を戻します。


いきなり1曲目でテンションの下がったミツカワですが、
ただこの時点では、そこまで根深い問題とも考えていませんでした。

CDには ↓ このような注意書きがあり、
これの2行目が今回の “編集” にあたるのかなと思っていました。


 



ライブ盤での編集はよくあることですし、基本的にミツカワは
“商品としてのクオリティーアップ” と捉えて 編集大万歳🎉 というスタンスです。

しかし公式として間違ったクレジットをしている事は確かですし、
その意味では前回と同じなわけで、一応ソニーに連絡を入れました。

このときの気持ちは
“次回から気をつけてね” 位の軽い感じで話を終わらせるつもりだったのですが、
しかし、ソニー側の返答を聞いて頭を抱えてしまいました。




ソニー側として語られた 当CDのコンセプト 

従来のライブ盤と違い、
別日の素材などを編集で混ぜ合わせたりせず、
純粋にその日時に演奏されたものをパッケージする

だというのです。
(尺編集については上記注意書きの範囲内とミツカワは捉えているため問題視していません)





こう胸を張って返答されてしまうと、
こちらとしても引き下がるわけにはいかなくなってしまいました。
まさに その部分に問題が起こっている 
(とミツカワは認識している) からこそ連絡を入れたわけなので。





今回は細かく解説しませんが、聴いていて明らかにおかしい部分があるのは確かです。
それは「Be Together」を例に上げると、
 
2番のAメロで小室哲哉の手弾きパートが
2つ同時に鳴る箇所がある。

この時点で、単日の演奏のはずがありません。



しかし、その後のやり取りでわかった事は

現在のソニーとしては、
・ 過去のライブビデオなどの収録日時に関する記録は無い。
・ 今回のクレジットの根拠は、使用したマスターテープに書かれた表記。



そうなんですよね。
かつての Epic/Sony はとっくに存在せず、
現在の TM NETWORK のCD等を企画・ 発売しているのは、
同じソニーでも別の組織なんですよね…。


これでは、暖簾に腕押しになっても仕方がありません。


ここまでお読みのようにこの問題、本来はシンプルなミス (後述します) だと思うのですが、
商品企画・販売方法が複雑なため、どうやって解決するべきなのか
ミツカワ自身が混乱している状態です。



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今回のエントリー、
ここまで 自分ひとりの思い込みで突っ走っている可能性 もあるので、
一旦、いつもの重箱blogらしく 音源の中身 に目を向けてみます。
これを読んで皆さんも同意いただけるでしょうか?



問題の3曲の内
Just One Victory (1989年8月29日/横浜アリーナ/CAMP FANKS!! '89)
が1番分かりやすいと思います。



既発の「CAMP FANKS!! '89」関連のBlu-rayなどと聴き比べれば、
小室哲哉パートがまるで違います。



現在入手できる「CAMP FANKS!! '89」関連のBlu-rayは “1989年8月30日” のものですが、
Blu-ray化が宙に浮いている ↓ こちらのビデオ
「FANKS the LIVE 3 CAMP FANKS!! '89」については、
このCDでのクレジットと同じく “1989年8月29日” と表記されています。


 




以前こちらのエントリーで、このビデオで実際に使われている映像の大半は、
8月25日 or 26日 (どちらかは不明だが、ミツカワは九分九厘 “26日” と睨んでいる) 
東京ベイNKホール のものである事は述べましたが、
音声については8月29日横浜アリーナのものが主軸 となっています。

横浜アリーナをベースにベイNKホールの音声 (ボーカルの一部など) が
部分ごとに差し替えて編集されているわけです。




この 映像と音声のちゃんぽんのおかげ(?) で、
幸いにも「Just One Victory」関しては、8月26日(?)、29日、30日と
「CAMP FANKS!! '89」全4公演中3公演の演奏内容が音と映像から読み取れます。




皆さんご承知の通り、どの公演日も小室哲哉がショルダーキーボードを弾き始めるのは、
最後のサビに入ってから。

それに対して、今回のCDではイントロから最後まで、
1曲丸ごとショルダーキーボードで弾いています。

これは「CAMP FANKS!! '89」ではなく、
直前まで行われていた「CAROL TOUR」 (ホールツアー) での演奏の特徴 です。



つまり、このCDの音源はクレジット通りである8月29日の演奏に
「CAROL TOUR」(演奏日時不明) の音声が混じっている のでは?
というのがミツカワの考えです。



もちろん資料の無い「CAMP FANKS!! '89」の残り1日、
例えば 初日はこの演奏だったという可能性 もないわけではありません。

しかしそうだとしても 8月29日/横浜アリーナ で無いことは確かだし、
そのうえ「CAROL TOUR」「CAMP FANKS!! '89」では
この曲を演奏するときの舞台セット、特に小室哲哉ブースが違う(注)ため、
その可能性はかなり低いと考えます。

(注)「CAROL TOUR」「CAMP FANKS!! '89」では
    コンサート中に2つの小室哲哉ブースが入れ替わる演出となっている。





  ここまで書けば、皆さんお分かりですよね。





この問題の3曲って、つまり特定の1日を音源化したのではなく、
単に「TMN COLOSSEUM」(注)制作時に作られたマスターテープ、
つまりフェイクのライブテイクをミックスし直しただけ。

しかし「TMN COLOSSEUM」では1曲毎の音源として矛盾がなかった
 (例えばメンバーの数が急に増えたりしない) のに対し、
今回は、無頓着にミックスしてしまった。

ということです。
(注)1992年に発売された “架空のライブツアー” と銘打たれた2枚のライブ盤。
   各トラックは様々な公演日時の素材がミックスされたフェイクトラックとなっている。
   以前こちらで解明しました「Ipanema'84」に至っては、
   ライブ素材どころかスタジオ素材、つまりデビューアルバム
   「RAINBOW RAINBOW」のボーカルに差し替えられています。





