2015年6月9日火曜日

【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その2


この記事は前回からの続きとなります。
まず、こちらからお読みください。

・【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その1


     (前回分)
     はじめに
  1:スピード・ウェイとはなにか?
  2:デビュー直前での路線変更

     (今回分)
  3:ちぐはぐな頭と体
  4:外圧







3:ちぐはぐな頭と体


ところがこの判断は、大きな問題の種も産みました。

パソコンや当時最先端のMIDIといった高度に専門化されたシステムが前に出ることにより、
正規メンバーのはずの木根氏に手が出せなくなってしまったのです。


「ファンの皆さんもご承知だと思うけど、結局「RAINBOW RAINBOW」の音に対して
 一番浮いちゃってたのが木根なんだよね。彼はそんなに曲数が書けるわけでもないし、
 レコーディングが始まったらやることなくなっちゃって…。
 おまけにレコードだけじゃなくてライブでもどうしようって話しになっちゃって、
 じゃあギター持って立たせとけば?って」(小泉氏談)




しかしこれは、木根氏だけの問題ではありません。
むしろ自分が気になるのは、もう1人の正規メンバーのはずである宇都宮氏の方です。




氏は TM NETWORK を始めるに当たって、8ビートのロックスタイルだった
スピード・ウェイから、80年代当時の先端スタイルであった16ビートに対応するため、
歌唱スタイルの変更を余儀無くさせられます。
「クロコダイル・ラップ」のラップ部分などが顕著です。


また16ビートだけではなく8ビートの曲でも、
スピード・ウェイ時代の古い "ロケンロールスタイル” を捨て、
16ビートを経過した8ビートを習得しようとしています。

例えば「1974」の歌い出しの赤字部分。

    ♫~ 夜の丘に車とめてひとり Feeling Breeze

先にレコーディングされたアルバム・バージョンでは、
巻き舌でずり下がるようなルーズな歌い方をしていますが、
数ヶ月後、再レコーディングされたシングル・バージョンでは、
譜面通りに一音一音、きちっと歯切れよく歌っています。

後者の歌い方こそ、我々の知る "TM NETWORKの宇都宮隆” にほかなりません。

その他、小室氏の特徴的な前置きのない転調への対応。
またフロントマンとしてのライブパフォーマンスについても
このあと数年、試行錯誤することとなります。





こう見ると結果的に、小室氏がバンドの構想に適した2人を引き抜いたのではなく、
2人の方が引き抜かれてからバンドのスタイルを身に着けようとしていることになります。
これはとても珍しい…と言えば聞こえはいいですが、
はっきり言って無計画極まりない話です。

特に宇都宮氏に関しては、歌い方もパフォーマンスも作り替えるなら、
何のためにスピード・ウェイを崩壊に導いてまで引き抜いたのか?

結局のところデビューへのタイムリミットが迫る中、
本来予定していたオーストラリア人のボーカルに問題が生じ、
もう、あてになるのは気心の知れた宇都宮氏しかいなかった、
ということだったのかもしれません。




おそらく小室氏の初期の構想では、そこまでズレのある選択ではなかったはずが、
結成後~デビューまでの間に路線変更が行われたため、
このような状況になったのではないでしょうか。

初期のインタビューで、
"自分ひとりでアーティストとプロデューサーを兼ねることの利点" を問われた小室氏は
「決定に至るまで自分の中で何度も迷っていても、黙っていれば誰にも気づかれない」
と語っています。

とにかく自分がいればなんとかなる。

どうもこの時期の小室氏はまとめ役(プロデューサー)としての自分の能力を、
過信していたきらいがあります。







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4:外圧


一方、小泉氏は当インタビューの通り『恐怖の三日間』を乗り越えて以降、
その存在を確固としたものにしていきます。

特にパソコンを中核とするシステムに関してはご本人のおっしゃる通り、
レコーディングでもライブでも『小泉に分からない事は誰にも分からない』
というような状況であり、レコーディングの取り組みからライブの段取りまで
『小室ー小泉ライン』で物事が決まっていく、ある意味当然の流れが生まれます。

当時の重厚長大な機材の存在感は、
初の全国ツアー「Dragon The Festival tour」の曲順や演出が、
サンプラーのロード時間の都合から決められていたというエピソードからも明らかです。