今回の一件で久しぶりに「TMN COLOSSEUM」を通して聴きましたが、
こちらの収録曲はいずれもビジョンを持ってミックスされていると感じます。

それに対し、今回問題の3曲はバンドサウンドの定番である
ドラム/ベース/ギターに関してはともかく、
TMサウンドの要であるシンセサイザーについては、非常に 曖昧模糊 としています。

1つの音に対して、これは打ち込みなのか手弾きなのか?
手弾きの場合は、通常の鍵盤なのか?ショルダーキーボードでのプレイなのか?
などが1曲の中でふらついている。(特に「Be Together」
つまりは、小室哲哉が舞台のどの位置にいて
何をしているのか? という画が見えてこない のです。




先に、このCDの「Just One Victory」では、
“イントロから最後まで1曲丸ごとショルダーキーボードで弾いている” と書きましたが、
これは間違いでは無いものの、印象としては かなりあやふや です。

同じ素材が使われている「TMN COLOSSEUM」と聴き比べれば一聴瞭然なのですが、
例えば2番のサビではショルダーキーボードが何処かにいなくなったと思ったら、
サビが終わった途端に急に戻ってくるといった感じ。



これはミックスの段階で、
“各トラックの音が実際のライブでどのように演奏されていたのか”
よく把握しないまま作業を進めてしまった結果のように思えます。
(念を押しますが、あくまで問題の3曲についての話です)



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そう捉えるとこの問題、それ以前から 伏線が敷かれていた ように感じます。


2012年5月23日に発売されたこちらのCD。
「TM NETWORK ORIGINAL SINGLE 1984-1999 BACK TRACKS」







数々のシングルをカラオケ状態で聴けるという、ミツカワ歓喜の企画CD。
ミツカワのみならず TM NETWORK のファンであれば、
かなり嬉しかったのではないでしょうか。


ただ純粋なバックトラックとして聴くと、次々と?が頭に浮かぶ CDでもありました。


というのも、
オリジナルの音源では鳴っていなかった音が聴こえたり、
ソロのフレーズが違っていたりしたから です。


これはつまり、マスタートラックに収録されているもののうち、
どのトラックが本番で採用されたものかを把握せずにミックスしてしまったために起こった
“珍事” なのでしょう。





これ自体はむしろ今まで聴けなかった没トラックが聴けたわけで、
ミツカワとしてはとても 魅力的な商品 として仕上がっていたと思います。
今でも度々聴きます!




しかし今回はそれが
 (ソニーが胸を張って唱えたコンセプトに対して)
悪い方に転がってしまった のではないでしょうか。

よっぽど熱狂的なファンでもない限り、どれが本来の使用トラックとか把握できませんよね。
渡された資料に沿って淡々と進めるしかないのは仕方がないとは思います。




もう一度基本に戻りますが、
ミツカワは ライブ盤における編集は大歓迎 という立場です。


今回騒いでいるのは、
公式商品として
 自ら打ち立てたコンセプトに
  反したクレジットミスをしている
という点です。



そしてそれが当然のごとくウィキペディアなどの記載に反映され 既成事実化 していく…。



さらに深刻なことは、これは40周年の時にチラっと見たのですが、
肝心の公式自体がそのウィキペディアの記載を頼りに
企画を立てている節が見られる と言う点です。

意図せずマッチポンプ化している とでもいいましょうか…。

決して自分の(この重箱blogの)発言責任を軽視するわけではありませんが、
やはり 公式が出す情報というのはきちんと精査していただきたい と思う次第です。



ついつい固い口調になってしまいましたが、
ただそれも “過去の資料は無い” つまり
検証しようがない、と言い切られている現状 ではどうしようもありません。



しかもこの後、さらにミツカワの気持ちを
急速に萎えさせる出来事が起きました。



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このCDのリリース半年後、2022年7月29日に
「TM NETWORK – LIVE HISTORIA DX ~S selection」及び「~a selection」
タイトルと構成(注)を変え、ストリーミング配信が開始されたのですが、
(注)S盤とa盤でそれぞれ自社音源のみの収録に整理され、ちゃんぽん状態が解消された。



なんと配信バージョンでは表記が変わり、
月日及びツアー名は記載されなくなっていたのです!



つまりソニーが胸を張って語った
“純粋に単日のライブテイクを音源化” というコンセプトが見えなくなってしまった…。



CDと同じ演奏を比較してみると、このような感じです。

CD「LIVE HISTORIA T ~TM NETWORK Live Sound Collection 1984-2015~」

Be Together (1988年3月16日/代々木オリンピックプール/KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX)
Don't Let Me Cry (1987年6月24日/日本武道館/FANKS CRY-MAX)
Beyond The Time (1988年3月16日/代々木オリンピックプール/KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX)
                  ↓

ストリーミング配信「TM NETWORK – LIVE HISTORIA DX ~S selection」

Be Together (LIVE at 代々木オリンピックプール/1988年)
Don’t Let Me Cry (LIVE at 日本武道館/1987年)
Beyond The Time (LIVE at 代々木オリンピックプール/1988年)




なぜ、このように変わったのかは不明です。
各配信サイトでの曲名表記に 文字数制限 等があったのでしょうか?