このような状況でしたので、1984年末の時点で
小室氏としては小泉氏を正式メンバーとして迎えるつもりがあったようです。
この意向は小室氏の後ろ盾であった、ジュンアンドケイ音楽出版の松村慶子氏にも
通じており、了解を得ていたとのこと。

当時の制作実態を見れば、これは自然な流れといえるでしょう。
小泉氏の役割が単なるサポートの領域を超えていたことは、
当インタビューをお読みくださった方にはお分かりいただけると思います。






     しかしこの流れに大きく異論を挟む、もう1つの流れがありました。
          当時の TM NETWORK の所属事務所です。





もちろん自分にはその真意はわかりません。
しかしここは公平を期するため、あくまで推測となりますが、
小泉氏に伺ったお話を元に、事務所側の立場から考えてみましょう。


TM NETWORK の所属事務所は元々、スピード・ウェイの人脈、
さらに言えば木根氏の友人によって作られていたわけです。

おそらく事務所側が望んだ TM NETWORK の形とは
『スピード・ウェイのリベンジプロジェクト』だったのでしょう。

事務所側も一歩間違えれば道連れにされる覚悟でメンバーのラストチャンスに賭け、
熱い想いで日々の仕事に取り組んでいたはずです。



しかし、いざ活動が始まってみると音楽活動の根幹は、
小室哲哉と、小室哲哉の連れてきた小泉洋という
『(小泉氏いわく)ポッと出のよく分からない男』とのラインで動いていきます。

これは先に書いた、デビュー直前の路線変更に起因するわけですが、
この状況を『TMのリーダーは小室。サブリーダーは小泉』と揶揄する人もいたそうです。

結果、レコーディングが始まると木根・宇都宮両氏にはすることが無く、
蚊帳の外から見守る、という状況になっていたわけです。
木根氏の回顧にも「延々と続く打ち込み作業を、ひたすら待っていた」
ということが書かれています。





さらに加えて、これは小泉氏には関係のない話ですが、
自分には、もうひとつ気にかかることがあります。

レコード会社から木根氏を『宣伝上は外す』と宣告されたことです。

今はもう笑い話として処理していますが、
普通ならこれをきっかけに解散となってもおかしくないレベルの異常な話です。

そのため6月に行われたデビューライブでは、観客から
「TM NETWORK は2人のはずなのに、なんで3人いるのか?
 あのサングラスの人はメンバーなのかサポートなのか?」
という問い合わせがあったといいます。

また自分もTMデビュー直後の小さな紹介記事に
『TM NETWORK は、小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登による "デュオ”グループ』
という頭を抱えたくなるような一文があったのを憶えています。



小室氏も語っているように木根氏は当時、スピードウェイにおけるゴタゴタで
かなり疲弊していたのだと思います。
そのため大抵の事は飲むつもりでこのラストチャンスに臨んでいたのでしょう。

しかし普通に考えれば、はらわたが煮え繰りかえってもおかしくない話です。
愚痴をこぼすこともあったかもしれません。

これは横で見ている事務所、ましてや旧友としては
許しがたい思いもあったのではないでしょうか。
ましてや、ついこの間までは長年続いたバンドのリーダーだった人間です。





結局この事務所からの横槍は、存在感の大きくなる一方の小泉氏と、
その裏で存在感の確立に苦慮している木根氏、
という事態に危機感を抱いたものだと思われます。

インタビュー時、小泉氏に
「そういう "外圧" はいつごろから感じられるようになりましたか?」と伺ったところ
「俺が気になり始めたのは2ndのレコーディング途中、いや終わった頃ぐらいかな?」
とお答えになりました。

「実際にはもっと早い時期からあったんだろうけど、
 とにかく1年目はもうそんなことかまってられるような余裕なかったからね、俺にも。
 とにかく日々押し寄せてくる技術革新と戦うのが精一杯で」





この『横槍』に関しては、小泉氏のおっしゃるとおり
“いまさら" ということでもありますので、詳しく書くことは控えさせていただきます。

ただ、これは小泉氏をかなり疲弊させたということだけは、はっきりさせておきます。

「最初は俺も反発したけどね。お互い若いということもあったし…。
 でも、だんだんおとなしくなったよ。
 こっちはいい音楽を作ることに集中しているだけなのに、
 なんで嫌がらせされなきゃいけないんだって」

「"俺がいる TM NETWORK" がウレることは、事務所として我慢ならなかったんだろうね」





なお、この "事務所側の意向” は小室氏にも伝わっていたようですが、
少なくとも1984年中の小室氏は意に介していなかったようです。

革新的な音楽を作りたい → それが出来る仲間(小泉氏)がいる → だからその人と作る
それになんの問題があるのか?という理屈です。

この小室ー小泉ラインのコントロールの効かない状況に、
事務所側は苛立ちを募らせます。

『当時の純粋無垢な若者だった私たちは(手続きや形式といった)
「大人の都合」というものをまるで理解していなかったのかもしれないね』(小泉氏談)

当インタビューで小泉氏は
『「コンピュータープログラマー」「シンセサイザーマニピュレーター」
 という意識はなかった。あくまで4人編成のバンドのメンバーとして参加していた。
 自分がやっていることはそういう名前の職業なんだということは後から知った』
と仰っていました。

対外的な発表でそう称されていたことについて、当時小泉氏は
「そういう枠をはめたかったんだろうね。枠をはめて、そこから出てくるな。
 お前の役割はあくまでそれであって、そこからは一歩も出てくるな、ということだろうね」
というメッセージを感じたといいます。





このような状況で迎えた1985年初頭の時点で、TM NETWORK は、
木根氏・宇都宮氏のスピード・ウェイ ラインと小室氏・小泉氏による、
いわば C-Dragon Project ラインという二重構造を抱えていたことになります。

この年は TM NETWORK にとって試練の年であり、
2nd album の初動の悪さに、小室氏はかなりうろたえたとのこと。
TM 以外の選択枝を探ったフシもあり、
この二重構造のままでは、小泉氏を迎えた4人組になるどころか、
2つに分裂崩壊していた可能性すらあります。










        『TM NETWORK とはなにか? 〜 その2』終わり





                続けてこちらへどうぞ。
           『TM NETWORK とはなにか? 〜 その3』



18 件のコメント:

  1. ついに、語られたね〜
    大人の事情か〜
    26日は さらに悲しい出来事がやってくるのか〜?

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    1. 「まあ、一言で言ってしまえば大人の事情ってヤツだね」とは、
      小泉さん自身も何度もおっしゃってました。

      もう一度インタビューを読んでいただくと分かるんですが、
      結成の時点でボタンのかけ違いが起こってるんですよね。
      でもそのかけ違いが起こらないと、僕らの知る形の TM NETWORK は
      生まれてこないという、なんともやるせない話でもあります。

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  2. あぁ~~~、、、問題の大気圏突入ですねぇ~~~
    次回は核心を直撃でしょうか、、、いや、そうなるんですよね。
    月末まで待てませんよぉ~~~
    じらしますねぇ~~~

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    1. お察しのとおり、もう一波乱あるんですが、
      細かいこと言い出せば、他にも色々なことがあったようです。

      ただそれはそれとして、本来問題無い部分まで
      「巻き込まれて」隠れてしまっているのはいかがなものか?
      というのが僕の考えです。

      その体験、ご苦労は非常に価値あるものだと思うのですが。

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  3. 木根氏、宇都宮氏からみると、ほぼ自分たちの意思とは無関係に事が進んでいたのでしょうかね。んー、私にも経験があるのでなんとなく分かる気がします。どうしてもPCやシンセのシステムを把握して作曲、打ち込みが出来る人がキーになってしまいますから他のメンバーの蚊帳の外感は半端なかったでしょう。もしも木根氏、宇都宮氏以外の人がメンバーだったらTMは崩壊してますよね。当時のお2人の気持ちを思うと・・・・本当に頭が下がる思いでいっぱいです。その後も、94年の終了まで実は綱渡りで何とかやってたのかなあと、色々と考えさせられた今回のエントリーでした。
    いや、こう言うことが分かってきて本当に嬉しいです。ありがとうございます!

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    1. 自分たちの意思とは無関係、ということは無いと思いますが、
      捉えようによっては、もっと酷い状況だったかもしれません。

      当時の状況を考えるとTMのとった手法って、完全に black box 化していて、
      木根・宇都宮両氏にとっては、スピードウェイまでの経験を
      生かしようが無いですからね。


      小泉氏いわく「このチャレンジは出来る」
      あるいは「このチャレンジはまだ厳しい」などという話は、
      必然的に『小室ー小泉』間でのやりとりがまずありきだったとのこと。

      1984年中の小室氏のインタビューでも、具体的な話になると、
      「小泉君と相談して決めました」という言葉を連発していて、
      現場の実情がうかがえます。