しかし、こうなると読み取れる情報がかなり少なくなります。



1988年と言えば
「KISS JAPAN TOUR」「KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX」
「T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO」「CAROL TOUR」とあり、
この内、代々木オリンピックプールで行われたのは
「KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX」のみ、というところまでは限定できるものの、
3月14、15、16日の三公演のどれかということはわからない。


さらに言えばこの表記では
「Be Together」と「BEYOND THE TIME」が別日の演奏である可能性
も捨て切れなくなります。



問題はこの先…いや、既にこのエントリーを書いている2024年6月の時点で
このCDに興味を抱く人はおおかた購入を終えており、
今後は配信の方がメインになっていくであろう ということです。


そもそも企画内容から考えても、それほどCDの出荷枚数が多いとも思えないので
10年、20年先にはCDの方がほぼ入手困難になっている可能性は高いでしょう。
それ以前に、手に入れても再生機器を持っている人がどれだけいるでしょうか。




どうせ消えていく物なら、もうこのまま放置で良いかと…




いや、先に書いたような 高邁な理想からしたら完全に矛盾した考え ですが、
何しろこの4年近く、立っているより横になっている方が多いような生活
 (今もまだ抜け出したとは言い難い) で目も耳もはっきり機能しないような生活では、
はっきり言って その気力が持続しなかった というのが正直なところです。

まあそれでもこのエントリーを書いていることで
最低限の事はしようという気持ちが残っている事は認めていただきたい次第であり…


って、何書いてんだかよく分かんなくなってきたぞ?!



この問題、原因は非常にシンプル だと思うのですが、
シンプルゆえに状況を動かすにはなかなかのエネルギーが必要だとは感じています。

なので、このCD「LIVE HISTORIA」の件に関しては 調査続行 ということでお許し願いたい。



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で、このままだとこのCD企画をこき下ろしたままになってしまうので、
最後にミツカワの初期目的通り 役立った部分 も書いておこう。



まず

Beyond The Time
 (1988年3月16日/代々木オリンピックプール/KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX)

こちらのエントリー
『1988年3月16日代々木体育館の「BEYOND THE TIME」は2番頭で歌が入りそびれていた』と書いたが、その記憶は今回のCDで正解だったことが確定した。

となると「TMN COLOSSEUM」での修正素材となった、
2番頭の歌詞を間違えているライブ(注)
1988年4月4日/広島サンプラザホール公演である可能性が高くなってきた。
(注)夢という → 愛という



一方、ミツカワの間違いが分かったこともある。



Just One Victory
 (1989年8月29日/横浜アリーナ/CAMP FANKS!! '89)

こちらのエントリー最後で『メモリモーグぽい下降音が鳴っているのは何故?』と書いていたが、今回の (TMN COLOSSEUMに比べると) 味付けの薄いミックスを聴くと、
この下降音はショルダーキーボードのプレイ音だと分かる。
KX5のピッチボタンを連続的に押して、急に低音を出しただけ のようだ。

となると以前の検証では「CAROL TOUR」なのにメモリモーグが鳴るはずないよな?
という点が大きな疑問だったわけですが、これで晴れて
小室哲哉の手弾きパートに関しては「CAROL TOUR」のもの
と言い切れる状況が近づいたと言えるでしょう。




さて、意外な収穫だったのがこちら。

JEAN WAS LONELY
 (1992年4月12日/横浜アリーナ/TMN EXPO)

以前、提起した疑惑について要約すると、
  なんでクリックを聴かずに手弾きから始めて、
   後から入ってくる打ち込みの音とぴったり合わせられるんだ?
    実はこれ、最初の8小節は弾いてるふりしてるだけ じゃない?
というもの。

同じテイクが収録された映像商品「TMN EXPO ARENA FINAL」に比べ、
こちらのイントロは非常に “素の音むき出し” のミックスとなっている。

おかげで判別しやすいのだが、8小節間ずっと
ベロシティー(打鍵の強さ)は一定、ゲートタイム(各音符の長さ)も一定で、
木根氏が、というより 人間が弾いてるとは思えない音 である。

よって断定はしないが、
疑惑はますます深まった!
とは言えるだろう。(↑言ってみたかっただけ)


ちなみにミツカワが最初にこの疑惑を抱いたのは音楽的な観点ではなく、
サングラス氏の弾いている様子が
あまりにわざとらしく演技臭かったから である。






とにかくこのCD、1曲目の「Be Together」でいきなり疑問符がついてしまったので、
その後の曲はあまりしっかり聴いていないのだが、
それでもこの3点が分かったのは今回の企画があったからこそ
個人的に、とてもスッキリしました。


   ありがとう、ソニー & エイベックス!






それとちょっと面白かったのがコレ↓

THE POINT OF LOVERS' NIGHT
 (1991年2月22日/仙台イズミティ21/RHYTHM RED TMN TOUR)


イントロ途中で全員が小節数を間違えてますな。
全員が間違えたことで大事故には至らなかったというレアケース。

ただ打ち込みを極力排した RHYTHM RED TMN TOUR の中で、
よりによって打ち込みの入る希少曲 だったためシーケンスはズレてます。
 (おまけにアンコールのラスト曲)
このCDではミックスで誤魔化してますが、実際はもっと残念な出音だった可能性はあります。

なお、弾いてるVoice系フレーズが終わって1小節、妙な間が生まれた浅倉大介は
多分「あれ?」とは思ってるんだろうなと推察します。



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さて今後の予定としては、
別商品の某曲イントロについて だけ をがっつりねっとりと語るつもりですが、
その前に、なんでミツカワはこんな細かいことにいちいちガタガタ言っているんだ?
という点は意外と重要だと思っているので、そこを説明させていただくつもりです。

また以前のエントリーに判明した間違い、及び新発見は赤字で随時追記しております。
今回はこちらこちらに追記致しました。
赤字をたどってお読みください。




んじゃ、また!




2020年6月21日日曜日

「グリニッジの光を離れて」クレジットミスの指摘に至る経緯について


どうも。

昨年、出演したnet番組をご覧になった方から
重箱blogに書かれていた通り本当にずーっと喋り続ける方なんですね!」
というメッセージをいただいたミツカワです。

わざわざ貴重な時間を削って御視聴いただき、誠にありがとうございました。



      ただ…


         感想、そこかよ?!





CDの宣伝をするはずが、何故か『老眼』について熱く語り続けたミツカワ。
いい加減、フリートークの “フリー” が
  ほんとにフリーじゃいけない ことに気付くべきであろう。





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さて今回は通常の内容とは異なり、
2020年3月にリリースされた “TM NETWORK デビュー時に制作された未発表曲”
「グリニッジの光を離れて」で起こった
 作曲者クレジットのミス。

この間違いを ミツカワが発売元に指摘するに至った 経緯を纏めておきます。
























と言いますのも、この件の公式発表 (【お詫び】3/18発売 TM NETWORK「Gift from Fanks T」の作曲者表記訂正とブックレット交換のお知らせ)が出て以降、
ミツカワのもとには大量のメッセージをいただいておりまして、
皆様一様に「よくやった」と褒めていただくのですが、
実際のところ 自分は大した事をしておらず、
他の方々の尽力によるところが大きい ので、
面映ゆい というか、ばつが悪い というか…。


そこで 協力いただいた方への感謝 と自分の近況報告も含め、
このエントリーを執筆しようと思った次第です。
  (現在までにいただいたメッセージには必ずお返事いたします。
   ただ、とても手の追いつかない状態ですので、いましばらくお待ちください)





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今回の主役である未発表曲「グリニッジの光を離れて」が Bonus Track として収録された
ベストアルバム「Gift from Fanks T」



ただ、ミツカワはこのCDをリリース日の時点では購入しておらず、
この重箱blogでも度々お世話になっているコレクターの GAUZE氏 が聴かせてくれました。
(ちなみにこの時点で彼は当たり前のように 同CDを複数枚購入 していましたが、
 もはや突っ込む気になれませんでした)


この時の様子を正確に記すと、先に「作曲/小室哲哉」と記されたライナー を見せてもらい、
そのうえで聴かせてもらいました。
つまりクレジット情報を知ってから曲を聴いたわけです。

まず最初の感想としては「いい曲だなぁ」とか「好みじゃないなぁ」とかではなく、
ただただ「困惑した」というのが正直なところでした。

どこをどう聴いても、自分が長年聴いてきた
「小室哲哉の作るメロディー」の片鱗も感じない からです。




→ 「小室っぽい」ってなんだろう? その1
→ 「小室っぽい」ってなんだろう? その2




もちろん TM NETWORK デビューにあたり、
小室氏がそれまでと違う作風を模索していたという話は知っていましたが、
今、プレイヤーから再生されているそれは
“作風の違い”というニュアンスでは収まらない ように思えました。



この重箱blogで何度も書いたとおり、自分はあくまで
“スタッフを含めたプロジェクトとしての TM NETWORK” のファン でしかないので、
90年代以降のいわゆるTK時代を全く知りません。

そのため、この重箱blogを読んでくださる方々に比べると
「小室メロディー」を聴いた数はかなり少ないはずですが、
それでも「これは違う」と即座に結論付けた のは、同時にもう一つ別の印象を受けた為です。




→ 歌いだしから最後まで濃厚な木根メロディーだなぁ。




普段ミツカワはライナーをほとんど見ないので、もしその時点で自分が購入したCDだったら
「グリニッジの光を離れて」= 作曲/木根尚登 と認識したままだったと思います。
この時はたまたまGAUZE氏にライナーを手渡されたため、目を通し違和感が生じたわけです。




ここで重要なのは、
・小室哲哉作曲ではない → だから木根尚登作曲である
という 消去法ではなく、

・小室哲哉メロディーではない
・木根尚登メロディーである

という 独立した2つの印象 が同時に生まれたという点。





というわけで一聴した時点で 自分の中の結論は出てしまった わけですが、
だがしかし、そこにはオフィシャルとして「作曲/小室哲哉」と書かれたライナーという
大きな硬い壁が立ちはだかっている わけです。
これをどう解釈すべきか、というのが先に書いた「困惑」の中身でした。



ただ困惑しつつも、せっかくGAUZE氏が聴かせてくれているわけですから
その場で何かしらの感想を言わなくてはいけない…。
とっさに頭に浮かんだ可能性は2つ でした。



1つはそのものズバリ、作曲者クレジットが間違っている ということ。
でも瑣末な内容ならともかく、オフィシャル商品でそんなことありえるんでしょうか?



もう1つ考えられる可能性は…
自分はGAUZE氏にこう伝えました。


 「この、今聴いている曲が本当に「グリニッジの光を離れて」という曲なのか
     俺達には判断つかないよね?
  多分これをそのまま「悲しき16歳(注)」として聴されても信じちゃう気がする。」

   (注)「グリニッジ〜」と同じくデビューにあたり準備されていた曲。
       ただし正式なレコーディングには至っていない模様。


つまり「グリニッジ〜」が小室哲哉作曲であるのは間違いないが、
そもそもこの曲が「グリニッジ〜」ではない という可能性です。

歌詞が直接的に

 ♫〜 O.K. Gyuhhh!
    gグぅリニッジのぅ光ぅおーーふぁーぬあーれーてーーーーーーーっ!!
     TM ネットワーク Dameーーーー!!!

とかでない以上、ギリギリ成り立つ理屈 ではあります。
(ほんとにこんな歌詞だったら永遠に未発表であってほしいと思いますが)



たださすがにそこまで なんて素敵にジャパネスク (Don't think, feel.) なことが、
そうそう起こるとも思えませんので、これも笑い話として流れていきました。




ただし、ここでの与太話が後に繋がる こととなります。





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この件に関してミツカワのパートは、これでほぼ終了です。

どんなに確固たる自信があっても、この時点では 単なる印象論 です。
社会的には「個人の感想です」以上のものではありません。
さすがにこれだけで発売元に直接問い合わせるという発想は 全くありませんでした。



しかしだからといって、いつものように
裏付けを取るべく力を尽くすこともありませんでした。



というのも、ちょうどこの時期、
新型肺炎流行の影響により、自身の音楽活動が焼け野原になり始めたためです。
フリーランスにとってトラブルなど日常茶飯事 ではありますが、
今回は生まれつきの自分の障害や近年の体質などにピンポイントで直撃しており、
他の方と同じレベルの捉え方をするわけにはいきません。
医師にも強く釘を刺され、自分の人生そのものが崩れていくような感覚にとらわれていました。



ですので、正直に言って (たとえTMであろうが)
他の事を気にするような余裕はありません でした。



本当に、自分としては その日その場所で終わった話 でした。





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そして4月。


家に篭って、日々悪化していく状況に対応するため
リスケジュールを繰り返すだけの簡単なお仕事に没頭し、
「グリニッジの光を離れて」どころか TM NETWORK すら一切聴きませんでした。
(「Tomorrow Made New」は “TM NETWORK” ではないので セーフ という法の抜け穴 )



ここ数年、免疫の低下から入退院を繰り返している自分にとって、
気分が落ち込むことも危ない ので、
毎日 タイムボカンの曲を歌って 英気を養っていました。(完全実話)



   フニャーとめげてる場合じゃないよね!