      木根・宇都宮両氏からすると
      出てきた物に対してなら、その都度意見は言えたでしょうが、
      スタートの段階では、意思の表しようが無い。
      とりあえず様子を見守るしかなかったんじゃないでしょうか。



      >>もしも木根氏、宇都宮氏以外の人がメンバーだったらTMは崩壊してますよね。

      このメンバー構成になったのは「たまたま」だったのかもしれません。
      ですが仰るように、このメンバー構成でなければ続かなかったでしょうね。

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  4. これだけ前回スピード・ウェイについて書いてあったのに、
    自分の見たいようにしか物事をみれてないことを実感し、ずっしりとお話の重みを感じています。
    TMと小泉さんの事なのに、小室さんと小泉さんの関係性にばかり注目していました。

    スピード・ウェイ、木根さんという視点を得て、ようやく三次元でとらえられそうな・・・。
    このときの二重構造は再始動や、小室さん逮捕前の2007年SPEEDWAYや、今現在も続いているのですか?そう思うと色々腑に落ちるというか。

    また読み間違いばかりかもしれませんが、一般レベル(以下?)の感想があってはじめて書き手の突き抜けた才能が測れるものだと思いますのでご容赦ください。

    やまびこさん、私は69/99で続きは9月と思ってましたよ~


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    1. EMIさん

      いろいろとかき乱すようなことになって、すみません。
      次の最終回分が、ご質問の答えになっているかどうか分かりませんが、
      僕なりの答えを書いたつもりです。
      あくまで1つの意見として読んでいただければ幸いです。



      >>やまびこさん、私は69/99で続きは9月と思ってましたよ~

      しまったその手があったか!と思いましたが、
      実際「この続きは9月9日に」なんてやったら、殺されると思います。
      やまびこ氏に…。

      削除
    2. 69/99の意味、ようやく分かりました。私、TM NETWORKのことをあまり知らないので、意味が分からなかったんですよ。自らの無知をさらけ出すのもどうかと思い静観していたのですが、ようやく納得です。
      いやぁ、私のカレンダーには6/29に「ポコ太さまブログ更新」を書き込んであるんですよ。で、もしかしたらフライングとかないかなぁと思って見にきてしまいました。
      それにしても、「重箱」で人の注目を集めておいて、その段階をへてから本家のブログを開くとはなかなかやりますね。まるで、「重箱」は仮の姿で、これからは本当の姿を見せるよ、という、、、なんというか、デンジマンをはじめとする戦隊ものにのぞらえると、等身大のヒーローが敵をやっつけると敵が巨大化してしまうような。そんな感じがしますね。あるいはTM NETWORKからTMNへのリニューアルみたいと言うべきかもしれませんが、、、

      削除
    3. 僕の辞書に「ギリギリ」はあっても「フライング」なんてありません。
      本当に申し訳ございません。



      >>注目を集めておいて、
       その段階をへてから本家のブログを開くとはなかなかやりますね。

      そんなわけないでしょう(涙)
      俺にそんな計画性があるわけないでしょう(号泣)

      元々は、どうせこんなBlog 誰も読んでないだろうから、
      2〜3個エントリーを書いたら
      この場所を叩き台にして自分の音楽Blogに変えていこうと思っていたのに、
      もう、今さらそんなことできないじゃん?!

      そんなことしたら怒るじゃん!?
      カレンダーにBlog更新日なんて書いてくれてる人が…。

      …というわけで、新ブログは別に作ることにしたわけです。
      どうなるんだろう?どうなっていくんだろう、俺?

      削除
    4. すげぇ、本当にこっちにも返信がありました!! いやぁ、すごいですよ、ポコ太様!! これからも応援しています。カレンダーにブログ更新日を書くのは、おそらく私くらいでしょう?? 熱烈なファンより。

      削除
  5. こんばんは

    待ちに待った第二弾のご執筆、お疲れ様です。
    そしてありがとうございます。

    いよいよ核心の中に入ってきたのですね・・・。
    事務所側からの小泉さんへの強い憎悪を感じます。
    ウツは中立というか自分がセンターで歌えればいいって感じで
    小泉氏への何か特別な感情は感じません。
    哲ちゃんも結局は事務所側に付かざるをえなかったのか・・・。