 “シビビーン” とは、もともと関根勤のネタ。
  曲の制作にあたり、ちゃんと許可を…

            …って、そんな情報いらんか。





     ソニーへの道は遥かに遠い…。
                  (BGM / PALE SHELTER)






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しかし 2ヶ月近く経った 5月中旬、突然この話は再起動します。


こちらも当重箱blogでたびたびお世話になっている「TMN通史」
青い惑星の愚か者氏 (以下、惑星氏) から連絡が入ったのです。

その時点では、彼とこの件を話した事はありませんでしたので少し驚きました。
どうやら自分の知らないところで、GAUZE氏から
「ミツカワがこんなこと言ってた」と伝わっていたそうなのです。

そこで気になった惑星氏がなんと
ヒントとなる資料を探し出してくれた とのこと!



凄ぇーーーーーっ!!
I love metal  ーーーーーっ!!(←まだ引きずっている)





送られてきた資料は2000年頃放送されていた TM NETWORK のラジオ番組
『サークルK Presents BEAT CLUB "それ行け!TM Network"』の書き起こしTextでした。

それによると2000年9月14日に放送された回ではトークテーマの1つとして
「TMの未発表曲」が採りあげられたそうです。
全体的にラジオ特有のゆるい雑談まじりの会話ですので、核心部分のみ書き記します。




(K=木根氏 U=宇都宮氏)

K:「特に俺の曲、2曲ぐらいボツにされたヤツあんだよ。1枚目で。」
U:「(笑) うん。なんか、あったね。」
K:「あのね。」
U:「うん。『フィービ』って曲(爆笑)」
ー中略ー
U:「あれ似合わないよ、やっぱ。今、聴いてもね、違うと思うな。」
K:「まだ、1枚目だし。試行錯誤でな。イロイロあったからな。」


確かに番組中では「グリニッジ〜」というタイトルは語られていませんが、
非常に注目すべき発言 なのは間違いありません。





ここでようやく (完全に他力ですが) 
ミツカワの重箱スイッチが入りました!





これを足がかりに他の記録を漁ると、この部分は単なるトークではなく
2人が メロディーをつけハモった そうです。

ですが、ミツカワも惑星氏もこのラジオを実際に聞いたわけではなく、
手元にあるのはあくまで書き起こしでしかないため、
それが どんなメロディーだったのかは分かりません。

ただ2000年の放送なので (TM NETWORKの歴史としては) わりと最近です。
エアチェックした人は多いでしょう。

通常なら、次はこの放送の音源を所持している人を探し、
該当部分のメロディーを確認させてもらうという手順を踏むべきですが、
今回は この書き起こしの文面だけで決定的な証拠となり得る とミツカワは判断しました。
(そもそも 本当にその日の放送でこんな会話があったのか?
 という点は、別方面からしっかり確認しましたが)



その理由として



1) “フィービ” という特徴的な人名が入る未発表曲が他にも存在しているとは考えにくい。
  (1st Albumには別曲にも “フィービー” という人名が出てきますが、
   総体として特徴的なことには変わりはありません)


2) 作者の木根氏ではなく宇都宮氏から率先してそのキーワードをあげている。


3) この時点で20年後にその曲がリリースされるとは本人達も知らないわけで、
  それだけにポジショントークに陥らず、事実をそのまま話している可能性が高い。



などが挙げられます。



この内、特に 2) は重要 だと考えます。

木根氏の発した “俺の曲” という前フリだけで
宇都宮氏が「フィービ」というキーワードで答えたということは、つまり
「フィービ」なるキーワードを含む未発表曲 = 木根尚登作曲
 であるとのコンセンサスが2人の間にある という事です。
(このCDが制作される際に本人確認が行われなかった、ということでもあります)




なおクレジット問題とは直接関係はありませんが、惑星氏によると
 -tribute LIVE- SPIN OFF from TM 2007 のリハーサル中に、
宇都宮氏が突然ふざけて「懐かしい曲を1曲… グリニッジ!」と言い出し、
唯一そのセリフに反応した木根氏が演奏を始めようとするも手が追いつかず悔しがる…
という場面があったそうです。


先のラジオ発言のニュアンスと合わせて見ると、
2人の間でこの曲は一種の ネタ扱い になっていたようですね。





閑話休題。


さあ、それまで自分の印象論でしかなかったものが
途端に形を持ち始めました。
次のステップとして、多少勇み足ですが
発売元の ソニー・ミュージックに連絡をつける こととしました。


 ↓ その時、やりとりしたミツカワのDM。5月10日ですね。

















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ここでちょっと話がずれますが、このエントリーを書いたもう一つの動機として
皆様へのお願い があります。


SNSの時代となり特定の対象とファンの距離が近くなったと言われます。
ミツカワ自身は 客観的な視点を保つため、
そういう対象やコミュニティーとは距離を取るように努めていますが
(以前、小泉洋氏のインタビュー を行った際、
この件に関してだけは一線を越えると書いた のはそういう意味です)
直接触れ合えることに価値を見いだすファンの気持ちも分からなくはありません。



ただアーティストとファンが直接つながることによってそこでサイクルが完結しがちになり、
レコード会社にファンの声が届きにくくなっているのではないか という懸念を持っています。



欲望丸出し になるので多少自重しつつ話しますが、
未発表の音源やライブ映像等を管理し、リリースする企画を承認 → 実行に移すのは、
あくまでレコード会社です。

そして私達が思っている以上に、レコード会社はファンの生声を気にしています。
(昔はレコードなどに感想を送る葉書が入っていましたよね)
ぜひアーティストだけではなくレコード会社にも感想や要望などを伝えてほしいと思います。





別の言い方をすると、現状に満足せず
もっと貪欲になってほしい とも思います。
とにかく TM NETWORKの商品展開 (特にライブ関連) は偏りがありすぎ
その実態が隠れたままになっていますので。





ここまで書いて思い出したので、余談ついでに一例をあげておきます。
EXPO tour の舞台中央にある透明な扉 ありますよね?




























あれ、コンサートの最終盤 (自分が観た日だと「We Love The Earth」) で
全部が独立してぐるぐる回りだし 照明を反射させて巨大なミラーボールみたいになるんですよ。
このツアーでのかなり印象的な場面なんですが
EXPO tour 自体が全く商品化されていない ので、
今となっては見る術がないんですよね。





このような事例が多すぎて
自分の思い出の中にあるTM NETWORKと現在触れられるTM NETWORKの落差が辛いんです。


もう一度書きます。
        ほんと辛いんです。


というわけで、SNSで完結せずレコード会社にも積極的に意見や感想を届けようね!
という提案でした。
長々と書き連ねましたが、つまりこういうことです。




      エピックソニー・イェー!!




—————————





というわけで、この件もSNSを使った方が簡単に解決したかもしれませんが、
(あるいはレコーディングに参加していた小泉洋氏に尋ねるという手もありましたが)
やはり ここは筋論として 商品開発をしたソニー・ミュージックの門を叩くことにしました。



が、世は新型肺炎流行による非常事態宣言下。
当然と言えば当然ですが、ソニー・ミュージックの電話窓口は閉鎖となっており、
一旦、様子を見ることとなります。


メール窓口は開いていたんですけどね…。


白状すると自分、ものすごい筆無精 なんですよ。
なので、なるべく直接会話して話を終わらせたかったんです。


え?筆無精ってお前、
毎回この 長文ダラダラ垂れ流しブログ 書いてるじゃないか!って?


いや、実はこの重箱blogもiPadに向かって 喋って入力してる んです。
というかむしろ、iOSに音声入力がついたからブログを始めたというレベルです。


♫〜 想像してごらん。
     独りぼっちの部屋で重箱blogの内容を淡々と音声入力しているミツカワを〜
      唄 / ジョン レノン


がその後、非常事態宣言が解除となっても電話受付は閉鎖のままでしたので、
ここは 観念して メールで連絡を取ることとしました。






ここからは拍子抜けするほど、とんとん拍子でした。






上記の通り、論拠としては『自分の印象 + 過去のラジオでの発言』となるわけですが、
窓口となる方 (しかも在宅勤務) いきなり細かいことを話しても伝わらない と思い、
最初のメールでは大掴みに、

・この曲の作曲者クレジットは間違いないでしょうか?
・同グループの木根氏作曲ではないですか?

とだけしたためて送りました。


やり取りする中で、ラジオでのやりとり等の詳細を伝えればいいと考えていたのですが、
先方からは「早速、担当部署に伝え調査させます」との返事が来て、
正直なところ、少し拍子抜けしました。


もちろんこの状況下ですので、調査にもある程度時間がかかるとは思いましたが、
その間も窓口の方から丁寧に現在の状況を伝えていただき、
こちらとしては本当に ただ待ってるだけ で充分でした。


今考えてみれば、権利関係の根幹に関わる部分なので、
調査そのものよりジャスラックを始めとした登録の修正や、
ブックレット交換の手続きを整えることに時間がかかっていたのではと思います。





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以上が「グリニッジの光を離れて」ミスクレジット指摘のあらましです。
今回、ミツカワがしたことはほとんどありません。

ミツカワの与太話を GAUZE氏が惑星氏に繋いでくれたおかげ であり、
その話を受け止め、論拠となる資料を探し出してくれた惑星氏のおかげ です。

もし、どちらかが1つでも欠けていたら、
ミツカワはいつまでも解けないパズルを抱え続けていたでしょう。




    両氏には改めて感謝いたします。





今後、クレジットが修正されたことで木根氏に入る印税が少しでも増え、
彼が新しいサングラスを買えるといいですね。





おしまい。





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さて今後のミツカワですが、重症化しやすい自分の体を考えると、
確固たる治療法が確立するまでは、現在の活動を諦めざるをえません。

野外イベントに振切った生活をしていたため、なかなか頭の切り替えができないでおりますが、
今の状況でできるプロジェクトを構想中です。



最後に供養としてこれを置いておきます。
姉妹曲として作った2曲をつなげたものです。

以前、プロモーション資料として作成したものですが、
今後使用する機会もないので、ここだけでひっそりと公開します。
楽しんでいただければ幸いです。






以上、「Tomorrow Made New」と「Kiss You」と「Maria Club」の
三密状態を回避できない ミツカワでした。



んじゃ、また。





2018年3月25日日曜日

ミツカワの・第7回・小ネタ☆スペシャル



実は売れていたのは「Get Wild」ではなく
「Fighting (君のファイティング)」だったんだよ!!

な、なんだってー?!





えー、お久しぶりです。

かつて "意識を失うその瞬間まで喋り続ける男" と呼ばれたミツカワ。
今年(2018年)頭から、シンガーソングライターでボーカル講師などもなさっている
結奈さん「ぎゃおすたじお」にしゃべくり要因として呼んでいただいております

"ひたすらゆるく" がコンセプトだそうですが、
ちゃんと真面目に演奏もしてます
ので楽しんでいただけたらと存じます。(知らん曲ばかりやけどな!!)