    とても残念です。

    それにしても小泉さんは男らしい方ですね。

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    1. 鈴木さん

      当時の感覚で言うと、スタッフを含め新人というには少し
      トウのたった方たちばかりですから、
      それぞれの立場や考え方も確立していたでしょうし、
      そうなると一旦事が起こると、拗れることもあったでしょうね。
      ましてや血気盛んなバンドマン達ですから。

      結局このころはまだ、走り始めてから考えているような状態で、
      大げさに言えば同床異夢だった面もあったのではないでしょうか。

      一旦売れてしまえば、それぞれの事は小さいことになって、
      みんなが(とりあえずは)ひとつの方向に向くんでしょうが、
      それまでは求心力を維持したり、もっと生臭く言えば
      主導権争いがあったりするのは多かれ少なかれ、どの集団にもありがちな話ですよね。



      >>それにしても小泉さんは男らしい方ですね。

      ちょっとニュアンスは違いますが、雑談中に
      「映像などのイメージから、もっと神経質な方かと思っていました」
      と失礼ながら述べたところ、笑いながら
      「神経質だったら、あんな無茶苦茶な現場やってらんないよ」と言われました。
      確かに今思えば納得です(笑)

      削除
  6. まずは、前回のコメント返信からの引用で申し訳ありません。
    >僕はパルコライブをのビデオを初めて見たとき、
    >所々「あれ、これどっちが小室哲哉なんだ?」と迷いました。
    分かります。初期の小室さんは、やけにツルっとした顔立ちで
    あどけないんですよね。私も、この人がマニピュレーター?と思った後に
    小室さんだと気付いて、「ええええぇええ!?」と
    巻き戻して確認したことがあります。


    今回の記事を読んで一番、突き刺さったことと言えば、ギズモから
    小泉さんを外さざるをえなくなった時の
    >「洋ちゃんごめんね、
    という涙ながらの思いを、小室さんはもう一度味わわなくては
    ならなかったということです。

    小泉さんへのインタビューで、あのシーンを読んだ私ですら
    非常に辛くなったので、小室さん自身はもう二度と気軽に
    小泉さんの名前を口に出せない程にうちのめされたのではないかなと
    思っています。「EARTH」で小室さんから小泉さんの名前が出てこないのは
    そういった複雑な気持ちからなのでしょうか。

    結果がどうであれ、
    >とにかく彼の願いをどうやったらかなえられるのか、
    それが小泉さんの、TMの思い出の全てなのだなと思っています。


    ところで!
    >ポコ太の音楽(と特撮話)を中心としたBlogがもうすぐ始まります!乞うご期待
    ポコ太さんのTM以外の音楽話、以前からとても興味ありました。
    特撮の方は・・・カネゴンとナメゴンにだけ多大なる愛情を注ぐ私ですが
    頑張って楽しみます。

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    1. ぬこさん

      僕たち受け手からすると、「誰ソレが加入した」とか
      「どの曲がシングルに選ばれた」とか、それぞれ歴史の教科書みたいなもので、
      普段は「現象」としてしか感じることしかできませんよね。

      非常に大雑把な言い方ですが、このインタビュー企画全体を通して、
      ギズモの件に限らず『一つ一つの事象には、やはり「人間」がいるんだなぁ』
      というのが僕の感想です。

      次回もう一波乱あるのですが、ぬこさんはどう受け止められるでしょうか。
      今しばらくお待ちください。



      >>ポコ太さんのTM以外の音楽話、以前からとても興味ありました。

      どうもありがとうございます。
      しかしカネゴンはともかく、ナメゴンに多大なる愛情とは!
      火星人も送り込んだ甲斐があったというもんです。

      ナメゴンLOVEなんて、珍しい人がいるもんだと思った途端に思い出した!
      自分が中学生の時、初めてエポキシパテというものを買って、
      まず作ったのがナメゴンでした。
      フルスクラッチで…。何を考えてたんだ当時の俺は…。

      ちなみに背中のイボイボは、母親の裁縫箱から持ってきた待ち針
      (先端に小さな球体のパーツが付いていた)を埋め込んで表現しました。
      埋め込む深さによってイボの大小を表現するというこだわり。
      その情熱はどこから来たんだ、当時の俺…。


      と、いうわけで(汗)しばらくは重箱とのペース配分も定まらないと思いますが、
      新ブログともども、どうぞよろしくお願いいたします。

      削除
    2. >自分が中学生の時、初めてエポキシパテというものを買って、
      まず作ったのがナメゴンでした。

      ナメゴンのソフビが予想外に高価で、いくら愛があるとはいえ・・・と
      躊躇していたのですが、なるほど。その発想はありませんでした。
      金が無いなら自分で錬金しろってことですね?
      良い事を聞きました、ありがとうございます!

      削除
  7. このエントリーまで読んで30分後に思ったのは、生きてて良かったな〜、と。

    個人的なことですが、はじめて自分の意思で聴いた音楽が偶然ミニアルバムTwinkle Nightでした。your songやtwinkle nightのキラキラした感じや、vampire hunter "D"の音だけで何やらストーリーを感じさせるようなシンセとか、エレプロも大好きでたくさん聴きました。キラキラした曲と不思議な響きではじまる長い曲が交互に入ってるんですよね〜。ステキなミニアルバムだと思います。

    90年代半ばから後半のキースペで白田さんが時折"金色の夢"のエピソードを紹介してくださっていたのを読んでいたりしたこともあって、小泉さんご本人からの話が出てこないのはなんでだろう、というのは長年の疑問でした。C-Dragon Projectも謎でした。

    またまた個人的なことで恐縮でしかも音楽ではないのですが、事業再生にSEとして関わったことがありまして、事業再生なのに敵対的買収みたいに思われたり、上手く動かなかったら全員の注目を浴びてしまうとか、会社の命運が自分の1クリックにかかるなんていう状況になったこともあって(しかもほとんどの方はそんな状況になってるとは気づかないし、マニュアルの通りには動かないし...)その最大のピンチはトリッキーな組み方をして上手くいきましたが...
    後年別の職種の別の職場で経営者が変わってから深刻な路線対立に巻き込まれたりしたこともあったり。。。

    そういうあれやこれやが個人的にありまして、レコーディングでの同期しない話や本記事でのお話なども、ものすご〜く感情移入しながら読まさせていただきました。長年抱えていた疑問もわかりました。

    この一連のインタビューを読んでから、TM NETWORK SINGLES1 初回盤収録のPARCO PART3でのライブ音源を聴くと、OOPARTSとでもいいますか存在しえないはずのサウンドを聴いているような気分になりました。

    電子音楽史のみならずコンピューターの黎明期のトピックの一つとしても、TM初期の苦労されたお話はぜひ後世に残していただきたいなぁと感じます。(それこそ、NHKマスターテープはうってつけだと思います)

    ステキなサウンドを紡いでくださったその裏側についてインタビューに応じてくださった小泉さんや、各方面に気遣いながら多大な労力を割いて連載してくださったポコ太さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

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    1. >>キラキラした曲と不思議な響きではじまる長い曲が交互に

      後追いなのに「Twinkle Night」からって、かなりレアな入り方ですね。
      これはなるほどと思いました。
      僕はレコード世代なので「交互」という発想が出てこないですからね。
      そう考えると「Self Control」もCD世代の方とレコード世代では、
      結構印象が異なるかなとも思いました。

      C-Dragon Project は自分にとっても思わぬ拾い物でした。
      何より『てっちゃんはドラゴン好きだから』というネーミングの理由は、
      脱力するほど単純明快というか
      『結局ホントのところって、そんなもんだよね』という納得感が得られました。



      >>あれやこれやが個人的にありまして、

      貴重な話をありがとうございます。
      結局、仕事って1人ではできないから、大なり小なり人間関係の軋轢にもまれ、
      それが完成形に及ぼす影響は無視できませんよね。

      ましてや音楽なんて設計図も工程表もないので、同じ人が同じようにしたからといって、毎回同じものができるわけでもなく、時代・環境などと同じく人間関係もかなり重要な要素だと思います。

      小室ー小坂間の距離も含め、この辺はTMって全然触れてこなかったせいで、単独のインタビューを読んでも「理解は出来るが納得は出来ない」ということが多く感じていました。



      >>PARCO PART3でのライブ音源を聴くと、

      僕もなんだか妙に生々しく感じる様になりました。
      30年聴いてきて、今になって新たに感じることがあるというのは、
      今後の人生においてはもうありえないでしょうし、とてもとても貴重な体験でした。


      >>お話はぜひ後世に残していただきたいなぁと感じます。

      まさにおっしゃる通りです。
      いっそのことTMから切り離しても面白いかなという気もしてはいます。
      それほど80年代における、現場を巻き込んだ技術革新は
      躍動感にあふれていたと思いますよ。

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