お悩み解決編はこちら ⇨ ぎゃおすたじお!8《桜/河口恭吾》



で、動画の中でも触れていますが、
一昨年あたりから菌やウイルス関連で入退院を繰り返すこととなってしまい、
公私ともにスケジュールがガタガタになっております。

本来ならこの「重箱」をしっかり閉じてから自分の音楽活動へと邁進する予定でいましたが、
ご覧のように今田みかん…いや、未だ未完。

これ以上引っ張っているとホントに放置になってしまうので、変則的ではありますが、
当初予定していた小ネタスペシャルを
"書き上がった順に1本ずつ随時アップ" し、
小ネタ3本 × 2本のエントリーにて "重箱のつつき終わり" とさせていただきます。



それもいつになることかわかりませんが、
とにかくまだ『ネット上に書き残しておきたいネタ』はたくさんあるので、
あと少しお付き合いいただければと思います。

m(_ _)m


2018年5月4日 (小ネタ No.07-2)[第3の女] 追加しました。









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(小ネタ No.07-1)
[第4の男]


以前、こちらのエントリーで 1987年11月〜1988年2月に行われた
「Kiss Japan Tour(ホールツアー)」 = 未商品化 未商品化 未商品化 …
の一部の曲において、
ベーシスト日詰昭一郎が手弾きでシンセベースをプレイしたことを採り上げた。
そこから浅倉大介や小室哲哉などのシンセベース・プレイも採り上げたのだが、
手弾きシンセベースといえば、一番レアな人物にまだ触れていなかった




それは誰あろう 宇都宮隆・その人である。




これは 1990年12月〜1991年3月に行われた「RHYTHM RED TMN Tour」でのこと

彼のプレイがツアースタート時点から行われていたかは定かでは無い。
少なくともツアーに先立って行われた公開リハーサル
「The Formation Lap」ではそのような演出はなかった

しかしツアー全40本中9本目にあたる
1990年12月25日 北海道厚生年金会館 2daysの初日には 既に行われている ので、
かなり早い段階から行われていた事は確かだ。
(ただし、それ以降毎回行われていたのかは不明)




彼がシンセベースを弾く曲は
「WORLD'S END」
その長いイントロ部分でのことだ。




細かく見ていこう。

まず、当ツアーにおける本来のシンセベース担当は、ご存知の通り浅倉大介である。
よってシンセベースを弾く=浅倉ブースに入る、ということになるわけだが、
しかしこのツアーでの浅倉ブースは、相変わらずド派手な小室ブースの後ろにあり、
正直言ってあまり目立たない。

それもあってか、残念ながら
"浅倉ブースでシンセベースを演奏する宇都宮隆" の画像などは見つけられなかった。 





しかしツアー途中、状況は一変する。

1991年2月19日 仙台市泉文化創造センター
 = 通称「イズミティ21」公演から演出の一環として、
小室ブースに主がいない時は、
そちらに浅倉大介が移動して弾く ことになった。

とはいえ両ブースの鍵盤(EOS)は単なるコントローラーで、
肝心の音源への接続先はお互いのブースで異なるため、それほど簡単な話ではない
それなりの前準備は必要であり、この設定変更には、
シンクラビア・オペレーターとして参加していた秋葉淳も駆り出されたという。


イズミティ21は4日間も公演が行われる
(因みに「CAROL TOUR」の時は7日間公演!!)にもかかわらず、
ツアー中唯一の "2階席のないホール" だそうで、
客席から浅倉ブースが見えづらいことが予想できたことも、
この変更に関係しているかもしれない。

また、目の前に近づいていたアリーナ公演(大阪・東京・名古屋)の
ステージ規模への対応という側面も考えられる。
(アリーナ公演からセットリストに入った
「RHYTHM RED BEAT BLACK -version 2.0-」のリハーサルもこのあたりから始まっている)






で、問題の「WORLD'S END」

小室哲哉は曲頭からブースを出て、ステージ前方にてオルガンをプレイしている。
ここで空になった小室ブースに浅倉大介が移動してシンセベースを弾くのだが、
ということはつまり、この日からは
宇都宮隆も小室ブースで演奏する ということになる。

先の浅倉ブースと比べてこれはかなり目立ったはずだが、
あまりこの話題に触れる人はいない。
なにしろ代々木体育館に3日間通った (通う羽目になった) ミツカワですら、
『はて、そんなことあったっけ?』と思う程度だ。








     しかしこのウツベース、かなりのレアケースではあるものの、
   実は誰でも確認することができる。







彼の "犯行" が収められているのは DVD「RHYTHM RED LIVE WORLD'S END」
その「 II 」側に収録されている「WORLD'S END」を観てみよう。
最初はイメージ映像が続き、バンドが in してからようやくライブ映像となる。

このライブ映像になった瞬間、カメラは小室哲哉を真ん中に捉えているが、その左後ろ。
ドラムと小室ブースの間に宇都宮隆が腰掛けている。
ここで宇都宮の右手に注目すると、
なんと鍵盤の横?(反対側?)から
シンセベースを演奏しているのだ!

しかも演奏しながらドラムの阿部薫と顔を見合わせ笑っている。


























この部分、静止画では分かりにくいが動画なら一目瞭然だ。
是非、お手元のDVDで確認していただきたい。







ではこの時、浅倉大介はどこで何をしているのか?


カットが変わり、ステージ上手から葛城哲哉&木根尚登のギターコンビを捉えた映像となるが、
ここでも画面奥に小室ブースが映っていて、その様子が分かる。

相変わらず宇都宮隆の右手は鍵盤を抑え、その動きに合わせシンセベースが聴こえてくる。
そのさらに奥に浅倉大介も確認出来るのだが、
彼は曲に合わせ手を叩いているだけで、鍵盤には触れていない。

つまりこの部分のシンセベースは宇都宮隆が弾いているのだ。































さて、いくら演出上の余興とはいえ、しっかりとしたバンド演奏の中で
いきなり宇都宮隆が鍵盤をプレイ出来るのか?
という疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。

タネを明かすと、この「WORLD'S END」イントロ部分はコードが動かない、
いわゆる一発コードなのである。
なので演奏とは言っても宇都宮隆が実際に弾いている鍵盤はただひとつ。
同じ鍵盤を延々と叩いているだけ なのだ。
映像を見ているとコードが動き出す瞬間から、浅倉大介にバトンタッチしている。

ひとつの鍵盤を叩くだけなら経験者でなくとも可能だろう。
とはいえ リズム感は必要 なわけで "演奏" であることにはかわりない。











なお、当時 Epic Sony が製作していたTV番組「eZ」では、
1991年3月と5月に、それぞれ仙台公演と東京公演の模様を一部放送している。
収録会場が異なるにもかかわらず、
その両方とも「WORLD'S END」を採りあげているのが面白い。

この内、仙台公演の「WORLD'S END」は長らく商品化されていなかったが、
現在では DVD「TM NETWORK THE MOVIE 1984~」の
ボーナストラックとして収録されている。
TV放映時に被っていた告知テロップなどが外され、さらに見やすくなっており、
むしろこれのために購入しても良いだろう。




問題は、もうひとつの東京公演の方だ。
(こちらは未だ、未商品化)



代々木公演ということで、
DVD「RHYTHM RED LIVE WORLD'S END」の「 II 」側と同内容と思いきや、
TV放映版はDVDのようなイメージ映像が被らず、
純粋なライブ映像となっている。
そのため僅かではあるがDVDでは分からない部分を確認することができる



























そこでは小室哲哉のオルガン独奏時には舞台からはけていた宇都宮隆が、
バンド演奏スタートとともに上手側から登場し、小室ブースに向かう様子が捉えられている。






























余談だが、このTV放映版では葛城哲哉が
自身の弾くギターフレーズに合わせ表情を作る様子が捉えられていて、
これが非常にかっこいい。
ミツカワ的には全 RHYTHM RED 映像の中で、これこそがベストショットだと思っている。



















































やはりライブ映像は変にイメージ映像などを加えず、そのまま商品化してもらいたいものだ。
まぁこれを言ってしまうと TMのビデオ全否定 になっちゃうんですけどね…。






どちらにせよ、宇都宮隆がシンセベースを弾くというのはかなりのレアケースである。
さらに彼はご存知の通り、その後のEXPOツアーでは弦のベースを弾いているわけで、
つまり TM のステージで弦のベースとシンセベース、両方をプレイしたことがあるのは
日詰昭一郎と宇都宮隆だけということになるのだ!?









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(小ネタ No.07-2)
[第3の女]



さて、ここではキャロルを数える。
キャロルを演じた役者は何人いるのか?というネタ。
なお、ここでは30周年での "後付け" や、アニメーションなど 増殖後 は考えない。
採り上げるのはあくまで1988年、
アルバム「CAROL」発売前後のTMライブでキャロルを演じた役者 に絞る。



となると、賢明なファンの方々には簡単な話だろう。
一緒に数えていこう。




まず パニーラ・ダルストランド (Irma Pernilla Dahlstrand)






















彼女は説明不要だろう。
長期に渡った「CAROL TOUR」〜「CAMP FANKS!! '89」まで、
キャロル役をひとりで演じ切った "本家本元キャロル" だ。






次に パメラ・レニイ・アルトフ (Pamela Lynn Altoff)































「CAROL TOUR」に半年先立ち行われた、TM初の東京ドーム公演
「STARCAMP TOKYO」での「CAROL」予告編にて
キャロルを演じた "初代キャロル" である。

先のパニーラとは異なり、彼女はここから最後まで出ずっぱりで、
歌にダンスにと大活躍 だった。























ミツカワの「STARCAMP TOKYO」の記憶は 大雨と、このパメラ だ。



因みに TMのコンサートで
キーボードを弾いた女性は彼女だけ である。


          (当て振りくさいが)





            以上!結論は2名でした。














ちょっと待ったーーーーーーっ!!


皆さん、もう1人お忘れではないですか?
それがこの、、、この、、、

 あれ? 名前が分からない?!

えーっと、とにかく
「CAROL TOUR」の
 オープニングフィルムに登場する彼女 である。
























どう見てもパニーラじゃない。
どちらかといえばパメラに似ているが、でもやっぱり パメラでもない (よね?)





         じゃあ、誰?





この人物、1988年末に放送されたエピックソニー制作のテレビプログラム
「eZ 4DAYS」で披露された「COME ON EVERYBODY」の導入部にも登場している。
 (DVD「DECADE」では該当部分はカットされ、いきなり演奏部分から始まる)

「eZ」内で顔は映らないが 衣装や髪型、背景のセットが同じ ことから、
同一人物と見て間違いなかろう。

























































ツアーのオープニングフィルムにクレジットはないため、彼女が何者か解らない。




そもそも腑に落ちないのは、
何故、ツアーのオープニングフィルムに
パニーラを起用しなかったのか? ということだ。

特に「CAMP FANKS!! '89」においては、幕が開いた途端、
先程の 大写しになっていた人物とは別人が出てきてキャロルを名乗る のは
なんとも釈然としなかった 覚えがある。




もっとも件の女性が キャロル (キャロル役) ではない という可能性も無くはないが、
だったら余計にコンサートのオープニングで主役扱いされていた
あんたはいったい誰なんだ?! ということになる。

というわけで、この3人目の女性についてご存知の方は情報をお寄せください。








おまけ
TBSの神津アナはキャロルを名乗ったわけではないのでノーカウント。


































誰もカウントしないか…。







See you next 小ネタ.